音楽の喜び フルートとともに

フルート教室  久米素子 松井山手駅 牧野駅 090-9702-8163 motokofl@ezweb.ne.jp

法事で

2024-01-30 21:03:00 | 近代
日曜は父の3回忌と義父の4回忌と、夫の誕生日てした。
父と義父は生まれた日はバラバラだったのに、亡くなったのは二人共夫の誕生日でした。
おかげて、夫は子どもの頃はあまり祝わなかったそうですが、親戚一同集まってお祝いするようになりました。

しかも父と同じ酒好き。
お墓に美味しいお酒をお供えして、その後お下がりをお誕生プレゼントに。

「お父さん、この酒が目当てでこの日にしたのかな?」とか…。
たしかに命日だけだとワンカップ位で済ましたかも…ひどい😅

義父は、千葉に住んでいたので生前はあまり会わなかったのですが、みんなが集まる日でお義父さんを囲んでにぎやかにできるようになりました。

母の弟、叔父さんも来てくれました。
中学生の頃に吹奏楽でトランペットを吹いていた所、喘息が出てお医者様に「トランペットばやめなさい」と言われたそう。
クラブの先生に相談したら、「じゃあサックスにしなさい。」
「楽器がありません。」というと、「ある。」当時自衛隊に海軍の下げおろしの楽器があったそう。

ネットオークションで落とした方の画像お借りしました。
アルミに分厚い革張りのケースに、サックスが、入っていてそれを借りて来て、演奏会が終わると歯磨き粉でピカピカにみがいて返したそう。
日本海軍のマークがついた楽器だったそうです。

刻印ってこれのことかも?

79歳。中学校教師で吹奏楽部を指導し、信愛大学、池田市民吹奏楽などを指揮していましたが、耳が遠くなってついに昨年全て引退。
しかし、今でもスケール、ロングトーンなどクラリネットの練習は欠かしませんし、毎日一万歩歩き、それだけでは上半身が鍛えられないと毎日100回は腕立てをするそうです。

耳の他に目は昔からあまり良くなくて早くからメガネでしたが、今のところ身体に悪いところはないそうです。
後、隠れキリシタンの歴史に興味があっていろんな話しをしてくれておもしろかったです。
今日は吹奏楽に半生をかけた叔父に敬意をこめて

吹奏楽コンクール常連優勝校淀川工科高等学校、丸谷明夫指揮でオットリーノ・レスピーギ(1879-1936年)イタリア王国ボローニャ生まれ、イタリア王国ローマ没

の1923.1924年作曲交響詩「ローマの松」
レスピーギ自身が1926年演奏の時のプログラムに
「『ローマの松』では、私は、記憶と幻想を呼び起こすために出発点として自然を用いた。極めて特徴をおびてローマの風景を支配している何世紀にもわたる樹木は、ローマの生活での主要な事件の証人となっている。」と書いています。

第1楽章ボルゲーゼ荘の松

ボルゲーゼ公園の松並木
レスピーギの説明によると
「ボルゲーゼ荘の松の木立の間で子供たちが遊んでいる。
彼らは輪になって踊り、兵隊遊びをして行進したり戦争している。
夕暮れの燕のように自分たちの叫び声に昂闘し、群をなして行ったり来たりしている。突然、情景は変わり、第二部に曲は入る。」

第2楽章
カタコンバ付近の松

「カタコンバの入り口に立っている松の木かげで、その深い奥底から悲嘆の聖歌がひびいてくる。そして、それは、荘厳な賛歌のように大気にただよい、しだいに神秘的に消えてゆく。」

ローマのサン・セバスティアーノ・フォーリ・レ・ムーラ教会のファサードこの地下にローマ時代の墓(カタコンバ)がある

カタコンバとは古代ローマでの初期キリスト時代の墓のことです。
信者たちの悲嘆と祈りに満ちた歌声が全オーケストラを駆使して描かれます。

第3楽章ジャニコロの松

ローマの市街を見下ろせる有名なジャニコロの丘

「そよ風が大気をゆする。ジャニコロの松が満月のあかるい光に遠くくっきりと立っている。夜鶯が啼いている。」
曲の最後にナイチンゲールの鳴き声が流されます。さて、淀工ではどうしたのか?

第4楽章アッピア街道の松 



ローマ時代の街道の石畳の遺跡が残るアッピア街道
「アッピア街道の霧深い夜あけ。不思議な風景を見まもっている離れた松。果てしない足音の静かな休みのないリズム。詩人は、過去の栄光の幻想的な姿を浮かべる。トランペットが響き、新しく昇る太陽の響きの中で、執政官の軍隊がサクラ街道を前進し、カピトレ丘へ勝ち誇って登ってゆく。」
オーケストラで作曲されましたが、吹奏楽編曲版です。