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暁の星

2024-03-06 20:38:00 | バロック
今日は子育てサロンの卒会記念回。
スタッフで朝からうちに集まって、記念のコルクボードで作るフォトボードの製作をしました。

今回は布のハートと星のオブジェを貼り付けて作ります。
裏側に両面テープをつけてあるので、お母さんたちに好きなところに貼ってもらってオリジナルのフォトボードを作ってもらいます。

当日、子どもたちの写真を撮ってクリップに挟んで仕上げます。

殿ニ校区子育てサロン ぽっぽくらぶ
3月12日(火)10:00〜会館との2
参加申込不要、無料。

ミヒャエル・プレトリウス(1571- 1621年)神聖ローマ帝国チューリンゲン地方クロイツブルク生まれ、神聖ローマ帝国ブラウンシュヴァイク ヴォルフェンビュッテル侯領ヴォルフェンビュッテル没

作曲家・オルガニスト・音楽理論家。当時の最も多作で最も多彩な作曲家の1人です。
プロテスタントの賛美歌の発展においてとりわけ重要で、プレトリウス一族の最も有名な音楽家です。

トルガウやフランクフルト・アン・デア・オーダー、ツェルプストなどで学びます。

ルターの弟子だった牧師の息子として、彼は 1585 年にフランクフルト・アン・デア・オーデルのマリエン教会のオルガニストになりました。

1595 年からはハルバーシュタット司教にオルガニストとして仕え、そこで多くの有名なオルガニストに新しい楽器をデモンストレーションしました。

彼の後援者がブラウンシュヴァイク=リューネブルク公になったとき、彼はヴォルフェンビュッテルに同行し、 1603年に楽長に 就任しました。
フリードリヒ・ウルリヒ(1591 - 1634年)は、ブラウンシュヴァイク=リューネブルク公
この職に就くためにドイツ中を頻繁に旅行する必要があり、そのおかげで彼は音楽演奏の指揮者、オルガンのコンサルタント、そしてオルガンのコンサルタントとして広く名声を得ることができました。

フランクフルトのマリア教会オルガニストを務めた後、1604年からヴォルフェンビュッテル宮廷にてオルガニスト兼宮廷楽長に就任します。

1613年から1616年まで、ドレスデンのザクセン宮廷に仕え、ヴェネツィア楽派(二つの聖歌隊と2台のオルガンを用いた二重合唱(複合唱 cori spezzati)の技法の開発)の複合唱様式(空間的に離れた位置にある複数の合唱隊が、交互に歌い継ぐという方法)による最新のイタリア音楽を演奏しました。

ジョヴァンニ・ガブリエーリのようなヴェネツィア楽派の作品を熟知していたおかげで、プレトリウスはその後教会コンチェルト様式を発展させることができました。

プレトリウスはルーテル教会の作曲家であり、驚くべき産業を築き上げました。
彼の作品の中心となっているのは、1,244 のコラール設定を収録した 9 巻の 『Musae Sioniae』


ですが、他にも多数の作品を出版しており、小さな楽曲から楽器のサポートを伴う大規模な多合唱の変奏曲まで、考えられるあらゆるスケールの作品が含まれています。

彼はまた、他の多くの典礼音楽や 312 の舞曲セット (テルプシコール) も書きました。彼の 3 巻の論文 『Syntagma Musicum』 (1619 年)
音楽大全

は、彼が旅行中に見聞きしたものに基づいた、ドイツの音楽、楽器、演奏に関する情報をまとめた貴重な総集編です。

プレトリウスは、とても多作な作曲家であり、ザムエル・シャイトやハインリヒ・シュッツ、同時代のイタリア音楽の影響を示しています。

プレトリウスの作品は、1000曲以上のコラールと賛美歌の編曲を含む9巻の曲集『シオンの音楽』(Musae Sioniae, 1605年 - 1610年)

などがあります。

そのほかは、ほとんどがルター派教会のための作品です。舞曲集『テルプシコレー』 (Terpsichore) は、プレトリウスの現存する唯一の世俗音楽集です。

3巻の論文集『音楽大全』(シンタグマ・ムジクム、Syntagma musicum, 1614年 - 1620年)

楽器が描かれていて現代の古楽器再現ブームの助けになっています
は、同時代の演奏習慣や楽器について詳細な説明と図解がなされ、音楽学・形態学研究や古楽演奏の分野にとって重要な文献となっています。

「暁の星のいと美しきかな」







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