21日は京都コンサートホールでのオーケストラ リベルタの第6回演奏会に行きました。
交響曲第5番』自筆譜(総譜)・1ページ目
指揮は坂入健司郎さん。
今日は東京ユヴェントス フィルハーモニーを招いて合同コンサート。
実は姪の山口夏海がユヴェントスに入っていて第2ヴァイオリンで出演したので母と一緒に見に行ったのです。
東京で今度リサイタルをします。
3月24日(日)加賀町ホール
14:30開場15:00開演
お近くの方、お時間がありましたらぜひおでかけくださいね。
今日のプログラムの一曲目
ヒンデミットのウェーバーの主題による交響的変容
ナチスに退廃音楽のレッテルを貼られ、1940年アメリカへ亡命。
1953年までアメリカにいました。
その中で最も成功した曲がこの曲です。
ウェーバーの劇音楽「トゥーランドット」と、「4手のためのピアノ曲集」から主題がとられています。
こちらは地元のオケ リベルタだけの演奏でした。
若いオーケストラですが、難しいアンサンブルを小気味よく演奏してくれました。
2曲目はアントン ブルックナー(1824 - 1896年) オーストリア アンスフェルデン生まれ、オーストリア=ハンガリー帝国ウィーン没
の「交響曲第5番」変ロ長調WAB105。
『第4番「ロマンティック」』の第1稿を完成させた翌年、1875年の2月に作曲に取りかかります。
この当時、彼はウィーンでその都会的な空気に馴染めぬ中で職探しを行ったり、反ワーグナーを掲げる音楽評論家のエドゥアルト・ハンスリックに冷遇されたりするなど、経済的に困窮し且つ精神的にも落ち込んでいました。
それが却って創作意欲を高め、同年6月までに3つの楽章を書き上げ、続けて終楽章の作曲に着手しています。
交響曲第5番』自筆譜(総譜)・1ページ目
作曲開始から1年余り経った1876年5月に全曲の一応の形を仕上げますが、そこから丸1年経過した1877年5月に再度推敲を開始。
この再推敲では数多くの改訂が試されましたが、その際にチューバも必要楽器編成の一つとして追加しています。
1878年1月4日に完成となりました。
作品自体は完成しましたが、なかなか初演の機会に恵まれず、完成から16年余り経った1894年4月9日になってようやく、グラーツで 弟子のフランツ・シャルク(1866-1931年)
オーストリア帝国ウィーン生まれ、オーストリア エドラック没
の指揮により初演されました。が、当のブルックナー自身は老年期に入っていて病弱だったため立ち会うことが出来ませんでした。
またこの時のシャルク指揮による初演では、「時流に合わせてわかりやすくする」という理由で、曲の響きをオリジナルスコアから全く改変させてしまうほどの改訂を行っています。(2年後の1896年にドブリンガー社から出版されたものも同じ版)
この曲は、10ヶ月後1878年11月4日、オーストリア=ハンガリー帝国の文部大臣カール・リッター・フォン・シュトレマイヤーに献呈されています。
この背景として、1868年にウィーン音楽院教授に着任してから、
ブルックナー自身の生活水準は悪くなかったにもかかわらず、創作の時間が無いという不安から執拗なまでに助成金援助や要職への任命懇願を同国文部省に行っていました。
なおこのブルックナー着任当時、ウィーンでは作曲家として無名の存在で、音楽院内では必ずしも優遇されていませんでした。
「交響曲第5番」変ロ長調WAB108番
東京ユヴェントス フィルハーモニー
坂入さんの指揮のものがありました。
このシャルク版で演奏されています。