弱々しいながらも心を見透かすような物乞いの目に、わたしは微動だにできなかった。
わたしは咄嗟にジーパンのポケットに手を突っ込み、1枚の硬貨を出して、年老いた物乞いの手元に投げた。
そして、わたしはすぐさま踵を返してその場を立ち去った。いや、逃げたというほうが相応しいかもしれない。
リキシャーワーラーのアジェイはタージマハルの正門に生い茂る木陰からわたしを見つけると、大きく手を振った。
わたしはそのまま何も言わずにオートリキシャーの後部座席に乗り込むと、アジェイは訝しむように尋ねた。
「何かあったのか」。
わたしは首を振って「いや」というのが精一杯だった。
タージマハルの次にいくつかの城を廻った。
シャー・ジャハーンが幽閉されたというアーグラー城、ファーテープル・スィークリー、その他もう名称を覚えられないいくつかの観光スポットを、アジェイに巡ってもらったが、わたしはそれらの入口にたむろする物乞いにばかり気をとられ、気もそぞろだった。
インドは貧困の巣窟だった。
しかもその物乞いの多くは異形の者だった。
腕や足が欠損している者、首にまるでボールのような大きなこぶがある者、顔が崩れかけた者。
それはインド社会のもうひとつの姿だった。
これまでわたしが通ってきた国にも貧困や物乞いは確実にあったはずだ。だが、わたしはほとんど彼らを見た記憶がない。
彼らはどこかに幽閉されていたのだろうか。それとも、わたしが彼らに気が付かなかったからなのだろうか。
もし、わたしが、これまで気が付かなったのであれば、一体いままでわたしは何を見てきたのだろうか。
ファーテープル・スィークリーの入場券を払い、入口の門をくぐると、5歳くらいの男の子がまとわりつき始めた。
「この城はおもしろいんだぞ」。
何度もしきりにわたしに言う。
ははぁ。ガイドをして金をせびる気だな。
アンコールワットでも同じようなことがあった。
「ガイドなら要らないよ」。
わたしが彼に言うと、突然男の子は怒りだした。
「ジャパニは嘘つきだ。金を持ってる癖に、いつも『金がない』という」。
そう言い捨てると、彼は去っていった。
確かに、彼の言うことも一理あった。少なくとも、わたしは「金がない」と言いながらも、なにがしかの金は持っていた。それはこの国の人たちからすれば大金といえる金だった。
ファテープル・スィークリーをぶらぶらと眺め、わたしはリキシャーに戻った。
「次はどこに行く?」とアジェイはきいたが、わたしは「もう帰ろう」とだけ言った。
どっと疲れが出たような気がした。
「帰りがけに、カーペット屋に寄ってもらえないか」。
「いや」と言いかけて、わたしはOKと言った。
アジェイは小さい声で「sorry」とだけ言った。
カーペット屋では営業マンが矢継ぎ早に話す営業トークをかわすのに骨が折れた。
「日本に持って行ってくれれば高く買う」。
もしかすると、これが本当のインドの姿なのか。
インド入国から約2週間。これまで通ってきた国とは全く違う世界に改めて気づかされた。
だから、衝撃度は格段に高かったよ。
これからが、インド本番だよ。
俺は師と違ってインド以前の国でも物乞いの人にあったけれど、変にこだわって、誰にも一円たりとも渡したことはなかった。一人に渡したら、全ての人に渡さないといけないような気がして・・・。
でも、どこかでなんか心傷んで、心のゲージが減っていくんだよねえ・・・。
そして、バックパッカーが必ず言う「金が無い。(アイハブNOマネー)」返答。
今の擦れた俺なら、そんな風にかわさず、「その○○(目的)に使うつもりはないんだ。」って、豪速球ではっきり言えそうな気がするよ。
日本的な曖昧回答って、海外ではほぼ通用しないよねえ。むしろ好感度としては悪くなるし。
でも、あの当時はまだそんなことを、ちゃんと分かってなかったからねえ・・・。
インドにはまた行ってみたいよ、、ホント。