里村専精師の「浄土真宗にようこそ」No60をお届けします。
アーナンダという人は、
第一結集が始まる直前になってその場から追いだされました。
追いだしたその人は、摩訶迦葉でした。
釈尊がみまかられると、自然の成り行きで迦葉がサンガを統理していましたが…、
「そのサンガにふさわしくない」という理由でアーナンダは追いだされるのです。
場所は王舎城の西の山、七葉窟のあるその山の上でした。
おそらく途方にくれて、アーナンダは山を下ったことでしょう。
が、一方では追いだした摩訶迦葉を初めとするサンガの全体が…、
ひたすらアーナンダが帰って来る事を待ったのです。
実は、アーナンダはブッダの説法は確実に伝承していたものの、
覚りが実現していませんでした。
サンガの人々はは、そういうアーナンダを厳しく見つめていたのです。
何日かかったのでしょうか、アーナンダが帰ってきました。
仏道を体認して、聖者として帰ったのです。
そのアーナンダに、摩訶迦葉が言います。
普通ならブッダが座られる場所を指さして、
「さあ座れ」そして「語れ」と言うのです。
「私はこのように聞きました(=evam me suttan)」と、
アーナンダは語りました。
「如是我聞」とそれは漢訳されています。
サンガは、みんな同じ涅槃を共有していました。
アーナンダも、今ではその涅槃を生きる覚りを確保しています。
みんなが、同じ覚りを確認しながら、
アーナンダが語るブッダの教えを味わいます。
いわゆる経典結集ですが、実はサンガにとって大切なことはもう一つありました。
それは、今は亡きブッダの、
その今はないままに却って感じられるリアリティーでした。
そのブッダのリアリティーが、
言い換えれば「真如法性身(永遠のブッダ)」なのです。
生身のブッダがなくなられても、
真如から語り続けておられるブッダそのものが確認されたのです。
この時から「仏・法・僧」の三宝は、
かえって新しく深い歴史を持ったのでした。
それが生きている仏教というものの真実でしょう。
そしてそれが、第一結集の本当に尊い意義ではなかったのではないでしょうか。
釋真聴は、(よりあい)(かたりあい)(うたいあい)を大事にしています。
主宰・同人として参加している(よりあい)を紹介します。
◇カウンセリング研究会【くりのみ】 *主宰しています。
◇「歎異抄」うたと語り合い *同人として参加しています。
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どなたも参加できる楽しいサンガです。
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