7日午後から、公民館のロビーで新年初の地域活動の打合せをスタッフ四人でしました。
の間に生まれます。
次兄ヨーゼフ シュトラウス
2月にある地域世代間交流行事を何にするか?
ドライフラワーを使ったスワッグ
クラフトテープのカゴ作り、
うどん作り
キャラ弁作り
ハンカチ動物作り
麦わらの蛍籠作り
「蛍籠?」麦わらで編んた蛍を入れる籠だそうです。知らなかった!
試作品を作ってきてくれた人もいました。
時期や経費、前回との兼ね合いも考えてうどん作りにしました。
コロナで、ずっとクッキングはやっていなかったのでそろそろいいかも。
強力粉に塩と水を混ぜて、ビニール袋に入れて足で踏みこねて、少し寝かしてから綿棒で伸ばして切ります。
これをすると、子どもたちはうどんをこねたり踏んだりするのを楽しめますし、なぜかいつも少ないお父さんの参加が多いので、いいかも!
で、決定しました。
地域行事も出発。
うどん作り。
準備しなくっちゃ!
エドゥアルド シュトラウス一世(1835-1916年)オーストリア帝国ウィーン生まれ、オーストリア= ハンガリー帝国ウィーン没
ヨハン シュトラウス
とマリア アンナ
の間に生まれます。
兄弟には、長兄ヨハン シュトラウス2世
次兄ヨーゼフ シュトラウス
がいます。
本人は語学に優れ外交官を目指していましたが、母が「遠い世界に行かされるのを不憫に思う親心」から止めたため採用されたのに辞めました。
ヨハン シュトラウス2世の「この上もなくしつっこい勧め」により、ハープや通奏低音、ピアノ、ヴァイオリンを学ばされます。
「ヨーゼフが人生の進路を変えさせられたように、ヨハンは私にも影響を与えて、彼の歩みについてゆく羽目になった。」(1906年に刊行された自伝『回想録』より)
1855年ハープ奏者としてデビューし、1861年指揮者としてデビューします。
1869年には「テープは切られた」で作曲家としても評価を得ました。
1870年母が亡くなり、次兄ヨーゼフが亡くなり、長兄ヨハンが気力を失って宮廷舞踏会音楽監督を降板。
エドゥアルドが跡を継ぎました。
しかし、クライマックスで兄が登場して代わって指揮を取り栄誉をさらったり、栄誉ある仕事を他人に与えたりするので
「いったいいくつになったら、兄は決して敵なんかじゃないという気持ちになれるんだ。
おまえがやたらと突っ張るせいで私たちの関係に時々ひびが入るが、おまえに対する兄貴としての情愛が変わっていないことは知っておいてもらいたい。」(兄ヨハン2世の手紙、1892年)
1897年妻子の浪費のせいで破産しましたが
「恵まれた境遇にある」とヨハン2世の遺産は遺言で与えられませんでした。
息子がヨハン シュトラウス3世としてデビューしています。
父や二人の兄に隠れて評価されていませんが、質は高く、日本以外ではよく演奏されています。
「蛍」op.161
去年のウィーンフィルのニューイヤーコンサートは全部見ましたが、今年は、大地震があり、ぜんぜん見ていません。NHKのEテレで放送中止にせずに放送したのでしょうか。
元日の夜はNHKも民放も全部、地震のニュースでした。(テレビ東京系は違っていましたが。)
1月6日にBSで配信されたようです。
私も聴き逃しました。見逃し配信してました!↓
https://plus.nhk.jp/watch/st/e1_2024010625985