『菜根譚』
中国の明代後期の古典。著者は洪応明(こうおうめい)。字(あざな)は自誠(じせい)。
儒教的、道教、仏教の三教一致の立場から説いた思想書、処世訓。
前集222条、後編135条からなる。前集は人の交わりを説き、後集は自然と閑居の楽しみを説いた書物。
中国よりむしろ、江戸時代末期の日本で多くの人に愛読された。
川上哲治 五島昇 椎名悦三郎 田中角栄 野村克也 吉川英治が、愛読していたそうだ。(以上、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)
わたしは『菜根譚』のことを、多川俊映著『はじめての唯識』春秋社で知る。
欲路上のことは、その便(ベン)を楽しみて姑(シバラク)も染指(センシ)を為すことなかれ。
一たび染指せば、便(スナワ)ち深く万仭(バンジン)に入らん。
理路上のことは、その難を憚(ハバカ)りて稍(ヤヤ)も退歩を為すことなかれ。
一たび退歩せば、便ち遠く千山を隔てん。
今井宇三郎・現代語訳(岩波文庫)
欲望上のことは、手っ取りばやくついでだからといって、かりそめにも手を出してはならない。
一度、手を出したがさいご、(その味を覚えてしまうと、それに溺れてゆき)、ついには万仭の深みに落ち込んでしまう。
(これと反対に)、道理上のことは、その困難なことをおっくうがって、ほんの少しでもしりごみしてはならない。
一度、しりごみしたがさいご、(余計おっくうになり、一度おっくうになり出すと、ますますおっくうになってきて)、ついには千山を隔て全く追いつくすべもなくなってしまう。
『菜根譚』は、岩波文庫他多数出版されている。
もう少し、『菜根譚』にあたって、【落穂拾い】をしてみます。
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