音楽の喜び フルートとともに

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平和の不在は病いである

2015-01-21 21:56:25 | 哲学

15日、手作り市で買ったお豆腐、国産小麦を使ったメロンパン。
こんな手作りもあるんです。生地は少し固め。

甘さ控えめで美味しかったです。

家にいて、家事の他には何もせずニュースをチェックしたり、ただ一人で一日練習していると、世界で起きている怖しいことばかり考えてしまいます。

世界は私が思っているより、ずっと早く動いて行っている気もします。

しかし、ハーバード大学心理学教授のスティーブン・ピンカーは、暴力は減ってきてるとTEDで言っていました。
確かに日本でも1600年代は地域の境界線は戦いで決めていたし、1700年代は裁判もなく死刑や、刑罰が下された。しかも、主たる証拠は残酷な拷問による自白。しかも、階層によっては、人を殺しても罰せられない。1900年代は負けたものにも裁判を受ける権利が与えられています。
子どもを親が殺しても、犯罪にならなかったけれど、社会的には教育を与えられ、生活を送ることが保証されています。

ではなぜ、私たちは犯罪や暴力が増えているように感じるのか?
それは、報道や、ネットで暴力が明るみにでるようになったから。そして、遠い国の戦争も影響を受けるようになったから。

それから、暴力であることの認識ができようになったから。
昔は夫が妻や子どもを殴っても、躾とされたけれど、殴るのは虐待で、暴力であると認識されるようになったので件数が増えたのです。

少なくとも、地球の半分位は以前より平和の成果を享受しています。
そして、暴力による支配を赦さないという同じようなルールを共通認識として持っています。

平和という幸福を知ってしまえば、1600年代の行政システム下の暴力には心情的にも感覚的にももう耐えられない。

私たちにできることは、平和の下でもっともっと幸福になること。
人を傷つける嘘をつくのをやめること。
孤立を減らすこと。一人一人の人としてあることをお互いに尊敬すること。
私自身孤立しないこと、目の前の孤立を減らすこと。
脳天気と言われるかもしれませんが、これが唯一、世界中に平和を広げることになる道だと信じています。