昨夜はシンフォニーホールで
のコンサートに行ってきました。
指揮者はチョン・ミンさん。
パク ジェホンさん
イタリア交響楽団(正式名称ボルツァーノ トレント ハイドン交響楽団)
のコンサートに行ってきました。
ヴィオラのKさんからのお誘いで、フルートのIさんと私の3人で。
今回は時間がなく夕食は無し、受付前で待ち合わせ。1回ど真ん中のいい場所に座れました。
指揮者はチョン・ミンさん。
一曲目はジョアッキーノ・ロッシーニ(1792-1868年)教皇領ペーザロ生まれ、教皇領ボローニャ没
のオペラ「ブルスキーノ氏」序曲
1幕もののオペラ ファルサ(18、19世紀のヴェネツィアに関連した笑劇、多くはカーニバル時に上演されました)
1813年作曲。
21歳のロッシーニがサンモイゼ劇場のために1810年から3年間オペラを書きました。
ブルスキーノ氏はその中の1つ。
ソフィアとフロービルは恋人同士ですが、ソフィアの父とフロービルの父は昔から敵対していました。
フロービルの父が亡くなり、障壁は1つ無くなりましたが、ソフィアの保護者ガウデンツィオは先輩のブルスキーノ氏の息子と結婚させることを約束しています。
ソフィアとブルスキーノ氏(息子)は会ったことがありません。
ブルスキーノ氏はソフィアに会いに来る途中、居酒屋に立ち寄り飲み過ぎ、酒代を払えずに勾留されます。
機会をとらえてフロービルはブルスキーノ氏になりすまし、ソフィアと結婚できるようにガウデンツィオをだまします。
そこへブルスキーノ氏が到着し複雑な事態になりますが、結局はソフィアとフロービルが結婚できるようになります。
あまり演奏されないオペラですが、序曲はよく演奏されます。
途中で2ndヴァイオリンが楽譜たての脚を弓で「チンチンチン」と叩く、ユーモラスな音楽です。
今夜はティンパニに何かが起きたようですが、そういうアクシデントもものともせず楽しい演奏でした。
2曲目は
パク ジェホンさん
1999年生まれ23歳のピアニストで
ルートヴィヒ ヴァン ベートーベン(1770〜1827年)神聖ローマ帝国ケルン選定侯領ボン生まれ、オーストリア帝国ウィーン没
のピアノ協奏曲第3番ハ短調OP. 37
1796年ベートーベンはこのピアノ曲のスケッチを始めましたが、その3年後1803年4月5日アン デア ウィーン劇場で初演された時にはまだピアノパートが白紙でした。
ベートーベンは即興でその演奏会を乗り切りました。
1802年に「ハイリゲンシュタットの遺書」書いていますが、その後このピアノ独奏者を務めているので、この時点では耳の症状はそれほど深刻ではなかったと思われます。
パク ジェホンさんは若いですが力で押すようなピアニストではなく、繊細で深く考えられた構成を重視するピアニストで、難しいフレーズも丁寧に演奏されていました。
アンコールはシューマンの「アラベスク」
本当にまだ日本ではあまり知られていないようですが、これから人気になるだろうと思いました。
最後の曲はベートーヴェンの交響曲第3番変ホ長調op.55「英雄」
1804年に作曲されました。
「英雄」エロイカと呼ばれています。
ナポレオン ボナパルトを讃える曲として作曲されたと言われていますが、諸説あります。
弟子のフェルディナンド リースの回想の真偽。
ナポレオンが皇帝に即位したという知らせを聞いたベートーベンが「やつもまた俗物にすぎなかったか。これから人々の人権を踏みにじって、自分の野心のためだけに奔走し、誰よりも自分が優れていると誇示する暴君になるのだろう」と激怒し表紙を破り取ったとされます。
しかし、現存するベートーベンの楽譜の表紙は、破り取られておらず、真偽不明です。
第2楽章が英雄 の死と葬送が描かれていて、ナポレオンに対して失礼であるとあえて曲名を変更し、献呈を取りやめたという説もあります。
表紙には「ボナパルト」という題名とナポレオンへの献辞をペンで書き消し、「シンフォニア エロイカ」と改題され、「ある英雄の思い出のために」と書き加えられています。
忖度したのか、幻滅したのか?
結局この曲は、ロブコヴィッツ公爵に献呈され、このときに立ち会った、プロイセンのルイ フェルディナンド王子が英雄ではないか?という説も出てきてますます謎に。
演奏は、オーケストラがどんどん歌う(歌いすぎる)ところを指揮者のチョン・ミンさんがキュッと引き締め、抑制の効いたスタイリッシュな演奏になっていて素晴らしかった!
アンコールはメンデルスゾーンのイタリア交響曲の第四楽章。
びっくり!
スピード感のある楽しい演奏でした。