今津公民館で西宮ギター練習会でした。
3ラウンドで川原さんと「オヴリヴィオン」を急遽吹きました。
は、メキシコの作曲家・音楽教師、ピアニスト。後期ロマン派音楽の作曲様式から新古典主義に転じた。
クレモンティーヌ モレールと結構
メキシコシティのパンテオン・シビル・デ・ドロレスに埋葬されています。
シルヴィウス・レオポルト・ヴァイス(1687- 1750年)ドイツ後期バロック時代の作曲家、リュート奏者
の作品」であると偽リました。
川原久美子さんと久米でジュリアーニの協奏的大二重奏曲op85の第3楽章と第4楽章を演奏しました。
明日ギターコンクールアンサンブル部門を受けられるという高橋通康さん
の演奏や、ポンセ組曲全曲を演奏されるツワモノも!
3ラウンドで川原さんと「オヴリヴィオン」を急遽吹きました。
打上げは失礼して、帰りました。
次男がいるからね。
6月30日夙川公民館でコンサートになりました。
カルメンとジュリアーニを演奏することになりました。
重い!超絶技巧!
頑張らなくちゃ!
3月10日(日)ドルチェ楽器梅田店で発表会に出ます。無料ですが、整理券あります。
入られる方は窓口で久米と言われると入れます。先着5名まで
出演は15:10くらいになると思います。
こちらはブリジアルディの
「ローエングリン幻想曲」を吹きます。
マヌエル・マリア・ポンセ・クエラル(1882-1948年)メキシコ サカテカス州フレスニージョ生まれ、メキシコ メキシコシティ没
は、メキシコの作曲家・音楽教師、ピアニスト。後期ロマン派音楽の作曲様式から新古典主義に転じた。
生後間もなくアグアスカリエンテスへ移りました。地方の聖堂で教育を受けつつ、16歳で教会の正オルガニストを務めるなど音楽の才能をあらわし、その後18歳からメキシコシティ国立音楽院で学びました。
1905年に渡欧、ボローニャとベルリンに留学し、リストの弟子のマルティン・クラウゼにピアノを師事しました。
1907年に帰国して、母校で教鞭を執り始めます。
ピアニストとしては、ドビュッシーなどの作品の紹介に努めました。
メキシコ革命の混乱
1910-1917年ディアス独裁政権に対し民主化を求める革命でした。
を避けて1915年から1917年までキューバに滞在し、この間にニューヨークで作曲家・演奏家としてデビューを果たしました。
を避けて1915年から1917年までキューバに滞在し、この間にニューヨークで作曲家・演奏家としてデビューを果たしました。
その後メキシコに戻ってフランス出身の女性歌手と結婚します。
クレモンティーヌ モレールと結構
1925年から再び渡欧し、パリ音楽院でポール・デュカス
1865-1935年パリ生没ユダヤ人作曲家
に作曲を師事、また同地でギター奏者のアンドレス・セゴビア
に作曲を師事、また同地でギター奏者のアンドレス・セゴビア
1893−1987年スペイン「現代クラッシックギター奏法の父」と呼ばれています。
と親交を結びます。
と親交を結びます。
短期間でしたがナディア・ブーランジェにも師事しています。1933年に帰国し、メキシコ大学や母校で教鞭を執る一方、ピアニスト、指揮者としても活躍しました。
晩年は腎臓病、リウマチに苦しみます。1948年、ミゲル・アレマン大統領から「芸術科学国家賞」を音楽家として初めて受賞しましたが、間もなくメキシコシティで尿毒症により亡くなりました。
メキシコシティのパンテオン・シビル・デ・ドロレスに埋葬されています。
ポンセは今日、ヤッシャ・ハイフェッツの編曲でヴァイオリン小品として有名になった歌曲『小さな星(エストレリータ)』(Estrellita)の作者としてよく知られています。
他にも新古典主義様式でヴァイオリン協奏曲やギター協奏曲『南の協奏曲』(Concierto del Sur, 1941年)などの大作も残しました。
初期のピアノ協奏曲は、シューマンを思わせる叙情性と情熱的な表現によって、ロマン派音楽の伝統で作曲されています。この他にも、ロマン派から印象派までの影響を受けたマズルカなどの舞曲、演奏会用練習曲、変奏曲やフーガなどのピアノ曲を多数残しています。
ポンセのオリジナルな器楽曲として有名なのはギター作品で、とりわけ、『「ラ・フォリア」を主題とする変奏曲とフーガ』(1929年)や、シューベルト没後100周年を記念する『ロマンティックなソナタ』(Sonata Romantica, 1927年 - 1929年)、
『ギター・ソナタ第3番』(Sonata III, 1927年)、『南国のソナチネ』(Sonatina Meridional, 1939年)は、セゴビアの演奏技巧を考慮して作曲されています。
フランス留学後は新古典主義、多調などを取り入れた先鋭的な作風に転じました。
組曲イ短調 ギター
大ギタリストのアンドレス・セゴビアの依頼で作曲した一連のバロック音楽の様式を模した作品群の一つです。
これらの作品の発表時にポンセとセゴビアは共謀して「バロック・リュートの大家シルヴィウス・レオポルト・ヴァイス
シルヴィウス・レオポルト・ヴァイス(1687- 1750年)ドイツ後期バロック時代の作曲家、リュート奏者
の作品」であると偽リました。
この「いたずら」にまんまと騙されて、しばらくの間「ヴァイス作曲」として紹介されていました。
実際には、バロックの作品にしては、転調や、半音階が用いられていて、何よりセゴビアがロマン派の演奏スタイルで有名な奏者だったため、どこまで本気で偽ろうとしていたかは疑問です。
組曲イ短調
「プレリュード」
「アルマンド」
「サラバンド」
「ジグ」
セゴビアの演奏で組曲イ短調から「ジグ」
そうですね。イエペスもセゴビアもそれぞれのスタイルがあるので、違いを聴いてみたかったですね。
禁じられた遊びをイエペスではなくセゴビアが弾いていたら
また違った印象になっていたのでしょうか