
卯寅口 から
卯寅口門脇櫓 の脇を通り
本丸に 上がってきたのですが
ここはどこ?

登城ルートから上がってきたのではないで
さっぱり
わかりません
観光用 臼杵城マップ

△
右下の 卯寅口 付近を拡大
▽

〇
この辺ですが
古図では

〇
この広場
① 卯寅口
② 卯寅口門櫓
③ 卯寅口門脇櫓
やっぱり ② 門櫓があったようですね
となると 石垣からして 立派だった
さて 改めて 広場

石垣の 右の端 の向こうに 鉄門か?
なんだかわからないので
崖沿いの道を行き 一旦 本丸の外に出て
鉄門跡 探しましょ
くろがねもん 行くもん

ほらほら~
桜の木 植えて 大事にするから~
石垣が 崩れてる~
武具櫓跡と崖の間の 昔はなかった道を通りぬけると…

武具櫓の前の空堀

△
武具櫓台
土橋
▽

二の丸から見た 本丸石垣

なかなか 丁寧に積まれてます
大友宗麟が築城した当初は たぶん土塁
その後 稲葉家が 土橋を造ったときに
石垣にしたのでしょうね
武具櫓台 通ってきた道
▽ ▽

角がくっきり
算木積み 乱積み が 関ケ原以降ですね

土橋から

土橋を渡った所の石垣の角

いい石 使ってます
が
ここに 門があったわけではなく
土橋を渡ったら 桝形
さあ ここで
わからないものが 出現

なにこの レンガ造り

この向こうは 空堀 なんですが
古図では ここに 門 ありません
雁木も 描かれていません
半円のレンガで造られた 両サイド
左側は 大きな石です
これは もともと あったものですね
凹んだ部分が 布積み というのも?
どうなってたんでしょうか
わかりません


現地説明会に参加して 質問したいです
この桝形内の 鏡石

これが 鉄門 土台ですね
▽

内側に 鏡石

門跡がどこなのか
どう門櫓があったのか
わかりづらかったです
見つけました

□=門
鉄門は 虎口 でした
卯寅口門 は L字型でした
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