音楽の喜び フルートとともに

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おいしい生活

2016-10-17 20:29:33 | 音楽

かわいいお花が咲いていました。
実家の庭のお茶の木。昔、祖母が植えたそうです。

土日も週明けも、実家の夕飯作りです。
ごはんや肉類を減らし、野菜多めを心がけ、豆類を必ず取ります。

今日は、これに母が買ってきたお造りもつきました。
音楽を続けるためには、健やかな身体や、心が望ましいです。
望ましいと書いたのは、必要条件ではないから。
古今東西、身体が弱かったり、障害をもっていたり、貧乏だったり、生活や、人間関係が破綻して夭折した天才音楽家の逸話は、山ほどあります。

でも、その音楽家たちが、後、何十年か長生きしていたら、どんなに素晴らしい曲や演奏、あるいは後進を育てていたかもと思いませんか?

平均年齢もずいぶんのびました。
昔言われていた6歳までに習い始めなくてはいけない。などという神話はどんどん破られ、50代デビューや、80代現役の演奏家などが、出ている時代。

才能の高はわかりませんが、今すぐ答えが出なくても、元気でやり続けていれば、人生何が起きるかわかりません。

毎日の食事や生活に気を配り、練習。
それで、何も起きなかったとしても何の損もありません。

健康と音楽のある美しい生活が、そこにあります。






マンドリンオーケストラと

2016-10-14 21:20:46 | 音楽

日曜日は、マンドリンオーケストラと合わせ練習でした。
調弦がないので、13時までに会場に行けばいいけど、前回みんな早かったから、30分ほど前についたらいいかなぁ。
なんて、思って家でゆっくりしていたらもう1人のフルートパートの先輩からお電話いただきました。

「福井から出てきて、練習の回数が少ないから、一緒に練習しませんか?」
「え?今からですか?」
「はい。私はもう会場についてるので、」
「今から行っても1時間はかかりますが。」
「だったら、12時ごろですね。」
「お昼食べたりして待ってますので、お願いします。」
「はい、わかりました。」

そういえば、1週間ほど前にお電話いただいた時に、「当日会場のロビーででも、練習しましょう。」と言っておられたような…あれは、練習日、当日という意味だったのか?聞き間違いかな?自信がない。

とにかく行かなくっちゃ!
夫に車で樟葉まで、送ってもらい大慌てで、小阪に、12時過ぎにつきました。

初対面のU先輩。
「ごめんなさいね。下で練習しましょう。」
大きな会議室を、独占。
マンドチェロの先輩にもおつきあいいただいて、音をだしてみました。

私の作ったパート譜が、うまくいっているか見るのにいい機会です。

特にハーモニー。
オペレッタ「ボッカチオ」の作曲家スッペは、1800年代のウィーンで、とても人気のある流行作曲家でした。

イタリアの貴族出身の彼は、メロディメーカー。美しく、大衆が歌える歌を得意にしていました。

オーケストレーションは、そう複雑ではありません。

力の入った何曲かは、声部が重なったり、追いかけたりしていますが、大半はメロディと、和音をとったリズム部だけでなりたち、歌はユニゾンか、オクターブ、3度下といったシンプルな形で進行しています。

なので、複雑な和音進行や、装飾的な管楽器の動きがないので、だいたいは1stマンドリンのfの部分の厚みを増すだけの単純な編曲になってしまいました。

ところどころは、1stと2nd。
マンドラと低音を支えたり、
まれにトランペットのファンファーレを取ったり。

これがビゼーだったら、もう少しオブリガードや、装飾的な音が取れたのですが。

しかし、与えられた曲をどう活かすか?
フルートが入ることで、より美しくならなくては、意味がありません。
原曲には、フルートが入っていますが、入っているからとそこを入れてもマンドリンオーケストラでいいかどうか?というとまた別物。

それは、考えたら、すごい傲慢なことかもしれません。

スッペの書いたものでもなく、プロの編曲家が書いたものではなく。
でも、スッペが書いていない音は、一音も入れていません。

スッペと編曲家をリスペクトしながらもフルートを入れること、うまく行っていると、わたしは思いましたが、どうでしょう?



信楽

2016-10-13 23:23:23 | 日記

暑かったのに、一挙に秋の気配。
日曜に信楽に買い物に行ったら、芸術祭をやっていて、大渋滞。
駐車場も、駅前は無理で離れたところにある小学校の校庭。
そこから、乗りました。

駅前には、模擬店がいっぱい。
まず、腹ごしらえです。
信楽名産しいたけの入ったピザと売っているおじさんが、琵琶湖で今朝取ってきたワカサギのフライ。

「琵琶湖は、プランクトンが多いから身体が大きくて美味しい。日本一や。」
確かに大きくて臭みもなく美味しかったです。

やっぱり狸。
ムカシトンボも焼き物を買いに?

これ5個で千円!!

昔ながらの倉庫も奥の奥まで入れてくれます。

帰りのシャトルバスを降りたら、迎えてくれたのは、小学校の人形。

さすが、甲賀忍者の里!

最後は、いつものお店。いつもの睡蓮鉢は、花盛り。植木鉢を買いました。


うちの睡蓮は、陽が少なくて枯れてしまいました。いつかは、こんな風にしたい。

帰りは、すっかり秋空。

I先生のマスタークラス

2016-10-12 22:43:43 | レクチャー、マスタークラス

土曜日は、梅田でI先生のマスタークラスでした。

Es-durのロングトーンの途中で、先生のアルタスと私のパウエルを並べて「キーの位置が、違うでしょ。これだけ違うと音程に気をつけなくては。」

五線上のC# は、高い。Bも少し高い。
Esは低い。

Esdurのアルペジオは、微妙な調整をしながら吹きましょう。

スラーは、息を切ったり、舌を動かしたりしないで、一本の息で、できるだけ滑らかに吹きましょう。

滑らかにに吹かないということは、作曲家の意図に反しています。

指は、キーに対して立てて、指の腹ではなく、指先でキーの穴を塞ぐようにあてましょう。

書いているアーティキュレーションは、必ず守りましょう。

先生の耳は、どんな音のブレも逃しません。
自ずと集中し、慎重に演奏することになります。

諦めないで、練習しましょう。その集中を持って。



母帰宅

2016-10-12 00:00:13 | 日記

昨日の空。
うろこ雲が、美しかった。
突然、すっかり秋の気配です。

朝から、子育てサロンの運動会。
夕方は、実家のお手伝い。
妹と交替。
ようやく、母が帰ってきました。

三角巾を外して、スカーフをつけました。

ギプス代わりのプラ板を外してみると

こんな感じ。

「臭うから、洗って」というので、セスキ水を吹きかけて拭いてみると、全く臭いがしなくなりました。
さすが、セスキ!
全く臭いが消えました。
タンパク質と油汚れには、アルカリ性が効きます。しかも、分解すると水になるので、環境やさしいです。
母に嗅いでもらうと、自分の手にセスキ水をスプレーして洗いに行きました。

お肌は弱酸性なので、弱い人は真似しないでね。
といっても、500倍なので余程でないと大丈夫です。

両親を皮膚科に連れて行き、その後、ふとんカバーを買いにムサシへ。
8時前に帰って夕飯の用意を仕掛けたら、「薬をもらうのを忘れた!」と母。

「まだ間に合う。」父のアレルギーの薬をもらっておかないと、明日は行けない。
車で駆けつけ、5分前になんとか滑り込みセーフ。

帰って、もう一度続きを作ってたべました。

明日は行けないので、母が野菜を切らなくても良いように、野菜を切って鍋の用意をしておきました。

いろいろありましたが、今日はこれくらい(^◇^;)ごめんなさい。

プロの仕事

2016-10-07 22:07:41 | 日記
母の退院は10日になりました。
週末から10日までは妹が、見てくれることになって、しばらく安心です。

30日の夜から、ちょうど10日の入院になりました。
今日も母と会って来ましたが、グルグル巻きの包帯の隙間から見えている指先は、腫れてシワがあまりありません。

それでも1日に2回リハビリをした後は、むくみがとれるそうです。
一刻も早く動かした方が、治りが早いのだそうです。

金具は1ヶ月後に取れるそうで、帰っても、前の生活に戻るのは、まだ先のようです。
母は自分のお稽古は休んでも、生徒さんへのレッスンは、すぐにはじめるつもりです。
「口でできるでしょ。」ですって。
やっぱりね。

父の方は、この夏、どんどん動かなくなって、立ちあがるのもようやく、トイレには立つものの腰は曲がったまま、椅子の背や壁で身体を支えて伝い歩きになってしまいました。

医師は、「身体は加齢以外は健康、運動して下さい。」と会うたびに言いますが、促そうが、一緒に体操しようと誘っても、散歩さえ嫌がります。
それに、男は家の中では、動く動機がないです。
「ティッシュ取って」「お茶ちょうだい。」何も用事がなく座ったきりの父が女たちを動かそうとします。

地獄への道しるべです。
このままなら、年内に歩けなくなります。
小さな抵抗ですが、動きたくなってしまう私がいますが、動かないようにします。
しかし、微々たるもの。
このまま弱るしかないのか?と、暗い気持ちになっていましたが、ケアマネさんに頼んで、リハビリ付きのデイサービスを探してもらいました。

すると、見つかりました、そこに通って
週2回、1ヶ月。
昨日、すっくと立って腕時計を外していました。
今日は、どこも持たずにトイレに行きました。座り込んで着替えていたのが、立ち上がってズボンをはいています。
ノートに「施設の中を四周されました。」と書かれていました。

送って来た時にお礼を言ったら、「いえ、私たちではなくて、お父さんの力です。皆さんがされると、一緒に身体を動かしてくださるから。」と、言われます。

「力が出てくると、転ばれる方がいますので、それだけ気をつけてあげて下さい。」
と、アドバイスも頂きました。

本当にプロフェッショナルの仕事だと思いました。素晴らしい!私もこうありたいです。
本当に感謝です。












昼ごはん

2016-10-06 22:03:43 | 日記

昨日の夕食。
「おいしい?」と父に聞いたら、「まだ生きてるわ!」
完食してくれた。

今日は、4時半に病院に呼び出され、医師から治療予定を聞きます。
父の朝食、昼食、ゴミ出しを長男に頼んでいました。
4時前、実家に寄ってみると

チヂミの上に、「昼ごはん」の紙。
なんだこれは?
他に、朝ごはんのお弁当のパックは、お豆の炊いたもののほかは、食べてあります。

長男はいないし。朝食べさせて出かけたらしい。

「お父さん!ご飯食べたの?」と、聞くと、「え、そうやったかな?」と、立ち上がりかけます。
「いや、いいよ。もういっぱい食べたから、もうすぐ夕食だし。」
お弁当一個食べてたら、お腹は多分大丈夫。いまから食べたら夕飯が、食べられない。

病院に行ったら、母が「冷たいから、食べへんかったんやろう。」
って、大丈夫。
作って食べる他は、考えられなかったし、おいとけばいいなんて、考えもしなかった。毎日ってわけでもないから、こんな時もあっていいんだなぁ。と思うと肩の力が抜けた気がしました。

今夜はこれ。

さすがに連日は、まずいので、野菜たっぷりのベーコン、ビーンズスープを作って、長男に、朝ごはんに出すように頼みました。



来年の中秋の名月は、10月4日

2016-10-05 22:37:45 | 音楽

母のいない夕食。
もう、父は母を探すこともないです。
食事は完食しています。

午前中.月見の宴の主催Kさんが、来てくれました。
もう来年のことを考えているそうです。
来年は、10月4日水曜日が中秋の名月だそうです。

全国で、中秋の名月に宴をしたいそうです。
平日より土日開催と言う話も実行委員会で出たそうですが、そこだけは絶対に譲れないそうです。
中秋の名月にするので、風情があり、伝統になるのだと。
「僕がいなかったら、土日になっていきますよ。」
「そうでしょうね。」

「ボランティアも、なかなか難しいです。次の日、後片付けや掃除したんですが、4人だったんですよ。なんか考えないといけませんね。」
「それは大変ですね。お手伝いしますよ。」
「いやいや。何か考えます。」

「舞台に使った段ボールですが、硬くて、水や、火にも強い。何より良いのは、要らない時はたたんで倉庫に入れられることですよ。」
「形も変えるのも、簡単ですね。」
「野外舞台になるし、お祭りの時は櫓になりますね。」
「アメリカでは、終わったら捨てるんですよ。リースより安い!」
新しい技術で、たくさんの人が手軽に楽しめるようになっているのですね。

来年は、辰巳滿次郎さんのお能の他に、宇崎竜堂さんを呼ぶそうです。
フルート演奏も頼まれました。
来年が楽しみです。

暴力無しのレッスン

2016-10-04 22:01:56 | フルートレッスン

植えっぱなしのミニトマト。
ピーク時を終わると、実をつけなくなりますが、暑い時期を超えるとまたつきます。
普通は抜くらしいですが、水をやりながら、放置。
見かけは悪いですが、ビックリ!
よく熟れたいちごくらい甘いです。注※主観です。

ピアノのTさんが、洋梨を届けてくれました。
美術館でも行こうか?と言っていた矢先、
FBを見てビックリして来てくれたのでした。

Tさんに母の話しを聞いてもらったり、12月のコンサートの打合せもそろそろしなくては。などと話しているうちに、元気になってきました。

私たちの時代でしょうか?
先生に手を叩かれたり、大きな声で怒鳴られたりしてレッスンしてきました。
先生が悪いというのではなく、こう学ぶべきというやり方が、昔の世代には、ありました。

その方法は、取りたくない。では、暴力無しの学びはどういうものでしょう?
それは、可能なのでしょうか?

私は、うまくなりたかった。
鳥肌が立つほどステキな演奏を聴いて、憧れて、憧れて。
あんな演奏が出来るなら、何をしてもよかった。

動機や、目的、意味というものは、人に作ってもらうわけにはいきません。
そこを誰かに作ってもらおうとすると、暴力になります。

私は私の目的のために、練習や、レッスンを受けました。
練習時間は、長かったと思います。
しかし、長いことうまくいきません。
やはり、そこに良い指導者が必要だったと思います。

情報は、やはり必要なのです。
そう、情報。
私たちが伝えるのは、一人一人違う身体や癖を持った人が、作り出す技術。
スポーツのような身体の使い方、記号化された楽譜の中にある時代性や、音の意味など共通の読み取り方などや繊細な違いを、どう伝えるか?

それだけ。
そこに暴力は、必要ありません。
難しいけれど、考え続けたいと思います。
そんなことをTさんと、話しました。











母の骨折

2016-10-03 21:14:05 | 日記
土曜日の朝7時、母から電話。
夜中にベッドの上に洗濯物を干していて、バランスを、壊して転倒、ついた左手に激痛。

収まるかと思ったけれどどんどん痛くなり、夜明けまで待って、自分で救急車を呼び病院へ。
7時を過ぎてようやく私に電話したのでした。
すぐに、枚方から、京田辺中央病院へ車を走らせました。

「えらいことしたわ。」
「手術した方が良いって。」
え?手術?

骨がずれたので、あるべきところに移動させて、折れたところと一緒に金具で固定するらしい。
心臓が悪いので、首から管を入れ、局部麻酔で、気分がわるくなるので、全身麻酔でやりましょう。と先生から説明されました。
「今日、12時半から13時位の間で」
「わかりました。1度帰っても良いですか?」
「すぐ帰って来てくださいね。」

「今日、下合わせ違うん?」
実家に玄関にお箏。譜面台や足台があるのを見たのです。
「そうやねん。」
「すぐ、IさんとSさんに電話するわ。」生徒さんに電話。
「尺八の先生に謝礼を払わなあかんねん。これ渡しといてくれる?」
「わかった。」
「着替えは?」
「お父さんは?」
と矢継ぎ早に決めて、実家に帰宅。

長男は、夜勤から帰って寝ているところを起きて、父に朝食を食べさせてくれていて、玄関のお箏類は、もう、公民館に運んでくれていました。

封筒に祝儀袋を入れて公民館へ、生徒さんたちが集まって初めてくださっていました。
「ご迷惑をおかけして申し訳ありません。」と、袋を渡すと、みなさん自分たちのことよりも母を心配してくださいました。ありがたいことです。

もう一度実家に帰り、入院準備をしていると、電話が2本。
チケットを売ってくださっているらしく、5枚、送らなければなりません。

母に電話したら、チケットのある場所、チラシの場所、封筒、一筆箋。全部聞かないとわかりません。
「住所はわかるの?」
「わかる。」

とって返して、病院へ。
「渡してくれた?」
「うん。」
一筆箋と封筒上書きして、さて、住所の書いてあるはずの携帯をみたら、無い。
「電話して聞くしか無い。」と言ったら、「あんた、電話して。私がしたら長くなるから」
無事聞けました。
さて、手術 2時間。

ほんとに金具です。
しかし、痛くて、さっきの元気はどこへやら、人口呼吸器をつけられて、話しもできず、血圧も160位あり、熱もあって目が離せません。

生徒さんも来てくれましたが、話しも出来ないので、申し訳ないですが、帰ってもらいました。

食事は6時半からと、言われましたが、これでは起き上がることもできないようで、介助してから帰ることにしました。

5時過ぎに、先生が来られたので聞いてみると、マッサージしても良い。と言われたので、フェルデンクライスで、ゆっくり足からさすっていると、だんだん顔色が戻ってきました。

これなら帰っても良いかもと思い出したころに、妹からライン。
食事も済ませた頃に、ようやく妹と合流。
帰宅して、父に遅い夕食を作って、樟葉に妹を送って帰ると10時を過ぎていました。
長い1日でした。