土曜日に行った梅田エスト1とナビオの間の道は小さなお店のショーウィンドウが並んでいます。
カジュアルな洋服屋さん。
こっちはバッグの専門店
これは何だったのかな?わからなくなってしまいました。
フリフリレースのかわいい服のお店。
ナビオの入口前のクリスマスツリー
これは三階建ての建物くらいの高さがありましたが、こうやって撮ってみると周りの建物が大きくてさほど大きく見えませんね。
ユールログ1832年
晩年のフランツ・リスト(おそらく1870年代以降)
後列左から
ニューヨーク・ロックフェラー・センターのクリスマスツリー
第6曲 鐘 Carillon ; 教会の鐘が静かに鳴る情景を現しています。
今の時期はクリスマスツリーの饗宴。
楽しくて、写真撮りまくってしまいました。
ピンクと白は、かわいい婦人服のお店。
こちらはモード系の婦人服。
カジュアルな洋服屋さん。
こっちはバッグの専門店
これは何だったのかな?わからなくなってしまいました。
フリフリレースのかわいい服のお店。
ナビオの入口はハローキティのクリスマスヴァージョン。
ナビオの入口前のクリスマスツリー
これは三階建ての建物くらいの高さがありましたが、こうやって撮ってみると周りの建物が大きくてさほど大きく見えませんね。
北ヨーロッパに住んでいたゲルマン民族の冬至のお祭り「ユール」から系譜を継ぐものではないかと言われています。
ゲルマン民族は「ユール」の際、樫の木を「永遠の象徴」として祭祀に用い、崇める対象としていました。
ユールログ1832年
クリスマス前夜に炉で焚く大きな薪のことで、発祥は中世ドイツといわれ。森で巨木を伐採して、多くの場合リボンで飾られ、家へと運ばれるます。
家に運ぶ際、同行しているうちで最年少の者は、薪の上に乗り、ブルターニュでは、家族の最年長者と最年少者がこの薪に乗って、祈りをささげました。
樫の木に代表される常緑樹を信仰する風習は、ゲルマン民族だけでなく、古代エジプト、中国、中近東など世界各地で確認されています。
古代ヨーロッパでは、強大なローマ帝国が徐々にその版図を広げていきます。キリスト教を国教とするローマ帝国は、キリスト教以外の宗教を認めなかったため、異なる宗教を持つ他民族としばしばぶつかることとなりました。
そんな中、8世紀のドイツ(当時のフランク王国)において、キリスト教布教活動のためにゲルマニアの地に踏み入れた宣教師が、ゲルマン民族のお祭り「ユール」に遭遇します。
そんな異教の信仰を止め、正しいキリスト教の道へと導かなければと考えた宣教師は、樫の木を切り倒します。
するとそのすぐそばからモミの木が生え、それを見た宣教師は「奇跡の木だ」と感動します。
と言うのは、モミは横から見ると三角錐型をしており、頂点に神、両端に神の子イエスと精霊が繋がっている「三位一体」を体現していると捉えられたためです。
これが、のちのクリスマスツリーとなりました。
ただ、これは「オーディンの樫の木」として伝わっている神話です。実際には、他民族を懐柔・征服する過程で、土着信仰の行事とキリスト教が融合していったのではないかと言われています。
常緑樹が使われるツリーは、古代から続く「永遠の象徴」を表現した存在です。
キリスト教では、これに加えて「神の永遠の愛や神が与える生命を象徴する」といった意味が込められています。
ツリーの頂上部に飾る星はイエス・キリストの降誕を知らせたベツレヘムの星を表しています。
また、クリスマスツリーは旧約聖書の『創世記』に登場する「知恵の樹」の象徴であるという説もあります。
蛇にそそのかされたアダムとイブが「禁断の果実」を口にし、その結果神によって楽園を追放されてしまうという話が有名ですが、その「禁断の果実」がなっていた木が「知恵の樹」です。
ツリーによく飾られる球形のオーナメントは、アダムとイブの食べた「禁断の果実」を象徴しているといわれています。
フランツ・リスト(1811-1886年)オーストリア帝国ハンガリー王国ドボルヤーン生まれ、ドイツ帝国バイエルン王国バイロイト没
晩年のフランツ・リスト(おそらく1870年代以降)
「クリスマス・ツリー」Weihnachtsbaum S186は1874-1876年にかけて作曲された曲集です。
この曲はリスト晩年のローマで、孫娘ダニエラのために作曲したものです。
後列左から
ダニエル、コジマ・ワーグナー
前列左から
アンナ・ラガー(リストの母親)
ブランディーヌ
ガバネス(家庭教師)
左からコジマ、ブランディーヌ、ダニエル
左からコジマ、ブランディーヌ、ダニエル
リストには3人の子供と6人の孫がいました。6人の孫の1人はブランディーヌの子ども、5人はコジマの子どもです。
ダニエラ・センタ・フォン・ビュローは1860年10月12日、ベルリンで生まれました。コジマとハンス・フォン・ビュローの娘、リストの最初の孫です。
1980年に、12曲にまとめた版がベーレンライター出版社から出版されました。
「クリスマスツリー」は古い民謡や教会の聖歌などを原型としたものです。
第1曲 古いクリスマスの歌 Psallite ; この楽曲は詩篇歌の歌詞がついていますが、ピアノのみでも弾くことが可能な曲です。
第2曲 おお、聖なる夜! O heilige Night! ; この楽曲も第1曲と同様に、クリスマスの歌詞が付いています。
第3曲 かいば桶をかこむ羊飼いたち Die Hirten an der Krippe ; この楽曲はハルモニウムで弾くことも可能です。6/8拍子の曲。この楽曲の動機は、アッシジの聖フランチェスコ
現存最古のフランチェスコ像(スビアーコの聖窟のインフェリオーレ教会蔵、1223年作)
の太陽賛歌と共通しています。
の太陽賛歌と共通しています。
第4曲 信者たちよ、キリストへ Adeste fideles ; この楽曲は東方三博士
イタリア・ラヴェンナのサンタポリナーレ・ヌオヴォ聖堂にある、三博士のモザイク画(526年)。上にBALTHASSAR、MELCHIOR、GASPARと書かれている
の行進になっていて、今日でも教会で賛美歌として歌われています。
の行進になっていて、今日でも教会で賛美歌として歌われています。
「誠実な人々よきたれ」という邦題がつけられています。
第5曲 スケルツォーソ Scherzoso ; 人々がクリスマス・ツリーのろうそくに火をともしますす。
ニューヨーク・ロックフェラー・センターのクリスマスツリー
第6曲 鐘 Carillon ; 教会の鐘が静かに鳴る情景を現しています。
第7曲 仮眠のうた Schlummerlied
第8曲 古い田舎のクリスマスの歌 Altes provencalisches Weihnachtslied
第9曲 晩鐘 Abendglocken ; リストは青年期から晩年まで鐘をピアノで表現しています。
第10曲 むかし Ehemals
第11曲 ハンガリー Ungarisch-Natale Ungherese
第12曲 ポーランド Polnisch-Natale Polacco
第11曲と第12曲は技巧的で、それぞれリストとカロリーヌ
カロリーヌ・フォン・ザイン=ヴィトゲンシュタイン侯爵夫人。ポーランド系貴族で、祖国の膨大な領地を治める大地主。キエフでリストと知り合い、作曲家としての創作活動に専念すべきとリストを説得して、ピアニストから引退させた立役者であり、リストの後半生に最も大きな影響を持ったパートナーでもありました。読書とタバコを愛する知的教養の塊のような女性でした。
の故郷を現しています。
の故郷を現しています。
クリスマスツリー
り第4曲「信者たちよ、キリストへ 」Adeste fideles
「誠実な人々よきたれ」
ウィンドーのツリーをバシバシ激写する久米さま、かわいいです💛
わが家はサンリオピューロランドが歩けることろにあるため、街中がキティ>クリスマス、となっております☆
オーストリアやドイツ、ハンガリーやポーランドのクリスマスのふんいきを味わってみたいです🐻🎄