音楽の喜び フルートとともに

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フランクのソナタ

2022-09-18 21:49:03 | ロマン派
今日はギターの川原久美子さんと合わせました。

10月2日(日)2時~5時 浄土宗光明寺(京阪交野線村野駅徒歩7分)
枚方市村野元町23-21
第20回チャリティコンサート
往生極楽ライブ
お問合せ090-8161-9372(光明寺住職)

住職はパパ友で、ご縁を頂いて協力させて頂いています。

セザール フランク(1822-1890年)ネーデルランド連合王国リェージユ生まれ、フランス共和国パリ没

ネーデルランド連合王国の
リエージュ王立音楽院

で弟ジョゼフとピアノの英才教育を受けます。
1834年卒業するとパリに移りパリ音楽院に入学し、アントニン レイハ、ピエール ジンメルマンに作曲、ピアノ、オルガンを学びました。

ピアノは一等賞を、対位法も成績を伸ばし、即興演奏も2等を獲得、作曲ローマ大賞を目指していましたが、1842年自主退学します。

父親ニコラ=ジョゼフが個人指導や演奏会を行い商業的に売出していて、その希望にセザールは逆らうことができませんでした。

しかし、父は行いが荒くパリの音楽評論家の反感を買うようになり、ピアノの腕とは別にベルギーに帰国しなくてはいけなくなりました。

2年後、ベルギーでも不評でパリに戻り、父によって復学が赦され、
結局、音楽指導と伴奏という日の当たらない生活を行います。

1851年ウジェニー フェリシテ カロリーヌ セイヨ(1824-1918年)
と恋人関係になり結婚を求めます。

しかし、コメディ フランセーズの一員であった彼女の家族を嫌い、父親は結婚を許しませんでした。

息子が彼女のために書いた楽譜を目の前で破り捨てたりしました。

度重なる強迫に、セザールは荷物をまとめてデムソー家に出向き二度と実家には帰りませんでした。

1874年フェリシテと結婚しました。

オルガニストとしての仕事は安定した収入を約束され、サン ジャン サン フランソワゾー マレ教会のオルガニストになります。

1872年フランクはパリ音楽院のオルガン科の教授になります。

安定した職を得て、フランクは作曲を初めます。

しかし、評価が定まらない中、1886年ヴァイオリンソナタが作曲されます。
ヴァイオリン奏者ウージェヌ イザイ


の結婚祝いとして作曲されました。
フランスのヴァイオリンソナタの中では最高傑作になりました。

フルート、チェロにも編曲されよく演奏されています。