楽譜カバーの為に使ったA3のクリアーファイル。使ったのは表紙だけなので、残った表紙をきれいにはずして、中身のクリアーファイルは、あまり布のケースにしました。気に入った布は、ハギレになっても捨てられない。
でも、ダンボールに重ねて置いておいたら結局忘れてしまうので、すぐわかるようにして保管。
これだと、整理されてて製作意欲もわくなぁ。
また、何か作ろう。
フルートとヴァイオリンは、大体同じ音域をカヴァーしているので、教則本や、独奏曲、コンチェルトなどなどヴァイオリンの曲をよく演奏します。
ヴァイオリンはオーケストラの主役なので、たくさんの曲がありますが、フルートはベーム式のフルートがでるまで、音程は安定せず、音量も大きくなくヴァイオリンに比べると曲数が少ないのです。
パガニーニの24のカプリスは、フルートコンクールの予選でもよく使われます。練習していると、本当によく作ったなぁって言うほど、超絶技巧。
コンチェルトの2番は、3楽章がラ・カンパネラ(鐘)と呼ばれていて、たくさんの作曲家がこの曲に心酔し、変奏曲を残しています。リストは3曲も同じ主題で書いてしまいました。
シューベルトは友達にコンサートチケットをおごるほど好きだった。
音楽は周りの人を幸せにしたかもしれませんが、パガニーニ本人はどうだったのでしょう?
1782年生まれのイタリア人。
13歳で学ぶべきものはなくなり、自学自習。演奏会は常に満席。いろいろなパフォーマンスを行い、あまりのうまさに「悪魔と取引した」と言われました。
病弱。38歳で咳に悩まされ、毒を抜くためと下剤を投与され、41歳で梅毒のため、水銀とアヘンを投与され、48歳で結核のため塩化水銀を飲み始め、病状が悪化し49歳で引退。ニースで水銀中毒による腎不全で57歳で亡くなりました。悪魔と言われていたため、埋葬を拒否され遺体は防腐処理をされて各地を転々とし、没後86年後にようやく共同墓地に埋葬されました。
若い頃は女性と浮名を流すことがありましたが、生涯独身。
盗作を恐れ、楽譜を公開せず。技術を盗まれることを恐れ、弟子は一人しか取らずその弟子にも満足に教えることもしなかった。
人気とともに、チケット代を釣り上げ、ちゃんと払っているかどうか、自ら受付に立ってチェックしました。
自分が使用していたグァルネリを、死後誰にも使わせないように遺言しました。が、楽器は弾かないとダメになるので、修理し、管理財団が、貸与することを決めました。
13歳で頂点を極めた男は、もてはやされ、崇められ、畏敬をもって扱われ、女たちもよりどり、最先端の医療を買う財力もあり、好きな形のコンサートができました。
もし、女たちにもてなかったら、もし、お金がなくて医者にかかれなかったら、先生についてもう少し一般的な音楽家の生き方を学んでいたら・・・。
多くはわかっていませんし、幸せは人から決められるものではなく、パガニーニはそれでも幸福だったのかもしれません。余計なお世話。