今朝は、写真のような、何とも
優しい、菫色の空で明けました。
ほんのり、ピンクに染まった雲。
こんな空も、久し振りです。
その後、雲一つない青空に
変わって行った事は、
想像に難くありませんね。
そうそう昨日は、一日中雨でしたが
(と言っても午後には降ったりやんだり)
夜には、その雨もやみ、
お月様を眺める事が出来ました。
雲間から顔を出したお月様の美しいこと! 思わず、声を上げてしまった程です。
そう言えば、今日は満月ですね。
“丸い月が上った。
月をよぎって飛んで行ったのは、箒の柄に乗り、
山高の帽子をかぶった魔女であろうか。
いや、それは、こうもりと柵の側の栂の尖端に過ぎなかった。・・・”
【「エミリーはのぼる」 第12章】
古今東西、太古の昔から月ほど、
「想像の余地」 のあるものは、ありませんものね。
話が前後しました。
今日のような空に出会えば・・。
青空に誘われて、ご近所でもいい
ですから、ふらっと散歩に・・と、
いった気分にも、なるというものです。
そこら辺・・でしたら、バッグは、
小さめでもいいですね。せいぜい、
家の鍵と、小銭入れが入る程度の。
という事で、普段は、ほとんど
使わない、(使えない)
小さな光り物のバッグの登場です。
良かったですね。
日の目を見る事が出来まして・・。
アン風に言えば、“優雅なお散歩? に
持ちたいバッグ” とでもなるのでしょうか。
と言いながら、前述の物に、カメラを入れると、それだけで、もうパンパンです。
ところで、住宅地を通り抜けて、大きな道路に出た所に植えられていた、
樫(かし)の木の大木。そこには、毎年椎(しい)の実が沢山落ちていて・・。
友人とも、「山になど行かなくても、ここに来ればいいわね。」 なんて、
話していたものです。それがバッサリ!! 嘆いた事、しきりです。
折しも、ヘッセの詩集の中に、同名の詩を見つけました。
尤も、こちらは、すこぶる哲学的なのですが・・。以下に記します。
短く切られた樫の木
樫の木よ、お前はなんと切り詰められたことよ!
なんとお前は異様に奇妙に立っていることよ!
お前はなんと度々苦しめられたことだろう!
とうとうお前の中にあるものは反抗と意志だけになった。
私もお前と同じように、切り詰められ、
悩まされても、生活と絶縁せず、
毎日、むごい仕打ちを散々なめながらも、
光に向って額を上げるのだ。
私の中にあった優しいもの柔らかいものを
世間が嘲って息の根を止めてしまった。
だが、私というものは金剛不壊だ。
私は満足し、和解し、
根気よく新しい葉を枝から出す。
幾度引き裂かれても。
そして、どんな悲しみにも逆らい、
私は狂った世間を愛し続ける。
ヘッセ : 高橋 健二訳