音楽の喜び フルートとともに

フルート教室  久米素子 松井山手駅 牧野駅 090-9702-8163 motokofl@ezweb.ne.jp

普通?普通じゃない?

2022-06-20 21:00:00 | 古典
母を病院に検査に連れて行く日でした。病院の裏庭にネジバナが咲いていました。
日が当たり過ぎて画面を確認して撮ることが出来ませんでした。
ピンボケ失礼します。2枚撮っておけばよかった。

病院は、混んでいました。
病院の食堂でパスタを食べて帰りました。
と、終わるわけもなく、イオンを回って帰りました。
まあ、数値もよく元気で良かった。

ネジバナは、普通のはなが、真っ直ぐ咲くところ螺旋状にグルグル回って花を咲かせます。

真っ当なクラッシック…というのは、何を指すのか曖昧ですが、これはちょっとおかしくないかい?というもの含まれています。

年月のフィルターがかかり、現在残っているのはほぼ名作といってもいいとは思いますが、中には変わったものも残っています。

ヨハン ゲオルグ アルプレヒツベルガー(1736-1809年)
神聖ローマ帝国オーストリア大公国クロースターノイブルク生まれ、オーストリア帝国ウィーン没

は、作品の評価は高くないですが、対位法の大家として名を成し、フンメル、モシェレス、ベートーヴェン、クサーヴア モーツァルトを教えました。

農民の子として生まれ、聖歌隊で学びました。
ヨーゼフ ハイドンの弟ミヒャエル ハイドンとウィーンの神学校でともに学びました。

ラープ、ターフェルのオルガニストを経て、メルク修道院の音楽監督、次には1772年ウィーンでオーストリア帝国オルガニストになります。

1791年親交のあったモーツァルトを見舞い、彼の勧めでシュテファン大聖堂の楽長助手となりました。

モーツァルトの死後、葬儀の手配を行っています。

1792年ウィーンに来たベートーヴェンはハイドンに師事しましたが、ハイドンは多忙で教えられなかったため、アルブレヒツベルガーが和声と対位法を教えています。

1793年シュテファン大聖堂の楽長になり亡くなるまで勤めました。

またたくさんの楽器のために作曲し、アルト トロンボーン
(テナートロンボーンより完全4度高い音域を吹き、現在ではテナートロンボーンに音域が含まれ、あまり見られなくなりました。)、口琴(ジューイッシュ ハープ)のために協奏曲を書いています。

口琴は、金属、あるいは竹、木、椰子などを加工した弁と枠を有する楽器です。

演奏者はこれを口にくわえるかまたは口にあてて固定し、その端を指で弾きます。
または枠に付けられた紐を引くことによって弁を振動させ、発生した小さな音を口腔内の空気に共鳴させて音を出します。

金属のこういうのが代表的です。

他にもいろいろ。
アイヌのムックリも口琴の1つです。

この曲を作った経緯はわかりませんが、たぶん依頼されたので真面目に作ったのだと思いますが…さて、みなさんはどう思われますか?





宮城道雄をしのぶ夕べ

2022-06-19 22:05:15 | コンサート
今日は、中島警子 桐弦社中による「宮城道雄をしのぶ 筝の夕べ」
いずみホールを聴いてきました。

母山口たきこが出演しますが、コロナで毎年開催されていたものが3年間休止。3年ぶりです。
しかも母82歳
「次はないかもしれないよ。」というので妹と一緒に行ってきました。

アガパンサスの季節です。


宮城道雄作曲の
「和風楽」
「童曲3曲」
「祝典筝協奏曲」
リクエストにより、
「今日のよろこび」
「虫の武蔵野」
「ロンドンの夜の雨」
うち一曲
と、長沢勝俊作曲の「飛騨によせる3つのバラード」
石川勾当作曲「八重衣」を演奏されました。

宮城道雄のお弟子の中島警子先生は96歳、今年1月に脳梗塞を起こされ3ヶ月入院されていて、今回は残念ながら演奏されませんでした。

終演後、舞台挨拶をされましたが、車いすでしたが、後遺症もなく、来年は演奏すると明言されました。
とっても楽しみです。

先生抜きの公演でしたが、皆さんさすがの演奏でした。

「和風楽」は、驚きの胡弓7人。
初めて見ました。
日本には珍しい擦弦楽器。
音程はフレットがなく、絹糸の弦は狂いやすいです。

しかし、音程もよく揃っていました。


宮城道雄が、好きでよく演奏された笙

尺八

そして左が宮城道雄が考案した十七弦、右が箏です。
宮城道雄は400あまりの曲を書いたそうです。

そのうちこどものための曲が117あり、動物をテーマにした曲を3曲。
「ワンワンニャオニャオ」
「赤い牛の子」
「お猿のお顔」
大正時代子どものための曲が望まれ「金の船」など鈴木三重吉など、それはあらゆる分野で起こりました。
宮城道雄も、その波に乗り多くの子ども向けの曲を書きました。

鳴き声を胡弓や、三味線、箏で表現されていて、歌詞も楽しいものになっています。

出だしを少しずつ聞いて客席からのリクエストで一曲を選んで全曲演奏するというやり方で
「ロンドンの夜の雨」を村上洋子さんが演奏されました。
母は「虫の武蔵野」の箏を小牧万須美さんの三味線とで演奏しましたが、残念ながら落選。
後で聞いたら「それはそうよ。」と言っていました。
村上さんは、最近ソリストとしても活躍されている新進気鋭です。
素晴らしい演奏でした。

ロンドンの夜と雨は、宮城道雄が1953年フランスとスペインで開かれた「国際民族音楽舞踊祭」に日本代表として参加した際に、帰路立寄ったロンドンで即興的に作られました。
それはすぐにBBCでラジオ放映されました。

「祝典箏協奏曲」は「和風楽」の編成にフルートと打物と言われる打楽器郡を加えた大編成で、箏独奏は中島先生のおはこでしたが、今回は村上洋子さんが演奏されました。
華やかで素晴らしい演奏でした。

宮城道雄の子ども向けの曲あげられていました。子どもに対する希望と期待が大きな時代でした。


シューベルトとベームのセレナーデ

2022-06-19 09:26:00 | ロマン派
ギターの川原さんが来てくれました。
27日、池田ギター練習会に初参加。
池田中央公民館です。


バナナまんじゅうと鮎餅、持って来てくれました。
7月プライベートコンサートの曲を合わせました。
エルガーの「愛の挨拶」
ブラームスの「ハンガリー舞曲第5番」
ドビュッシーの「夢」
ピアソラの「リベルタンゴ」
アンコール「浜辺の歌変奏曲」

自作のランチを食べた後、7月西宮練習会の選曲。
シューベルトの歌曲集をベームがフルートとピアノに編曲したものを、ギター編曲した曲集。

アランフェス組曲の編曲版
ロドリーゴのワルツ曲集、そして
最後にケルティック曲集。
「ダニーボーイ」「サリーガーデン」
思いついて薩摩黄楊の頭部管で吹いたら

いい感じ。「やっぱりケルティックは木管だよね〜」と自画自賛。 
癒やされました。

曲は結局、シューベルトの中から2曲選びました。

フランツ ペーター シューベルト(1797-1828年)神聖ローマ帝国オーストリア大公国リヒテンタール生まれ、オーストリア帝国ウィーン没

の書いた歌曲集「白鳥の歌」D957はシューベルトの死の翌年、出版されました。第4曲は「セレナーデ」

第1曲から第7曲までは、ベートーベンに依頼があったものですが、彼が死んでしまったためにシューベルトに回ってきたものです。

詩はハインリヒ フリードリヒ レルシュターブ(1799-1860年)神聖ローマ帝国プロイセン王国ブランデンブルク選帝侯領ベルリン生まれ、プロイセン王国ベルリン没によります。


ピアニストで、音楽評論家で自分でも音楽雑誌を出版し、当時フランス第一帝政の最重要人物ガスバーレ スポンティーニの影響を批判して投獄されています。

後にドイツの国家主義が起こった時にフランクフルトで権力を持ち「音楽評論上の有効な独占権」を持っていました。

彼に認められることが音楽家のキャリアに重要でした。
1825年「白鳥の歌」の初めの7曲は当時最も人気のベートーベンに依頼されましたが、弟子のシンドラーがベートーベンの死後、手にあまりシューベルトに依頼したものです。

1828年にシューベルトは亡くなりましたが、レルシュタープの詩で第8曲目の「生きる勇気」に着手していましたが、道半ばで亡くなってしまいました。

セレナーデ
秘めやかに闇を縫う 我が調べ
静けさは 果てもなし 来よや君

ささやく木の間を 洩る月影 洩る月影
人目も届かじ たゆたいそ たゆたいそ

君聞くや 音にむせぶ 夜の鳥
我が胸の 秘め事を そは歌いつ

鳴く音に込めつや 愛の悩み 愛の悩み
わりなき思いの かの一節 かの一節

深き思いをば 君や知る
我が心 騒げり
待てる我に 出で来よ君
出で来よ

引用:堀内敬三訳

テオパルド ベー厶(1794-1881年)バイエルン選帝侯領ミュンヘン生まれ

貴金属の加工を父から学び、円錐ベーム式フルートを発明し、フルートに革命を起こした人です。


フルート奏者としても活躍し、バイエルン王国の宮廷音楽家をしていました。
うつろな心変奏曲やポロネーズなどフルートのヴィルトゥオーゾの名曲を残しています。

白鳥の歌はシューベルトの曲を元にフルートとピアノのための変奏曲として作曲されたものを、ギターとフルートのために編曲されたものです。

YOUTUBEでは見つけられなかったので歌曲でどうぞ。




サラバンドというリズム デュパール

2022-06-17 20:56:00 | リズム
西洋オトギリ草が咲いていました。
昨日は1歳の子どもと2歳児。
今日は、82歳の母。
お琴の会の全国評議員会会議が7月にあるのですが、zoom会議。

評議員会はご高齢の方が多いので、事務局も慎重です。
お手伝いを撰んでもいい。ただし会議はセットだけして出ない。
事前に打合せを、すること。

ということで、前回アプリをいれて、日程調整。
今日、お試ししました。

時間になって無事母のスマホで入れましたが、音が出ません。
「あれ?」
事務の方が紙で音声が出ません。
と掲げておられます。

あちこち触って、音声をzoomに許可というボタンを見つけて、音声やり取りできるようになりました。

パソコンでは何度もやり取りしていましたが、母のスマホでやるのは初めて、無事準備できてよかったです。

後半は例によってお店周り。
今日はまだ、短い時間で回れました。

シャルル デュパール
Charles Dieupart(1667-1740)
フランスのチェンバリストで、ヴァイオリニストで作曲家。

パリ生まれ、ロンドンで過ごし、1702/3年にロンドンに定住しました。
ドルリー・レーンの音楽施設の、著名なメンバーでしたが、主に教育によって収入を得ていて、晩年は貧困の中に暮らしました。

ヨハン セバスチャン バッハのイギリス組曲に影響を与えた6つのチェンバロ組曲によって知られています。

6つの組曲 Fminor 


は、1701年アムステルダムでチェンバロのために作曲されました。
序曲、アルマンド、クーラント、サラバンド、ガボット、メヌエットまたはパスピエ、ジーグとなっています。

フランス、イタリア、イギリスのスタイルの融合に成功しています。

この曲は人気があり、1702年ヴァイオリンまたはリコーダーと通奏低音に編曲され、1705年ロンドンで13の楽章が公開されました。

バッハは1709-1714年の間に6つの楽章をすべてコピーしました。
また、ニコラ シレにも影響をあたえました。

サラバンドは、3拍子の荘重な舞曲です。
1 重々しい3拍子のリズム(しばしば2分の3拍子)
2 4小節単位の小楽節2つからなる8小節分の大楽節
3 開始小節にアウフタクトが置かれる場合もあります。

中央アメリカ起源で1539年フェルナンド グスマン メヒアがパナマで書いた詩の中に「サラバンダ」あり、スペイン植民地で人気があり、それが海を超えてスペインに渡りました。

スペインでは猥雑であると、1583年フェリペ2世


により禁止されました。

違反すると鞭打ち200回と、男は6年間のガレー船漕ぎ刑、


女は王国からの追放でした。

サラバンドは1606年、イタリアのギター譜が最古のものです。





和声が特徴的でしたが、イタリア バロック時代にはプレストやアレグロの早いテンポが主流でした。

フランスに入るとラルゴやアダージョのゆっくりした遅いリズムになりました。

Recueil de dances, composées par M. Feuillet, 1700.

イギリスでは、速いイタリア、ゆっくりのフランスの両方の特徴が見られます。

ドイツではフランスの特徴が取り入れられゆっくりとしたものになっています。

デュパールの組曲の第4楽章サラバンドは、イタリアとフランスの中間の速さになっています。


ファウスト交響楽 リスト

2022-06-16 18:51:28 | ロマン派
キツネアザミは、セイヨウトゲアザミよりも色が薄く、小さく一株に咲く花が多いです。

今日は、1日子育てサポート保育でした。
2歳の子どもの想像力にびっくり。
小さなカバンを1つ持っただけで買い物に行き、ラーメン、パスタを買ってランチ。

雨に降られて、テントで雨宿り、船に乗って漕ぎ出し、架空の公園でゴキブリ退治。

飛行機に乗って京都へ行き、美味しいおまんじゅうを買って来ていちごとミルクをトッピング…。

お話しはお昼休憩が終わっても、たのしい展開が終わらない。
6時間の大旅行につきあい、すっかりクタクタ〜でも楽しかった!

恐るべし2歳児の想像力、胆力、体力。

ほぼ音楽の大半は想像力の為せる技ですが、フランツ リスト(1871-1886年)オーストリア帝国ハンガリー王国ドボルヤーン生まれ、バイエルン王国バイロイト没


の「3人の人物描写によるファウスト交響曲」は、ヨハン ウォルフガング フォン ゲーテ(1749- 1832年)神聖ローマ帝国自由都市フランクフルト アム マイン生まれ、ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ大公国ヴァイマル
没の


戯曲「ファウスト」をルイ エクトル ベルリオーズ(1803-1869年)フランス共和国ラ コート=サンドレ生まれ、フランス帝国パリ

から薦められ、魅了されたことで作曲されました。
1840年に作曲に着手しましたが、慎重にすすめていると、1852年ベルリオーズから劇的物語「ファウストの劫罰」を献呈されて刺激を受け、1854年作曲を再開し、第一稿300ページを完成します。
その後編成を拡大しながら、1857年「神秘の合唱」が加えられ、決定稿は1880年完成しました。
この曲はベルリオーズに献呈されています。

第1楽章 ファウスト

沈思瞑想し、真理を熱望し、懐疑し煩悶し、過ちを犯すファウスト、なおも愛を求めるファウストを描いています。

第2楽章 グレートヒェン 

ファウストは素朴な街娘グレートヒェンに恋をし、ついに身籠らせます。
逢引の邪魔になる彼女の母親を毒殺し、彼女の兄を決闘の末に殺します。

魔女の祭典、ワルプルギスの夜に参加して帰ってくると、悲しみに気が狂ったグレートヒェンが赤子を殺し、メフィストフェレスの手に落ちたファウストの助けを拒み息絶えます。

ファウストの迷える魂がメフィストフェレスの手に落ちたかと見えたとき、グレートヒェンの天上の祈りによって救済されます。

そのグレートヒェンの清らかな性格を表す音楽です。

第3楽章 メフィストフェレス

ファウストに耳打ちし、誘惑する悪魔のことで、人間性を歪め、否定し破滅させるとともにファウストのネガティブな面を投影したものです。
不気味でグロテスクな雰囲気を表します。ファウストを手に入れたと見えた時、グレートヒェンの祈りで、

天の神が悪に打ち勝ち、暗黒から光が差し込みます。




夏の庭で

2022-06-15 21:02:03 | 近代
Gさんと知恩寺手づくり市に行きました。



小雨の中の出店。お疲れさまです。

さんざん回って、京町家でランチ。







鱧天ぷらに、う巻き、大原野草茶







坪庭の緑も目に優しい。

今日の収穫。
ちりめん山椒とふきのとう味噌は定番。エコバッグとスマホ入れはすぐ使います。
ひよこのコースターはかわいいのでつい😅👍

管弦楽のための幻想曲「夏の庭で」はフレデリック ディーリアス(1862-1934年)イギリス ブラッドフォード生まれ、フランス グレ=シュル=ロワン没

によって1908年に作曲されました。

イギリスの裕福な商人の家に生まれて
フロリダのプランテーションを経営したことあるディーリアスは、フランスに移住し画家でオーストリア=ハンガリー帝国の貴族の家系で画家のイェルカ ローゼン


と1903年結婚します。
人気が高まり、その後数年の作品が彼の生涯のうち最も人気のある作品です。
その中の一曲が「夏の庭で」です。

イェルカはシューレスビヒホルシュタイン州の遺産を相続し、ディーリアスの経済を生涯支えました。

ディーリアスはグレ=シュル=ロワン

の彼女と彼女の母の家に住み、後の生涯のほとんどをそこで過ごしました。

イェルカ ローゼンの書いたディーリアス



庭の写真は、見つけられませんでしたが、グレ=シュル=ロワンは、景勝地で多くの画家がこの土地を訪れ描いています。


チャールズ ローワン イートン1886

ウィンクワース・アラン・ゲイ

彼は亡くなる前に、この家の庭か、叶えられなければイギリスに、埋葬されることを希望し、フランス当局は赦さなかったので、イェルカがイギリスに埋葬し希望は叶えられました。

この曲の出版譜には2つの詩が掲載されています。
1つはガブリエル ロセッティの詩で、
あと1つは作者不詳です。

All are my blooms; and all sweet blooms of love.

To thee I gave while Spring and Summer sang.

すべてが私の花。
すべてが甘い愛の花。
春と夏が歌っている間に、すべての花
をあなたにあげました。
Roses, lilies,
 and a thousand scented 
flowers. 
Bright butterflies, 
flitting from petal 
to petal. Beneath 
the shade of ancient trees
, a quiet river with water
 lilies. In a boat, 
almost hidden, two people.
 A thrush is singing 
in the distance.
バラ、ユリ、そして千の香りの花。
花びらから花びらへと飛び交う明るい
蝶。
古代の木陰の下、睡蓮の咲く静かな川
ボートに乗って、ほとんど隠れて
二人で。
遠くでツグミが歌っています。




マ・メール・ロワ

2022-06-14 21:08:24 | 近代
シモツケソウはバラ科、日本固有種ですが、レッドリストに載っているそうです。

今日は、半年ぶりに子育てサロンでした。
たくさんの参加かあり、親子が楽しんでくれました。

マ・メール・ロワは、モーリス ラヴェル(1875-1937年)フランス共和国 シブール生まれ、フランス共和国パリ没


が「マザー グース」を題材にして作曲したピアノ4手連弾の組曲、それを題材にした管弦楽組曲と、バレエ音楽です。

連弾曲は、独身のラヴェルが友人のゴデブスキ夫妻の2人のこどもミミとジャンのために作曲され二人に献呈されました。

1908-1910年にかけて作曲。
ミミとジャンが、演奏するには難し過ぎたためジャンヌ ルルーとジュヌヴィエーヴ デュロニーにより初演されました。

第1曲 眠れる森の美女のパヴァーヌ(Pavane de la belle au bois dormant

4分の4拍子 Lent(ゆっくりと)
シャルル ペローの童話集『マ・メール・ロワ(マザーグース)』の「眠れる森の美女

第2曲 親指小僧(Petit Poucet
4分の2拍子 Très modéré(とても中庸に)


『マ・メール・ロワ』から「親指小僧」
愚鈍で成長しないと思われていた7人兄弟の末っ子親指小僧(親指サム)の物語。
飢饉で食べられない両親が子どもたち全員を森に捨てますが、末っ子の活躍で恐ろしい人食い鬼や、王の使いを無事にこなして生還するお話しです。
第3曲 パゴダの女王レドロネット(Laideronnette, impératrice des pagodes

4分の2拍子 Mouvement de marche(マーチのリズムで)
ドーノワ伯爵夫人マリー・カトリーヌ(1650年頃 - 1705年)の『緑の蛇』。
パゴダとは塔を意味し、そこに住む中国製の首振り陶器人形の物語。
レドロネットは王女ですが、生まれてすぐ魔法で醜い姿に変えられます。
ある日散策していると緑の蛇に出会います。蛇は「あなただけが不幸なのではない。」と言います。その後、流れてきた金の船に乗ると、美しい宮殿につき100体のパゴダ(陶器人形)に迎えられます。
彼らはくるみの殻で作ったリュート、アーモンドの殻のビオラを演奏します。
その後いろいろな試練の末に、レドロネットは美しい姿に戻り、緑の蛇も王子に戻り、2人は結婚し末永く幸せに暮らしました。

第4曲 美女と野獣の対話(Les entretiens de la belle et de la bête

4分の3拍子 Mouvement de Valse très modéré(とても中庸なワルツのリズムで)
マリー ルブランス ドーモン(1711年 - 1780年)の『子供の雑誌、道徳的な物語』からの美女と野獣に基づきます。

第5曲 妖精の園(Le jardin féerique
4分の3拍子 Lent et grave(ゆっくりと荘重に)

眠りの森の美女の一シーン。
眠っている美女に王子がキスをして、美女は目覚め、2人は結ばれます。



音楽と建築オルガン

2022-06-13 21:35:47 | 楽器
今日は枚方市のパソコン講習会の保育のお手伝い。

教育委員会の5階で行われました。
向い側は図書館。
立派です。

4世紀の前方後円墳牧野車塚古墳が見えます。
3時間の講習の間、保育をしました。

建築と音楽は、かつて深い関係にありました。
音階は音楽を支配するが、音律という音の振動数の比率によって物理的、数学的に規定される3種類の音律、ピタゴラス音律、純正音律、平均律があります。

 ピタゴラス音律は、紀元前6世紀頃のギリシャ人ピタゴラスが振動数の整数比を発見し、弦の長さと比率を利用して表したものとされています。

完全音程とされる
1度(1:1)
8度(1:2)
5度(2:3)
4度(3:4)
という完全に協和する音程を取り入れ、この比率が建築物にも応用されたと言われています。

ピタゴラス音律は紀元前から15世紀まで使用されます。

 その後、音楽の発達に伴って完全音程のほか3度や6度音程も協和する必要に迫られ、11世紀から15世紀にかけて純正音律という音階が使用されます。

1600年以後は平均律というオクターブの8度を12等分する音階が一般的になり、17世紀から現代まで主流になっています。

ギリシャ建築は、ピタゴラス音律の比例関係を使って建てられています。

ゴシック様式の建築物は、ロマネスクとルネサンスの中間の時期、いわゆる12世紀から15世紀に長い年月をかけて建築されています。

ロマネスク様式は、半円アーチと重厚な壁を持つ聖堂建築で10世紀から12世紀、主に修道院建築にその面影を見ることができます。

ゴシック様式の代表的な大聖堂建築は、ピタゴラス音律と同じ比率の考え方で建てられたと言われています。

その中に作られたパイプオルガンは、宗教の力を示す大きな力になりました。
オルガンはギリシャ語で道具、機関、器官という意味です。

起源は紀元前264年にアレクサンドリアに住むクテシピオスが製作した水オルガン


が始まりとされています。

奏者たちは腕を競い勝者は結婚式、競技会、晩餐会などて演奏したそうです。

紀元前1世紀にふいご(空気を貯めて吹き出す革袋や、蛇腹の器具)


によるオルガンが開発されました。
教会で使われだしたのは13世紀になってからです。

ルネサンス期15.6世紀にはストップ(音色を選択する機構)が用いられスライダー チェストでストップを選択するようになります。



その頃、1581年高山右近が高槻の教会に日本初のパイプオルガンを設置しました。


フランス ノートルダム大聖堂1489年

イタリア ローマ サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂1599年

17世紀バロックにはオルガンは巨大化し、伝説の巨匠アルプ シュニットガーやジルバーマン兄弟が現れ、新興階級の部屋に置かれることもありました。


ドイツ リューベック、聖ヤコビ教会1636年


北ドイツ ノアデン、聖ルドゲリ教会1688年

北ドイツシュターデ 聖コスメ教会1688年
19、20世紀は「シンフォニック オルガン」や「ロマンティック オルガン」が出て、オルガンのための曲も多く作られました。




ソル ギターのベートーヴェン

2022-06-12 21:18:20 | 古典
今日は今津公民館で西宮ギター練習会でした。
ギターの古橋充吉さんとバッハの「G線上のアリア」とヴィラロボスの「ブラジル風バッハ」
ギターの本庄定雄さんとモンティの「チャルダッシュ」を演奏しました。

空調のせいでバッハの途中でギターの楽譜が飛んて行ってしまいました。

ハプニングにもめげす、最後まで弾ききった古橋さんに拍手でした。

練習会の後、バラバラでお茶して帰りました。
今津駅のパン屋さんに入ったらプレミアムアンパン売ってました。
アンパンの表に「今津」の文字。
中味は生クリームと小豆餡がたっぷり。
おいしかった~。

帰りうちの裏の川。
美しい夕暮れでした。

フェルディナンド ソル(1778-1839年)スペイン帝国 バルセロナ生まれ、フランス王国パリ没

裕福な軍人の家系に生まれましたが、父にイタリアの、オペラ公演に連れて行かれ、父からギターを学び音楽家を目指します。

モンセラート修道院、バルセロナで音楽を学びますが、父の死後、母親が経済的に困窮し、音楽教育を諦めます。

修道院に戻りギターのための曲を作ります。

1808年ナボレオン ボナパルト

のスペイン侵攻を機に愛国的なギター作品を作りますが、スペイン軍が敗北。

ホセ ボナパルト(ボナパルトの兄、ジョセフのこと)


のもとで政府の管理職につきます。
しかし、2年後1813年フランス人追放により、親フランスと見なされフランスパリに亡命します。

パリでアグアドなど多くの音楽家と親交を結び、パリの芸術家たちに認められるようになり、ヨーロッパ中を演奏旅行をしてまわります。

また、オペラやバレエの作曲し、人気を博します。
1827年演奏を引退し、パリで創作と著述に専念。ギターの方法など教則本を作ります。

1837年長女が亡くなると、ミサ曲を作ります。
1839年病が悪化しパリで亡くなりました。

ソルはそれまで酒場の楽器として見られていたギターの音楽レベルを高め、「ギターのベートーヴェン」
と、呼ばれています。

ソルの「モーツァルトの『魔笛』の主題による変奏曲」op9



ブラームスの雨の歌

2022-06-11 20:55:13 | ロマン派
ギターの岡山友樹さんと合わせしました。

6/26(日)自泉会館でのコンサートの練習です。
神戸にお住まいの岡山さん、京都の先生のレッスンを受けてから、牧野に回ってくれます。
駅にお迎えに行くと、お花がたくさん咲いていました。
テデスコの「ソナチナ」op205
イベールの「間奏曲」を練習しました。
アンドロイド録音は音が、ひどい話しをしたら、いろいろ教えてくれました。
最後にzoomAm7というマイクを買ったので試し録画録音したら、音は良くなりましたが、調整しないでしたので、最大音量にして耳のそばに持っていかないと聞けないのでした。
研究は続く…。

帰り駅まで送っていったら雨が降ってきました。

ヨハネス ブラームス(1833-1897年)
自由ハンザ都市ハンブルク生まれ、オーストリアハンガリー帝国ウィーン没


の、ヴァイオリンソナタ第一番の第3楽章は、ブラームス自身の作曲した歌曲「雨の歌」op59-3の主題を使っているために、「雨の歌」と呼ばれています。

1878-79年の夏、オーストリアのヴェルター湖畔の避暑地ベルチャハで作曲されました。

1879年シューマンを見舞い、第2楽章の主題を送っています。

前年25歳で亡くなったシューマンの息子フェリックスを悼み、第2楽章は葬送行進曲になっています。

詩は、クラウス グロート(1819-1899年)ホルシュタイン公国ディットマールシェン ハイデ生まれ、ドイツ シュレスヴィヒ・ホルシュタイン州キール没

です。
ブラームスとグロートは同じ北ドイツ出身の友人で、そこでのみ話される低地ドイツ語で話し、他の人は何を話しているかわからなかったそうです。

この詩はブラームスのお気に入りで、他にも同じ詩で歌曲も作っています。

歌曲とヴァイオリンソナタの第3楽章を上げました。
聞き比べみて頂ければうれしいです。

降れ、よ降れ
砂がで泡立つ、あ子供思い出をもう一度
裸足でに打たれながら草粒をかき集める
なんて幸せなんだろう
もう一度あ優しい音に耳を澄ませたい
美しい自然不思議に心をつつまれながら
(訳:大井駿)