音楽の喜び フルートとともに

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ロジー伯のトンボー

2024-02-11 21:00:00 | バロック
朝、松井山手でレッスンの後、甲子園まで行きました。
甲子園は大阪のシンボル的な扱いで、名前は知っていましたが、降りたのは初めて。

「久米さん!」駅で、マンドリンi嬢に会いました。
「一緒に行きましょう。」
I嬢も初めてらしく
2人でスマホ片手に探しながら行きました。

駅からすぐでした。


甲子園公民館

ピンクのドアやカーテンがかわいいです。

私はギターの鈴木淳一さんと吉松隆シリーズ。

前にやった
「朝の歌」「L嬢の物語」「リムセ」「ベルベット ワルツ」
の4曲と、吉松隆のデジタルバードから、「鳥の歌」を初めてやりました。

コロナで寝ていたので、ほぼ練習なし。本番前5分までになんとか一回合わせて、無事演奏できました。


高井さんはタンスマン特集

本庄さんは


シルヴィウス ヴァイス(1687-1750年)グロットカウ生まれ(ブレスラウ生まれとされていましたが、最近の証拠によりグロットカウに修正されました。)ドレスデン没

ヴァイスは、生前は最も有名で、かつ技術的に最も洗練されたリュート奏者でした。

リュート奏者だった父ヨハン ヤコブヴァイスの下に生まれました。

ロブコヴィッツ家
ロブコヴィッツ宮殿
の第 4 王子フィリップ・ヒヤシンス (1680 年 - 1734 年) は芸術の後援者であり、イギリスへの数回の旅で楽譜を収集しました。当代最高のリュート奏者の一人である作曲家シルヴィウス・レオポルド・ヴァイスは、フィリップ・ヒヤシンスと二番目の妻アンナ・マリア・ヴィルヘルミーナ・フォン・アルタンの両方に音楽を教え、いくつかの作品を王女に捧げました。

その後ドレスデン宮殿に務めました。

トレモロ奏法の発明者と言われています
リュート曲の作曲家でもあり、約650曲以上(未考証を含めると約850曲)を残しました。

ヴァイスの作品の多くは、ソナタや組曲、舞曲などに分けられます。室内楽や協奏曲も作曲したといわれていますが、これらの分野の作品のほとんどが現存していません。

それは残された妻が貧しさから楽譜を切り売りし散逸してしまったと言われています。

後半生においてヴァイスはヨハン・ゼバスティアン・バッハ


と親交を結びました。2人が即興演奏を楽しんだとする言い伝えを記録しています。

ヴァイスの息子ヨハン・アドルフ・ヴァイスは、ドレスデンの宮廷リュート奏者として彼の跡を継ぎました。

「ロジー伯のトンボー」
トンボーは墓のことで
ロジー伯爵 (Johann Anton Losy von Losinthal ; 1650頃-1721) はボヘミアの領主で、その職の傍らリュートの研鑽を積んでいて、芸術の庇護者てした。彼が亡くなった時、作曲され、その墓の前で演奏されたと思われます。

ロジー伯は多くのリューティスト、音楽家に慕われ、おそらくヴァイスも、この一世代以上年上の先輩と面識を持ち、敬愛していたと思われます。