9日午前は新年初子育てサロンでした。
によって1827年に作曲されました。
子育てサロンの歌を振り付きでみんなで歌ったら、元気に応えてくれました。
手遊びも楽しんでくれ、今日は塗り絵。と言っても0〜2歳児、Sさんが考えてくれたのは、型の上を自由に描いてもらって後で切り抜いて立てます。
そうするとしばらく飾って置けるので、子どもたちも描きっぱなしではなく、しばらく楽しめるというものです。
家に持ち帰ってもしばらく楽しめます。
4つの即興曲 作品90、D 899op90
フランツ シューベルト(1797-1828年)神聖ローマ帝国オーストリア大公国リリエンタール生まれ、オーストリア帝国ウィーン没
によって1827年に作曲されました。
シューベルトによる二手のピアノ小品は基本的に、舞曲や変奏曲を除けば、後年に集中して作曲されました。
4つの即興曲D 899(作品90)も例外ではなく、それゆえにシューベルトの円熟した様式的特色が至る所にあらわれ、彼の代表的なピアノ曲に数えらます。
とはいえ、本曲集の自筆譜に作曲日が記されていないため、詳細な作曲期間は明らかではありません。
作曲に用いられた五線紙の透かしの調査によれば、自筆譜の作成は1827年夏と推定されていて、1827年12月10日に本曲集の出版予告が出たことから、下書きに続いて比較的すぐ細部の作曲に取りかかったと考えられています。本曲集が成立した1827年後半は、シューベルトが夭逝するおよそ1年前です。
「即興曲(Impromptu)」という曲名の名付け親も、明確には分かっていません。なぜなら第1曲の自筆譜には、シューベルトではなく、出版を引き受けたトビアス・ハスリンガーによって曲名が記されているためです。
さらに、当時のピアノ曲集には中産階級に親しみやすい題名が与えられたことを踏まえれば、出版社が売れる曲名を提案したという推測が成り立つちます。
ただし状況証拠からは、シューベルト自身が名付けた可能性も否定できない。というのも、1822年にヤン・ヴァーツラフ・ヴォジーシェクによる《即興曲集》(作品7)がウィーンで出版されていて、そのヴォジーシェクにシューベルトがキーゼヴェッター宅の愛好家コンサートで知り会った可能性があるからです。
いずれにしても、続く即興曲4曲D 935の自筆譜には作曲者自ら「即興曲(Impromptu)」と書き入れていることから、シューベルトがこの曲名に満足していたことは間違いないようです。
しかし、これら「即興曲」に対して作曲者が抱いていたものと、出版社や一般の人が期待していたものは、どうやら一致しなかったようです。
出版社が当時のピアノ曲集に通例の、小規模で比較的すぐ演奏できるバガテルのような小品集を期待していたのに対し、シューベルトが創作したものは、「ソナタ」に匹敵するような、大規模な作品集だったからです。
シューベルトは当初、ハスリンガーから8曲まとめて出版されると期待して、続く4曲に第5番~第8番と通し番号を付けたが、ハスリンガーは1827年12月に冒頭2曲を出版したのち、残る6曲の出版を渋り、
シューベルトは後半の4曲を別の出版社に売り込み、前半の残り2曲はハスリンガーが出版を止め、世に出るまで30年かかりました。
「小品」より「ソナタ」に近いですが、ソナタの型にはまることなく自分のスタイルを存分に発揮できる作品――これこそシューベルトが「即興曲」に関して抱いていた考えていたと思われます。(ピティナピアノ事典)
4つの即興曲 作品90、D 899op9第3番