実家のシクラメン シャイニーピンク。シクラメンには音楽家の名前がついたものがあります。
モーツアルトとか、シューベルトとか。期待して調べてみましたら、違いました。
まあ、いいのです。花は自分の名前を知らないのです。
今日夕方から父と過ごす時間。
父は認知症になって、5分前のことを忘れてしまいますが、新聞をはしからはしまであまさず目を通します。
テレビのニュースを見て、笑ったり怒ったりしています。
スポーツは大好きで、今夜はサッカーを見て、手を打って笑ったり、激励したりしています。
政治や教育問題にも関心を持っています。
理解しているかどうかは、不明ですが。
ドラマは私が見ていると、一緒に見ますが、「よーわからんな。」と5分か10分置きに言いながら見ています。
怖しい戦争のニュースや、母の嘆きには、口を引き結んでじっと見て「たまらんな。」と嘆いています。
新聞やテレビを見終わったあとに、為替レートや、どこの国が戦争をしているのか?を聞いても父は答えられません。
答えられないけれど、父の感覚は生きていて、喜んでいる人と一緒によろこび、傷ついて悲しんでいる人と一緒に悲しんでいます。
一日に何度でも、同じできごとでも、ニュースが流れるたびに、
いちいち驚いています。どんな恐ろしいことも感情が動かなくなっている私の比ではありません。
父は感覚、気持ちから離れない。離れないから、人らしさから離れません。
正しいか間違っているか?善か悪か?損か得か?勝ち組か負け組か?優か劣か?なんて、尺度は存在しません。
父が「人らしくある」とはどういうことか?を教えてくれます。