オリエンタルリリー。
実家の玄関に母が生けました。
2012年5月9日サントリービジネスエキスパート㈱と新潟県農業総合研究所
が青いゆりを開発したと発表しました。
「ゆりには青色色素デルフィニジンを作るために必要な青色遺伝子フラボノイド3'.5'水酸化酵素の遺伝子が存在しないので青い百合は存在しませんでした。
6年間かけてピンク色のユリにカンパニュラの青色遺伝子を導入し、機能させることで花弁にデルフィニジンを含む青い百合の開発に成功しました。」
デルフィニウムからデルフィニジンを抽出
と、記事にありますが、
写真では青紫という感じです。
もっと青みを増やすようにこれからも開発していきます。と書いています。
サントリーは2009年には青いバラを開発しています。
ホアキン ロドリーゴ ビドレ(1901〜1999年)スペイン王国ザグント生まれ、スペイン マドリード没
3歳の頃に悪性ジフテリアにかかり、視力を失いました。
8歳でピアノとバイオリンの学習を始めます。
パリのエコールノルマル音楽院でポール デュカスに作曲を、モーリス エマニュエルに音楽学を学び、アンドレ ピロに学びました。
1924年に管弦楽曲子どものための5つの小品により、スペイン国家賞を授与されます。
1933年バレンシアでトルコ出身のスペインのユダヤ人ピアニストのヴィクトリア カムヒ(1905ー1997年)
と結婚します。
1939年パリでアランフェス協奏曲を作曲し、これが代表曲になりました。
この曲がきっかけとなり、ジェームズゴールウェイやジュリアン ロイド ウェーバーなどから協奏曲の依嘱が行われました。
1941年長女のセシリアをもうけます。
1947年よりマドリード総合大学の哲学科・文学科の教授として音楽史を担当しました。
1991年スペイン国王ファンカルロスにより貴族に列せられ、アランフェス庭園侯の爵位を授かります。
また、アストリアス王太子賞を授与され、フランスの芸術文化勲章も獲得しました。
1999年マドリードで老衰のため亡くなりました。97歳でした。
交響詩「青い百合のために」は1934年33歳の時に作曲されました。
カムヒと結婚して新婚生活を送っていた頃の作曲です。
この交響詩は中世バレンシアの伝説に基づいています。
ある国の王が病気になります。
3人の息子たちがその病を治す霊力を持つとされる「幻の青いユリ」を探す旅に出ます。
末の息子がそのユリを発見します。
しかし彼は野心に燃える兄達に殺されてしまいます。
すごい努力と才能の人だったんですね!
余談ですが、アランフェスといえば「愛のアランフェス」という少女マンガがありましたね。
学生の頃、少年マンガ、成人マンガに加えて、「マーガレット」を読んでいたんです(なんか恥ずかしいですが(笑))
1973年に、ロドリーゴフェスティバルなるものが行われてその東京公演に行き、
郵便貯金ホールの、確か、何列か前の席にロドリーゴが座っていて、同じ空気を吸ってるって感激したのを思い出しました。
品種改良は以前から行われてきましたが、遺伝子レベルの操作ができるようになって、早く結果が出るようになってきましたね。
アランフェス協奏曲があまりにも有名なのですね。
「愛のアランフェス」読みました〜!
うれしいです。
マーガレット!懐かしいです。
大丈夫ですよ!私もジャンプやマガジン友だちに借りて読んでました。
コータローまかりとおるなんて楽しみにしてました😅💦
それでもまだ赤紫…やっぱり自然は一筋縄ではいかないですね。
そうなのです!ギターだけでは無いのです。
ロドリーゴの後ろ席!それはうれしい💖
感激ですね!