今日は、青空文庫で、
三木清『親鸞』を読みました。
文中、三木は『正像末和讃』の「無明長夜の燈炬なり」を引いています。
ボクは、東京大谷声明学園で『親鸞和讃』を学んでいます。
特に、この和讃が好きです。
国宝三帖和讃の解説の現代語訳を引きます。
弥陀の本願は煩悩の長い夜の闇を破る燈火である。
さとりの眼がないからとて、悲しむには及ばぬ。
弥陀の本願はまた、迷いの大海を渡す船である。
罪とがが重いからとて、決してなげくに及ばない。
親鸞さんの左訓は、
燈・・・・ともしび
炬・・・・大きなるともしびなり
智眼・・・智慧のまなこなり
船・・・・ふね
筏・・・・いかだなり
罪・・・・つみ
障・・・・さわり
ボクはカウンセリング臨床の呼吸を、
この和讃に重ねています。
クライエントとカウンセラー関係の中で、
智眼を共有する時空の共有ではない、
《不思議》の気づきの世界を大事にしあえる関係性。
カウンセリングの眼目をこのあたりにおいていきたいと思います。
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