うちのミニバラのホノラ。買ったときは白バラにピンクのふちどりがあったのが、すぐ白バラになっていました。ところが、冬の間にピンクの刺し込んだつぼみができました。
寒いので、そのまま3週間。まだ咲きません。ピンクが濃くなってきたような気もします。
土やお天気の条件で変化しているのでしょうが、とても興味深いです。
今日は樟葉モールのリニューアルオープンの日。
「お昼ご飯食べに行こうか?」
と次男に声をかけて、一緒に。
鉄ちゃんの聖地。特急が一両丸々展示してあります。中に入ってシートに座ることができます。
ジオラマは、ひらパーのメリーゴーランドを動かして見ることができます。
やった、これが噂の運転シュミレーター。300円で体験できます。見ていたら大人ばっかり体験していました。
島村楽器が入っていてオープン記念特価で525円のバークレーの楽譜立て。2本買ってしまいました。今時、スティールですが、思ったほど重くはありません。
立てるところは少し奥行が狭いものの、結構しっかりつくってあります。首はねじ式で、調整しやすいです。
支えの足は少し短め。このしっかりしたクッションはいいかも。
日本初出店の服飾やら、芸能人の花輪がたくさん飾ってあったお店も何軒かあったようですが、どこも人でいっぱい。次男も私も興味無く、猫に小判。
肝心の昼食も、人で列をなしていて、あちこち探し回っただけで、疲れきり、結局スーパー成城でかぼちゃのスープを買って帰りました。
実家の金のなる木。お金はないけれど、花だけは元気に咲いています。
今日の子育てサロンは、地域の若いお母さんたちがやってきて人形劇をしてくれました。
そもそも子育てサロンを卒会したMさんが、自分たちで人形劇のグループを作り再訪してくれたのでした。
こういうつながりは大事にしなくてはなりません。
終わった後もお茶とお菓子を食べながら、情報交換。また、来てもらおうっと。
4人の元気のいいお母さんたちが、人形劇をしてくれたら、子どもたちはびっくりして、くまのくーたんを見て大喜び。
くーたんがひもをひっぱっていろんなものを出すたびに、声を上げて笑ってくれました。
今日は、年度末。
卒会する子どももいます。今日卒会する子どものためにYさんがサロンに来た時にとった写真を何枚か取り込んで一枚に作ってくれました。
それを見たY・YさんとMさんが、「台紙ををつくろう。」って台紙に写真を貼って色画用紙に汽車を切り張りしてかわいいいアルバムができました。
来てくれてありがとう。
笑顔をありがとう。
元気をありがとう。
一緒に遊んでくれてありがとう。
成長を見せてくれてありがとう。
本当にありがとう。元気でね。
今日は、午後から実家で、次男と一緒に母のお手伝い。
朝晴れていたのに、13時頃牧野を出発したら、雨交じりの雹。
それが、招提辺りでは、すっかり大雨。
そして一号線をまたぐと、大きな牡丹雪。
最後に山手幹線を過ぎると、粉雪。
一日で、何種類もの冬を経験できてお得。なんちゃって。
母は、昨年使いまくった高額医療費の税金の控除と共済保険を受けるために、領収書を整理していたら、あまりの多さに、まいってしまったらしい。
行ってみるとテープルいっぱいに領収書を広げて「原本がない。」と大騒ぎ。
次男と手分けして探してみましたがありません。それも何枚ものコピーがあるのに原本がありません。
ははーん。「これは、コピー機の上に忘れてきたんじゃない?」
「そうかな?」聞けば長男に頼んでやってもらったらしい。
しかも両面コピーをしてきたらしく、一枚づつ切り離すので、裡面にコピーした分は全てボツ。
「もう1回、行ってきて。」我が息子ながら、使えないやつ・・・。
A3、37枚分の領収書をコピーして、切り離し、医療機関別に分けて、時系列に並べ4時近くまでかかって田辺市役所に持っていったら、入口に「本日の受付は終了しました。」の張り紙。
9時~5時までと聞いていたので安心していたら、受付は4時まででした。
時間は4時2分。惜しい。
脱力した次男と私を尻目に、「聞いてから帰るわ。」と母は、税務の隣の市役所保険課と、税務課で、申告の仕方で気になっていたところを確かめてから、帰りました。
車だからまだいいけれど、電車やバスを乗り継いで来ていたら本当に大変なことでした。
労災の医療費などは、医療機関に初めから払わなくてもいいようなシステムになっていますが、共済はなんで進まないのかしら?
老老介護が当たり前になりつつあるのに、本当に大変。
しかも、まだ終わりません。
鞆の浦で出会った豆柴の兄弟。二匹かと思ったら、もう一匹いました。3匹とも人に興味深々で、近寄りたい、でも内気すぎて近寄れない。
こっちから近寄ったら逃げていきます。
生き物が好き過ぎて4月に生物学科に入る次男。手を出してじっと座って待っていると、犬の方から近寄ってきました。
次男が生まれて、初めて家に連れて帰ったら、いつもは知らん顔の隣の犬が興奮して寄ってきたことを思い出しました。昨日のような気がするのに、子どもは成長するものです。
今日は、父を見る日。
実家で夕飯を作って父と二人で食べました。今日は、夫は病院、次男は友達と食べるから夕飯はいらないとのこと。
しかし、20時過ぎに「二人共家にいるんだけど、今から行くから、夕飯は食べてない。」と電話。
夫は「食べるものないでしょ。スーパーで惣菜買っていくから。」
しばらくしてやってきた夫と次男に、父は嬉しそう。
「よおっ。久しぶりやな。」
ソファでテレビを見ていた父が、立ち上がって冷蔵庫を覗きに行きます。
「なんか飲もか。」
「いや、お父さん、車ですから。」
「え、そうなんか。」
二人が夕飯を食べていると、しばらくするとまた父が立ち上がって、今度は食器棚の下の扉を開けに行きます。
「焼酎がないわ。酒ないかな?」
「いや、お父さん。歯医者に行って、麻酔が聞いて口が麻痺してますから。」
「何言ってるのか、ようわからんなぁ。外国語しゃべってるみたいや。」と、またソファに腰掛けます。
しばらくするとまた立ち上がって。「酒がないなぁ。飲まんのか?」
「いや、お父さん。今日は、飲めませんから。お気遣い無く。」
息子たちの時は、「飲むか?」と声をかけるだけなのに、夫になると体が動いてしまうらしいです。
歩いたほうが認知症の進み具合が遅れるそうです。
毎日、夫に来てもらおうかしら。
世界が、荒々しい方向に漕ぎだそうとしているように見える中で、愛を選び続けるのは本当に困難です。
非暴力の民主化運動をしたガンジーは、後世の人はこのようなことがあったということを信じないだろう。と言っています。
しかし、ガンジーだけではありません。今までに、暴力を選ばずに世界を変えた人は歴史にたくさんいます。
終戦を知らずにジャングルを何十年もさまよっていた小野田さんは、上官の命令がなければ、戦いを止めないという戦時下命令システムを守り、発見されて上官から命令をとかれるまで戦時下にずっと、いました。
戦争が人の見え方の問題であるということを、この事実はあぶりだしています。
何十年の間、一人の敵兵を見ずして、なお、孤立を選ぶ心。
見事な戦時下教育の結実。
情報は全て戦いのために使われます。
暴力によって対人関係を解決することができると信じている子どもを見つけたら、誤りをただし、一刻も早く教育しなければなりません。
時が経てば経つほど、問題は複雑になり、深刻さを増して来るからです。
その道のりは困難なものになるでしょう。
愛するということは、一般に思われているほど簡単なことではありません。
人類はみな未熟。
振り上げた拳を降ろし、復讐を諦めることほど、勇気のいることはないのです。
心からの仲間には、後ろに武器を隠し持っていてはなれないのです。
命懸けで握手すること、信じることほど難しく、勇気のいることはないのです。
そして、それだけが、この世界の人々を守る唯一の方法なのです。
鞆の浦は、江戸時代から保命酒といって漢方の薬草を漬けたお酒で繁栄したところだそうです。
街は酒屋さんでいっぱい。通りも、岡田家酒造通りなど酒屋さんの名前が入っています。軒先の杉玉は酒屋さんの看板です。
保命酒は地黄、茯苓など16種類の生薬を酒精に漬けこみ
太田家のこの広い部屋の正面一番奥には、
こんなものが置いていあります。保命酒を絞る機械だそうです。
すごいです。
大阪生玉出身の医師の中村壌平利時が1659年鞆の浦で、製造販売したのが始まりだそうです。明治になって専売禁止令で大田家に引き継がれ今に至っているそうです。
潤沢な資金は家の作りにも現れています。天井は竹で編まれた網代(あじろ)天井。
それに、広い。蔵やら、お風呂ややら、なん部屋あるのやら。
中庭もいい感じです。
こちらは、薬酒を入れておいた壺など、金魚が入っていました。
昔の用途とは違うけれど、形を変えて現役です。
この急な階段も現役。
古いものを町ぐるみで大切にする。
ケースに入れて飾っておくという大切ではなく、お雛様やお道具屋を使いきるという、商人の合理精神と結びついていて、もっと生活の中に根ざしている感じがしました。
次男が広島の大学に通うことがきまりました。で、土日に夫と次男、私の3人で部屋を探しに行ってきました。部屋は土曜日に見つかったので日曜日はちょっと足を伸ばして鞆の浦に行ってきました。
この港は、瀬戸内の3つの潮流が合流するところにあるそうで、古くから潮待ちのためにたくさんの船がやってきて停留し、また出ていったそうです。
交益が盛んで、街の商人は栄え、豪商の家が立ち並びました。明治時代になって衰えたものの、今も商家が保存されています。
その家々を借りて、お雛様が飾られています。
これは現代の創作雛です。小さな梅の花の中、一つ一つにお雛様やお内裏様が鎮座されています。
これは、太田家といって、保命酒の作り酒屋の家に飾られていました。この写真のずっと奥の方まで太田家です。
こちらは、江戸時代のお雛様。現代のお雛様とお顔の趣が違います。
福山はお琴の生産日本一。お琴の演奏を聴きながら、たくさんのお部屋、お雛様を見せてただきました。
こちらは、池田家のお雛様。向かって左が、明治。右が昭和のお雛様だそうです。
こちらでは、ひな祭りに子どもたちが実際にお料理を作っていれたりしたお道具が展示されていました。ままごと用ですね。でも、精巧に作ってあってびっくりしました。
こちらは、太田家の番頭さんが住んでおられた家での展示で、享保時代のお雛様だそうです。
説明してくださった女性がこの家に嫁いでこられて時に持ってこられたそうです。岩手、花巻の方でそのご縁で震災で被災したお友達のお雛様をこちらで預かって展示されていました。
この被災した建物の2階にあったそうで、泥だらけだったものを洗って、それでもあまり綺麗にはならなかったけれどおばあちゃんから大事にされていたものだからと、こちらのお雛様と一緒だと寂しくないだろうと預けられたそうです。
これは、もう物質とか人形とかいうものではなくて、人々の思い、気持ち、心なんだなぁと思いました。
無くても死んでしまうことはないけれど、こういうものを全て無くしてしまうと元気がなくなります。
街の人たちがボランティアでガイドをしたり、みんなで古いものを大切にしているのが、伝わってきて、本当にいい街だなぁと思いました。