音楽の喜び フルートとともに

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退廃音楽家

2022-09-23 22:35:00 | 近代
突然ですが、伊藤公一フルートセミナーに来ています。

いつもは3泊4日で飛騨高山でやっています。しかしコロナで3年間中止。昨年は名古屋でやろうということになりましたが、直前になり中止。今年は1泊2日で名古屋ハートピアで行いました
枚方、牧野を7時59分に出発。名古屋を経由。
矢場町から徒歩6分ところが大雨で迷って大変でした。何とかたどり着いて、10時半から福田先生のウォーミングアップ講座。

フルートの持ち方、立ち方からロングトーンのやり方いろんなことを教えてもらってみんなで吹けてうれしい。

リペアの田村さんにフルートを見てもらってから、受講は富久田先生にクーラウの序奏とロンド。

セミナーの友だちにも何人も再会。
一人はヒンデミットのソナタを見てもらったそうです。

他の人の演奏や受講するのを聞いてとても勉強になっています。

明日は発表コンサートです。
名前の順に発表ですって!
き、緊張する…。けど張り合いがあります。頑張ってきます。

パウル ヒンデミット(1895-1963年)ドイツ帝国ハーナウ生まれ、西ドイツ、フランクフルト没

ビオラ奏者、作曲者、指揮者、他にもクラリネット、ピアノ、バイオリンを演奏しました。
父はポーランド領ノボロツクに生まれました。
父は芸術家にはなれず、パウル ルドルフ トーニーの3人の子どもたちに夢を託しました。

父はホッホ音楽院に入学させ、
弦楽三重奏を子ども達に組ませて公演したりします。

そのためヒンデミットは1913年には管弦楽団のバイオリン奏者として働きだしました。

1915年にはムゼウム管弦楽団に入りました。

しかし、1918年第1次世界大戦に従軍し父は戦死。
ヒンデミットも従軍しています。
この時に書いた作品はほとんど生前出版されませんでした。

1927年ベルリン音楽大学の作曲科の
教師になっています。
ナチス支配時代ヒンデミットはユダヤ人の演奏家と組んで曲を披露したり、レコーディングしたりしました。

フルトヴェングラーがヒンデミットの画家マチスを演奏すると、大成功。

するとナチスの機関誌が「堕落の旗手」として彼をを批判しだします。

ゲッペルスによって「無調の騒音作家
」とされ、1936年演奏が禁止され、1938年退廃音楽展でも展示されます。

彼の居場所はなくなり。トルコ、アンカラ、アメリカを経て1938年スイスに亡命します。
その後1940年アメリカに亡命します。
第二次大戦終結の1946年アメリカの市民権を得ますが、イェール大学を辞め1953年スイスに戻っています。

ウィーン音楽院の教壇にも立ち、日本公演も行っています。
1963年フランクフルトで高熱を出し亡くなりました。

問題の画家マチス