かぼちゃの花が咲いていました。家でかぼちゃを植えるの夢です。かぼちゃの花のリゾット一度食べてみたいから。
今朝はボーンズレッスン。
何をしようとしても、重力を利用することを考えること。
重力を利用して歩いたり走ったり、フルートを吹いたり、仕事をしたりすること。
今までのやり方は、何かをするために、体操したり、筋肉をつけたり、新しいやり方は、私を内側から見る、味わえるようになるためにすることです。
痛いところがあると、人は全身痛い。痛い私の中に浸りきっています。
新しい見方で見ると、これは「私の痛み」
私の痛みを、興味深く、観察できます
痛みは変わらないけれど、痛みによって起きる、今までの自分との違う体験を味わうことで、学びが起きます。
痛みを忌むべきもの、と考えている限り、不寛容で、不自由な自分を手放すことができない。
痛みは、体だけのことではなく、失敗や、うまくいかない相手、不利益をうけること人生で起きてくるいろいろな困難。すべての痛みを学び続ける自分の経験の一つとして、受け入れられるようになれれば、困難はなくならないけれど、その中でも、希望を抱き続けることができる。
自分の不幸は、ふりかかってくる相手や、環境によって起きるのではなく、それを不幸と解釈することによって、起きてきます。
そしてその解釈は、自分の中に無いものは出てこない。相手を憎いと考える時、自分の中に憎しみをOKにする自分がいるのです。
自分を被害者だと考えるとき、同じような状況にあった時、相手に加害しようとして、相手と同じかかわり方をする自分がいるのです。
そういう自分がなければ、同じ不幸は存在できない。
自分を幸せにしたければ、相手によって不幸を味わわされたという解釈を見つめなおすこと。それは、誰かに聞かなければできないこと。あまりにも、長い間、自分の解釈のレッスンを続けたから。
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