今朝は、父を関西医大に連れて行き、母は自力で、京都府立医大に。
明日は、別の科の父の診察でもう一度関西医大。
一度行くと、何時間もかかります。しかも、予約時間は、全く形骸化していて、一時間遅れなんて当たり前です。
「診察の前に血液と尿の検査してきてください。結果が出てから診察です。」
検査待ちの列は廊下にずらっと並び、結果は、1時間後が普通です。
今日は10時半に予約で、30分前に着いて、検査をして診察は11時40分。診察は5分。病院を出たのは12時10分。比較的早くすみました。
母は、府立医大に9時。18時に、「お父さんにそのへんのもの見繕ってご飯出して、帰ってもいいよ。」と電話がありました。私は夕飯を母の分も作って、帰りましたが、母が帰宅したのは19時半。
およそ12時間病院にいました。
病院通いも体力が必要です。
病院は、いつも長蛇の列。大病院ほどいっぱい。
高齢化で、ますます。人間はいつかは老いて死ぬ。
屈強の若者も、絶世の美女も、天下の大天才も、弱り、何がしかの障害を持ち、病い・・・。
どんな死を迎えることになるのか?どう病い、老いていくのか?
誰も正確に予測することはできない。死を逃れることもできない。
けれど、日々の生活の積み重ねの中に、何か病む原因があるし、どんな人が元気で長生きなのか、科学でわかってきたそうです。
楽天的で、目標のある人。よく笑う人は病みにくいこともわかっているそうです。
人生に起きてくることは予測不可能で、コントロールできないことだらけです。
嫌なこと、笑えないことがたくさん。しかし、フランクルは強制収容所の中の絶望的な状況の中で、「それでも人生にイエスと言おう。」を思いつきました。
今の日本で、それほどのことは、少ないはず。
心の中で、憎しみを作り、妬みを作り、病いを生み出すのです。