永遠のお別れ

2009年11月14日 | diary
この秋は、周囲で亡くなる方が多い。

昨日も、かつて薬局だった我が家の向かいの家。
その家で、しばらく1人暮らしをされ認知症がでてから施設に入られた薬局のご主人が亡くなった、と町内の世話役さんから声を掛けられた。

密葬ということで、ひっそりと家族だけで送られたとのことだった。

最近は以前のように、誰かが亡くなられると町内に回覧板が回り、こぞって式場へ赴くということがほとんど無くなった。
我が家の周辺でも、最近は家族葬という名の密葬が増えてきた。
近所との付き合いもそれほどなく、家族でひっそりと気を遣わずにお別れしたい、と考える人が増えてきたのでしょう。

そんなことを思っていたら、父の仕事仲間の方が亡くなったという知らせを今日受けた。
父にとっては、親しかった仲間内で最後に残った友人だった。
2人とも体が弱り、互いに会うことは無くなったけれど、父が気にしているのは知っていた。
ならば、車で送ってあげるから訪ねてみたらと勧めても、互いに老いた姿を見るのは嫌なのか、決して行きたいとは言わなかった。

父は、昨夜は妙な夢ばかりをみて、何度も目が覚めたと言う。
父の亡くなられた友人は、いつも遠くから自転車に乗り父を訪ねて来たが、その自転車に纏わる夢だったらしい。
きっと、お別れに来たのかもしれない。
父も知らせを聞いて、その夢が何を表していたか今理解できたと言った。

しかし、老いた父をみていると、長生きは決して幸せなことばかりではないと思う。
年下の人々を見送るばかりで、寂しさや落胆、様々な感情が押し寄せてくるのは辛いことだ。

老いからは逃れられない。
けれど、これがあるから老いるのが楽しみ…そんなものがあればと、時々思う。

無いのだろうな、そんなもの。

              
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ホラー映画

2009年11月13日 | my favorite things
怖がりなくせに、意外に好きなのが恐怖ホラー映画。
これでもか、これでもかと煽られた恐怖心を、更に逆撫でするようなドキドキ感がたまらない。
ラブロマンスの映画のように、2人のこれからはどうなるのかしらと、ドキドキするのと同じ感覚なのかも(笑)

今日観たのは、サム・ライミの「スペル」
確かに怖いけれど、その怖いシーンの中に何故かクスッと笑ってしまうところもありの映画。

不気味な老婆からヒロインが恨みをかい、その結果老婆から悪霊の呪いをかけられてしまい、それをなんとかしようと立ち向かうのだけれど…
ストーリー自体は単純。
しかし、最後に小物を使ってのどんでん返しは、予想は付いたけれど面白かった。
オドロオドロしく怖いというより、いきなりドキッと驚かされるシーンが満載。
ヒロインを襲う老婆の細かい描写には、ああいう嫌な面って老人に確かにアルアルと、妙に感心してしまった。

真夜中にトイレに行くのが怖くなるほどの恐怖感は無かったけれど、笑いあり怖さありの楽しめる娯楽の1本だった。


オイオイ!と、言いたかったのは、私はいつもネットで席を選ぶ。
今回も、いつもの最後列ど真ん中をゲット。
その時は、まだひとつも予約席が無く、到着してみると広い会場にやっと10人ほどの観客が席についていた。
そんなにガラガラなのに、私のシートの真隣りに熟年紳士が座っていた。
普通、席を選ぶ時は、ひとつくらい席を空けて選ぶと思うけれどね。
席を移動しようと思ったけれど、それも悔しいし…

もしかしたらそのおじさん、誰かが傍にいないと、そんなホラー映画を観るのが怖かったのかしらね(苦笑)
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手が小さくて・・・

2009年11月11日 | diary
私は足のサイズが小さいので、自ずと手も小さい。
革の手袋を買う時などは、いつもサイズが少なく困ってしまう。

子供の頃のピアノの先生は、そんな紅葉のような私の可愛い御手手を見て、親指と人差し指の間の水かきを切れば良いと言った。
当時はそれが普通であって、友人も同じことを言われたそうだ。
しかし、骨自体が小さいのでいくら水かきを切ったとしても、根本的な解決に成り得るはずも無いのにね。

リストなんて到底弾けない。

現在ピアノの課題曲はコルトレーンの「Impressions」
これをモーダル奏法で弾くとなると、左手のバッキングがずっと4度重ねで、同じ距離のコードをずっと保つことになる。
その上、しっかりコードを押さえ、リズムを刻み…そんなレッスンをしていたら、私の小さな手が遂に痛くなってきた。
手首の付近が、腱鞘炎のような…。
アレレ、大丈夫かしらと、しばらく大きなシップを貼っていたら、いつしか痛みもとれてきたが。

今年を締めくくる年末ライブは、このmpressionsと I hear a rhapsodyを弾くつもり。

ただ、このImpressionsはコードが二つしかないので、コード的には簡単だけれど、それ故アドリブに気を取られていると、今どこを弾いているのか迷子になる。
今度はあのフレーズを弾いてみようと思っているうちに、サイズが合わなくなるのが目下の悩み。
何とか迷子にならないように、ライブまでには慣れなければ。

それにしても、手が小さくて良かったなんてことは何も無い。

因みに、手相では手の小ささはどうなのかしらと思い、検索してみると

 小さい手の人は、細かいことにこだわらない、大ざっぱな性格のもち主です。
 女性でとくに手が小さい人は、男まさりです。家庭におさまりきれないので、専業主婦には向きません。

嘘ばっかり(笑)小さなことにくよくよして、細かいことに毎日拘り続けている。

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迷い猫

2009年11月10日 | diary
庭で一匹の猫が、トカゲを追いかけていた。
尻尾を切り離し本体が草むらに逃げ込んだ後には、残された尻尾がうねり
猫は、その尻尾を齧るわけでもなく、前足でじゃれていた。

私は、そんな猫が苦手だ。
飼ったことがないので、その可愛さも猫の魅力もあまり分からない。

子供の頃に、隣家のゴローという名の猫に思いっきり引っかかれ、更に庭の糞害で、猫は私にとって嫌な相手だ。
今では猫を見かけるたびに、糞をされないようにと追い払う。
だから庭に入り込んだ猫は、私の存在を感知すると一目散で塀に飛び上がり、そして逃げていく。
最近は、野良猫の姿はほとんど見かけなくなったが。

ところが、その1匹の猫は、私の姿をガラス越しに認めると、逃げもせずにテラスに座り、私をじっと眺め始めた。

            

そこで、はっと気づいた。
先月末に、隣家で1人暮らしをしていた幼馴染が引越して行った。
その彼女は、1匹の猫を飼っていた。
だから引越し先は、動物が飼えるマンションだという。

いつだったか、家の前で2人でお喋りをしていると、2匹の猫が彼女の周りをうろうろしだし、
1匹は見かけない猫なので、彼女に訊けば、首輪の無い猫が家に迷い込み、その迷い猫も飼いはじめたとのこと。
去勢もしてあるそうで、どうやらどこかの飼い猫だったらしい。

私を見ていた猫が、実にその迷い猫に似ているのだ。
特にその背中の縞の感じが。

彼女の引越し先は、同じ市内。
もしや、その猫を探しているのでは?などと思いはじめ、よほど連絡を取ろうかと思ったけれど…
考えた末に、止めた。

猫は家に付くというし、それより、どこか気ままな猫にも思えた。
また、新しい飼い主を探しながら、ふらふらと寅さんのように旅に出ようとしているのかも(笑) 
考えすぎ?

そんなことを考えていたら、猫はひとしきり私の顔を眺めた後に、どこかへ去っていった。

猫の寅さん、また新しい飼い主を見つけるつもりなのかしら?
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人類愛

2009年11月07日 | diary
中学からの親友が、電話を掛けてきた。

「貴女だけに話すけれど、私ねとうとう別居したの…」 と、一言。

私としてはバンザ~イ!という心境。
彼女が結婚する時に、この男性は彼女の夫として大丈夫?といろいろ危惧を感じていたし、年々その通りになっていった。

実は、彼女は既に別居をしているのかと思っていた。
しかし、いくら親友といえども、私からは貴女たち夫婦はどうなっているの?と聞くことはできず、日々気にはなっていた。

別居するまでの道のりは、平坦なものでは無かったことをみているだけに、
電話の声が明るく「憑き物がやっと落ちたような気がする」と言う彼女の言葉は本物だと思った。

彼女の夫は、どこかの芸能人のように妻に自分の父親の介護をさせ、その間女性と遊び歩き、多額の浪費をするような男だった。
まったく、呆れた男がいたもんだ。
なのに、子供が2人いて別れても既に帰るべき場所が無いのが、彼女の辛いところ。
ひたすら我慢して、義父の介護を終えた。

別居は始めたけれど、財産管理の関係で離婚は絶対しないと思う。

夫が荷物をまとめ、出て行くのを見送った彼女の心境は、やっとふっきれたという想いなのだろうか?


友人たちとのお喋りの中で
「主人とは、もう別れたいの」などと、たまに冗談とも本気ともつかない台詞を聞かされる。
そんな理由は、舅、姑、小姑との関わり、そして見て見ぬ振りをする夫への不満がほとんど。
「そんなに嫌だったら別れれば。仕事だって持っているじゃない」と、今まではけしかけていたけれど…。

しかし、実際には言葉だけで、別れる気持ちなんてさらさら無いのだ(笑)
みんな日頃の夫への不満を口に出すだけで、気持ちを解消させているようで。
愛情というより、人間としての情の部分が、その決心を鈍らせているような気もしないではない。

夫婦の最後の砦は、人類愛か…
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