10月初旬(1~8の8日間)、春のAustraliaツアーに行きました。
目玉はPerthのWild flowerやWave Rockという奇岩なのに、
Perthへの直行便が無いので、Sydney経由。
9時間40分もかけてSydneyに着き、3時間待たされて国内線に乗り、
5時間10分後にPerth着という能率の悪さ!
以前にあったPerth直行便なら成田から9時間で行けたそうです……
とにかく、Perthの1日目は人工的な公園の花を眺めるだけでした。
それでも温暖・乾燥気味の地らしく、美しい花がいっぱい。
色彩デザインや全体の設計が素晴らしく、楽しめました。
この子は大分前の台風のとき、千切れてスノコの下で生き延びた命です。
あまりに健気なので、コーヒーカップサーバーに埋めてみました。
以下、帯津医師の<がん>に対する考え方です。
P.162 ……がんは身体性(からだ)だけの病気ではなく、
精神性(こころ)にも霊性(いのち)にも深くかかわる病気。
だから、主として身体性を対象とする西洋医学だけでは
手を焼くのは当然なのです。
ここはどうでも、精神性や、霊性にはたらく中国医学を
はじめとする代替療法を併せておこなうべきなのです。
そして、「霊性」の定義を、
P.163 では霊性とは何でしょうか。これは「場のエネルギー」であり、
生命場ではこの霊性を高めることによって免疫力はより強まり、
さまざまな病気を克服できるようになるのです。
何回かに分けて、帯津医師の主張を吟味してきましたが、
私自身の理解は、未だ感覚的なものです。
これでエビデンス主義の人と話をしても、繋がりそうにありません。
でも、「あな健」料理教室でも習ってきたことであり、
「勉強は続けなければいけない」という心の声は聴こえます。
「霊性」の勉強とは、書物だけをせっせと読んでいてもダメで、
手を動かし、頭を働かせ、結果を検証することだと思います。
そして、「真実に繋がる……」ということのようです。
あまりに健気なので、コーヒーカップサーバーに埋めてみました。
以下、帯津医師の<がん>に対する考え方です。
P.162 ……がんは身体性(からだ)だけの病気ではなく、
精神性(こころ)にも霊性(いのち)にも深くかかわる病気。
だから、主として身体性を対象とする西洋医学だけでは
手を焼くのは当然なのです。
ここはどうでも、精神性や、霊性にはたらく中国医学を
はじめとする代替療法を併せておこなうべきなのです。
そして、「霊性」の定義を、
P.163 では霊性とは何でしょうか。これは「場のエネルギー」であり、
生命場ではこの霊性を高めることによって免疫力はより強まり、
さまざまな病気を克服できるようになるのです。
何回かに分けて、帯津医師の主張を吟味してきましたが、
私自身の理解は、未だ感覚的なものです。
これでエビデンス主義の人と話をしても、繋がりそうにありません。
でも、「あな健」料理教室でも習ってきたことであり、
「勉強は続けなければいけない」という心の声は聴こえます。
「霊性」の勉強とは、書物だけをせっせと読んでいてもダメで、
手を動かし、頭を働かせ、結果を検証することだと思います。
そして、「真実に繋がる……」ということのようです。
「金の成る木」に蕾を発見。毎年、正月前後に咲くピンクの可憐な花の蕾です。
未だ寒くもなっていないのに、早くも準備完了!の風情。
P.31 柔道における霊性:加納治五郎のロンドン講演(1933年)より
P.32 「柔道の原理の一つは、
誰にでもある本当の人間の魂にどうやって訴えかけるかを
学ぶこと。人と会ったときに外観だけでなく、
また精神的な姿勢だけでなく、
本当の人間の心を見ようと努力すべきだ。」
帯津氏は上記の表現から、
(それは)人の体や精神のみならず霊性(いのちSpirit)にまで
注目すべきだという指摘に他なりません。
という解釈をされています。が、私にはこの「霊性」と「精神性」の関係は、
未だよく分りません。ただ、P.33で述べられる「自他共栄」の精神は、
よく分ります。
P.33 「自分の中にそれを見出し、自分の中でそれを高めなさい。
知性は自分の中で高められるべきものであり、柔道の修行は、
本来、攻撃と防御の型の中から勇気、意思、
そして知性というものを高めていく手段なのです。」
ここで、この本の冒頭P.20に登場する「発光流柔術」を思い出します。
P.20 発光流柔術は昭和16年に、奥山龍峰先生が開いた新しい柔術の
一門です。最大の特徴は、攻撃点が治療点と共通していることで、
鍼灸の「ツボ」や「経絡」に攻撃を仕掛けます。
P.21(攻撃が)「ツボにはなれば」一気に攻撃力が増します。
ツボを押す指には臍下丹田から導き出された気の力が伝わり、
それが相手に瞬間的な激痛を与えるのです。
(中略) さらにこの柔術が不思議なのは、倒されたときに
痛みがすでに消えていることです。それどころか、
畳の上では痛みが瞬間的に消え去ったことが信じられず、
おかしさがこみあげてきます。
投げ飛ばされたことも忘れて笑ってしまうのです……
こんなことが、修練を積めば可能になるのなら、素晴らしいと思います。
私も、体得したいと思って、
合気道や呼吸法の道場に通った時代もあります。でも、全然ダメでした。
帯津氏も一生懸命通って、「ハードトレーニングを続けたそうですが、
上達せず、結局、奥義はつかめないままに終わった」そうです。
東大空手部から柔術道場に通われた帯津氏でもダメだったのですから、
私が、ちょいとした憧れで足をつっこんだくらいではダメで当然ですね。
でも、「そういう世界がある」という事実に触れた体験は、無駄では
なかったと思っています。
未だ寒くもなっていないのに、早くも準備完了!の風情。
P.31 柔道における霊性:加納治五郎のロンドン講演(1933年)より
P.32 「柔道の原理の一つは、
誰にでもある本当の人間の魂にどうやって訴えかけるかを
学ぶこと。人と会ったときに外観だけでなく、
また精神的な姿勢だけでなく、
本当の人間の心を見ようと努力すべきだ。」
帯津氏は上記の表現から、
(それは)人の体や精神のみならず霊性(いのちSpirit)にまで
注目すべきだという指摘に他なりません。
という解釈をされています。が、私にはこの「霊性」と「精神性」の関係は、
未だよく分りません。ただ、P.33で述べられる「自他共栄」の精神は、
よく分ります。
P.33 「自分の中にそれを見出し、自分の中でそれを高めなさい。
知性は自分の中で高められるべきものであり、柔道の修行は、
本来、攻撃と防御の型の中から勇気、意思、
そして知性というものを高めていく手段なのです。」
ここで、この本の冒頭P.20に登場する「発光流柔術」を思い出します。
P.20 発光流柔術は昭和16年に、奥山龍峰先生が開いた新しい柔術の
一門です。最大の特徴は、攻撃点が治療点と共通していることで、
鍼灸の「ツボ」や「経絡」に攻撃を仕掛けます。
P.21(攻撃が)「ツボにはなれば」一気に攻撃力が増します。
ツボを押す指には臍下丹田から導き出された気の力が伝わり、
それが相手に瞬間的な激痛を与えるのです。
(中略) さらにこの柔術が不思議なのは、倒されたときに
痛みがすでに消えていることです。それどころか、
畳の上では痛みが瞬間的に消え去ったことが信じられず、
おかしさがこみあげてきます。
投げ飛ばされたことも忘れて笑ってしまうのです……
こんなことが、修練を積めば可能になるのなら、素晴らしいと思います。
私も、体得したいと思って、
合気道や呼吸法の道場に通った時代もあります。でも、全然ダメでした。
帯津氏も一生懸命通って、「ハードトレーニングを続けたそうですが、
上達せず、結局、奥義はつかめないままに終わった」そうです。
東大空手部から柔術道場に通われた帯津氏でもダメだったのですから、
私が、ちょいとした憧れで足をつっこんだくらいではダメで当然ですね。
でも、「そういう世界がある」という事実に触れた体験は、無駄では
なかったと思っています。
写真は最近咲き始めた Oxalis 桃の輝き
この本の著者・帯津良一氏は、東大医学部卒の外科医で、
60歳頃に、「外科医としてメスを握ることは、ほぼ引退」、
その後、<代替医療>の研究・実践に移られたそうです。
P.43 医師として外科医以上にやりがいのある別の道が、
眼前にあったから(メスを返上することは寂しくなかった)。
それは気功や漢方薬などに代表される中国医学であり、
その他にも代替療法やホメオパシーなど、興味深い医療の
テーマはたくさんありました。
体・心・命が渾然一体となったものを丸ごと捉える
ホリスティック医学の確立を目差すという、稀有壮大なテーマに
恵まれましたから、意気はますます盛んだったのです。
では、「ホリスティック医学」の定義とは??帯津医師によると、
P.29 ホリスティック医学とは、人間の身体性、精神性、霊性の三つが
渾然一体となった状態を丸ごと捉える医学であり、
そこに霊性は欠かせません。
私(帯津医師)が考える霊性とは、
家庭・職場・学校などのさまざまな「場」のエネルギーなのです。
私(こま)が専門とする「自力整体」や、一般的な東洋医学の世界では、
良い気が溢れる「場」や、人間が作り出す気エネルギーのことは、
ごく普通に話題になります。が、西洋医学の世界では、こういうことを
口に出すだけで、「忌み嫌われること」なのだそうです。
そういう、「異端のそしり」をモノともしない態度は、ご立派だと思います。
この本の著者・帯津良一氏は、東大医学部卒の外科医で、
60歳頃に、「外科医としてメスを握ることは、ほぼ引退」、
その後、<代替医療>の研究・実践に移られたそうです。
P.43 医師として外科医以上にやりがいのある別の道が、
眼前にあったから(メスを返上することは寂しくなかった)。
それは気功や漢方薬などに代表される中国医学であり、
その他にも代替療法やホメオパシーなど、興味深い医療の
テーマはたくさんありました。
体・心・命が渾然一体となったものを丸ごと捉える
ホリスティック医学の確立を目差すという、稀有壮大なテーマに
恵まれましたから、意気はますます盛んだったのです。
では、「ホリスティック医学」の定義とは??帯津医師によると、
P.29 ホリスティック医学とは、人間の身体性、精神性、霊性の三つが
渾然一体となった状態を丸ごと捉える医学であり、
そこに霊性は欠かせません。
私(帯津医師)が考える霊性とは、
家庭・職場・学校などのさまざまな「場」のエネルギーなのです。
私(こま)が専門とする「自力整体」や、一般的な東洋医学の世界では、
良い気が溢れる「場」や、人間が作り出す気エネルギーのことは、
ごく普通に話題になります。が、西洋医学の世界では、こういうことを
口に出すだけで、「忌み嫌われること」なのだそうです。
そういう、「異端のそしり」をモノともしない態度は、ご立派だと思います。
Oxalis Palma Pink
2012/5/31に<大往生>で始まるタイトルでご紹介した本は
「大往生したけりゃ 医療とかかわるな」
副題「自然死」のすすめ 中村仁一・著
今回は、全然違う切り口の本です。
著者・帯津良一医師は
気功を取り入れた<ホリスティック医学>を推奨する方です。
P.94 (武道で)大切なことは、相手を倒すという強い気持ちや
意思を持ちながら、勝つことに執着しすぎない
「恬淡とした」気持ちを持つことなのでしょう。
それが武道ではいい結果に結びつく”秘訣”であり、
奥義なのかもしれません。
帯津病院の入院患者で、気功に取り組んでいる人の中で、
<気功に執着している人>は、
P.97 その執着心がアダとなって気功の良さや美点を享受できません。
気功的人間が強い心を持ちながらも、気功に執着しないがゆえに
気功の恩恵を得ているのとはじつに対照的なのです。
2012/5/31に<大往生>で始まるタイトルでご紹介した本は
「大往生したけりゃ 医療とかかわるな」
副題「自然死」のすすめ 中村仁一・著
今回は、全然違う切り口の本です。
著者・帯津良一医師は
気功を取り入れた<ホリスティック医学>を推奨する方です。
P.94 (武道で)大切なことは、相手を倒すという強い気持ちや
意思を持ちながら、勝つことに執着しすぎない
「恬淡とした」気持ちを持つことなのでしょう。
それが武道ではいい結果に結びつく”秘訣”であり、
奥義なのかもしれません。
帯津病院の入院患者で、気功に取り組んでいる人の中で、
<気功に執着している人>は、
P.97 その執着心がアダとなって気功の良さや美点を享受できません。
気功的人間が強い心を持ちながらも、気功に執着しないがゆえに
気功の恩恵を得ているのとはじつに対照的なのです。
Oxalisは全部ピンクか白系の花かと思いきや、黄色もあるのです。
第七章「長息法」と「筋強化」が病気を治す
---呼吸と筋肉が若さを保ち、老化を防ぐ
シルベスター・スタローン(1946年生)、シュワルツェネッガー
(1947年生)の二人の若さの秘密は筋トレによる
「若返りホルモン・マイオカイン」によるものらしい……しかし、
日本の現状は「老人を寝かせきり」。
これを変え、
「入院患者を歩かせろ、筋トレをさせろ」
というのが、著者・船瀬氏の主張です。
諸外国では当り前のことが、日本では何故できないのか?
日本の介護産業、医療従事者事情、現行医療体制の維持など、
<患者のため>以外の事情で、
何故か「すべて、路線変更不可能」のような、
さむ~~い状況を感じさせられる(=実態を垣間見させられる)、
重要な本だと思うので、ご一読をお薦めします。
第七章「長息法」と「筋強化」が病気を治す
---呼吸と筋肉が若さを保ち、老化を防ぐ
シルベスター・スタローン(1946年生)、シュワルツェネッガー
(1947年生)の二人の若さの秘密は筋トレによる
「若返りホルモン・マイオカイン」によるものらしい……しかし、
日本の現状は「老人を寝かせきり」。
これを変え、
「入院患者を歩かせろ、筋トレをさせろ」
というのが、著者・船瀬氏の主張です。
諸外国では当り前のことが、日本では何故できないのか?
日本の介護産業、医療従事者事情、現行医療体制の維持など、
<患者のため>以外の事情で、
何故か「すべて、路線変更不可能」のような、
さむ~~い状況を感じさせられる(=実態を垣間見させられる)、
重要な本だと思うので、ご一読をお薦めします。