音楽の喜び フルートとともに

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モシュコフスキーの「花火」

2022-09-04 21:30:00 | 近代
枚方市文化祭クラッシック部門に出演してきました。

いろいろおかしなところもあったけれど、10歳から高齢の方までのカルテットで、ゆったりほっこり演奏してきました。

チケット受付も1時間ほどお手伝い。
始めましての方とも協力してお祭りを盛り上げました。

夜はこれから枚方の淀川沿岸で花火を上げられるそうです。

秋のお祭のシーズン始まりました!
うちの二階からの花火

では見にくかったので、近くの河川敷まで行きました。







この3年間、密にならないように10分だけ予告なしの花火をあげ続けてくれた友だちがいます。

「今年は予告してやるよ!」と何ヵ月も前から準備しているのを知っています。

ちゃんと見ました!ありがとう♥️

モーリツ モシュコフスキー(1854- 1925年)プロイセン王国ブレスラウ生まれ、フランス パリ没

ポーランド系のピアニストで作曲家。
当時は高い尊敬と人気を集めたピアニストでした。
ショパンの演奏の導入に使われる「15の熟練のための練習曲 15 Études de Virtuositié 作品72」で有名です。
ドレスデンの音楽院に学び、1869年ベルリンに移りシュテルン音楽院で学びました。
1873年リストに呼ばれて、自作のピアノ協奏曲を披露しています。
ベルリン音楽院で教鞭をとり、多くのピアニストを育てました。

1884年セシル シャミナードの妹アンリエッタと結婚し、マルセルとシルヴィアという二人のこどもを設けます。

5年後、アンリエッタが詩人のルードヴィッヒ フルダのもとへ走り、離婚。
腕の具合も悪く、演奏活動よりも教育に身を入れます。

1897年パリに移り2番目の妻と結婚します。
1910年2番目の妻も彼の親友へ、離婚します。
晩年は貧困に暮らし、彼の弟子たちが救済コンサートを開き、年金をもらえるようになりますが、支給の前に胃癌でなくなります。
ピアノのための「8つの性格的小品」op36の6番目の作品は「花火」という題名がついています。





パヴァーヌとガイヤルド

2022-09-04 00:23:00 | リズム
淡路島にハマゴウが咲いていました。
小さな離島は干潮のときには繋がるそうですが、この日は水が多く、風も強く流れも疾かったので、一廻りしたら別の釣りポイントに移動しました。

ハマゴウは浜香と書くそうで、良い香りがするそうです。

葉は乾燥させて蚊取りに使い、精油をとり、お風呂に入れると血行促進。
実は解熱、鎮痛消炎の漢方薬として使われるそうです。

知らなかった〜。
せめて香ってくるんだった。

パヴァーヌはルネサンス期に流行ったゆっくりした行列の時に使われる音楽です。
オッタヴィアーノ ペトルッチ(1466-1539年)フォッソンブローネ生まれ、ヴェネツィア没の印刷業者がベニスで出版した楽譜オデカドンによると

落ち着いた威厳のあるカップルダンス(二人で踊る)です。


それが時間がたつにつれ速くなりました。
パヴァーヌはパドヴァの音楽という意味でヴェネツィアの西、イタリア起源だということを示しています。
もう一つの説はpavon孔雀を意味するという説。

1676年にはダンスとしての人気は衰えていました。
音楽の中にはリズムとして残り続けました。

ガイヤルドは活発なダンスで16世紀イタリア、フランス、イギリス、ドイツで流行りました。
跳躍、ジャンプ、ホップが入っていて、特徴的なのは大きなジャンプが入っていることです。

エリザベス一世(1533-1603年)イングランドグリニッジ生まれ、リッチモンド宮殿没


のお気に入りのダンスでした。
音楽の勉強、歌、6〜7曲のガイヤルドを踊るのが彼女の日課でした。

ガイヤルドには、ラヴォルタという女性を抱えて空中に持ち上げ回転することが含まれていたり、
タッセルキックといって180度、360度の回転、複数の連続したスピンや540度までのスピンが含まれることがあります。

このスピンの終わりには腰の高さに吊り下げられたタッセルを

足で触ることから、その名前がつけられました。

これらのジャンプは上品ではないと見られていたのでおそらくエリザベス一世は採用していないでしょう。

アントニー ホルボーン(1545-1602年)イングランド詳細不明
シターン、リュート、ヴアィオル コンソート(管弦楽、歌をふくむ合奏)のための曲を作曲。
音楽理論書を書きダウランドから「いつも気高きホルボーン」と呼ばれていたエリザベス一世の宮殿での音楽における中心人物でした。

16世紀最大の楽譜印刷舞曲集


1599年発行、大半を彼の「パヴァーヌとガイヤルド」がしめています。