本日(4/30)の朝日新聞のコラム、天声人語のコトバ。
~チェルノブイリに通って映画を作った監督の本橋成一さん(71)のコトバ。
「人は今こそ謙虚にならないといけない。少しずつ暮らしの『引き算』をするときがきたんじゃないか」~
寝ぼけまなこの私は一気に目が覚めた。。。
引き算、まさにその通りだ。
今回、予想だにしなかった事態を生んだ地震は、いままで当たり前、空気のように思っていた贅沢を改めて実感し、無くても支障はないこと、便利ではあるけれど、シンプルである生活を見直す機会となったと思う。
Parisに留学していた時は、日常生活における日本の便利さを実感することになり、改めて母国を尊敬するチャンスに恵まれた。
例えば、シャワーを浴びていると、暖かいお湯が10分も経つと水に変わってしまうこと。気分よく浴びていた私は悲鳴を上げた
お湯をためておくタンクが私の部屋の場合、小さかったからだ。でもそれが判明後は、10分で洗い終わる工夫を思考錯誤してやり遂げた
10分を切るゲームに変えて楽しんだ
これこそが身体で順応することなのだ。郷に入っては郷に従えのごとく。
駅ではもの凄く長い階段を、登らなければならなかった。エスカレーターがない駅がまだ多いのだ。日本のエスカレーターに慣れ切っていた軟弱な私は、ゼエゼエ言いながら階段を上っていたが、白髪の女性は確かな足取りで私を抜かして登って行った。驚くことにハイヒール

パリでは年老いた女性でも女を決して捨てていない。マニキュアやピアスなど決して怠ってはいないのだ(これ、見習わなきゃね
)
乳母車を引いた女性は、一緒に担いでくれる人を階段の下で待つ。見ているとすぐに男性、女性問わず、手を貸して長い階段を一緒に担いで行く。そして階段を登りきると交わされるのは「Merci!(ありがとう)」「De rien!(どういたしまして)」のコトバ。手を貸すことが暗黙の了解なのだ。
そんなパリが大好きだ。
不便と感じることも、見方によっては心地よいのだ。
スイッチを押せば明かりが点くこと、飽食の日常は決して当たり前ではなかったのだ。
とめどなくある資源と思うからこそ、誰もが無駄な電気を使うこと、余分な食糧を買いすぎることに麻痺してしまったのだ。
Simple is best. と言うよりは、Simple is immortality.(不滅)なのだと私は思う。
デザインの世界では佐藤可士和氏が手本であると私は思う。
伝えたいことはたくさんあるけれど、いかに削り落すかはセンスと経験値なのである。
Official website
~チェルノブイリに通って映画を作った監督の本橋成一さん(71)のコトバ。
「人は今こそ謙虚にならないといけない。少しずつ暮らしの『引き算』をするときがきたんじゃないか」~
寝ぼけまなこの私は一気に目が覚めた。。。
引き算、まさにその通りだ。

今回、予想だにしなかった事態を生んだ地震は、いままで当たり前、空気のように思っていた贅沢を改めて実感し、無くても支障はないこと、便利ではあるけれど、シンプルである生活を見直す機会となったと思う。
Parisに留学していた時は、日常生活における日本の便利さを実感することになり、改めて母国を尊敬するチャンスに恵まれた。
例えば、シャワーを浴びていると、暖かいお湯が10分も経つと水に変わってしまうこと。気分よく浴びていた私は悲鳴を上げた

お湯をためておくタンクが私の部屋の場合、小さかったからだ。でもそれが判明後は、10分で洗い終わる工夫を思考錯誤してやり遂げた

10分を切るゲームに変えて楽しんだ

これこそが身体で順応することなのだ。郷に入っては郷に従えのごとく。
駅ではもの凄く長い階段を、登らなければならなかった。エスカレーターがない駅がまだ多いのだ。日本のエスカレーターに慣れ切っていた軟弱な私は、ゼエゼエ言いながら階段を上っていたが、白髪の女性は確かな足取りで私を抜かして登って行った。驚くことにハイヒール


パリでは年老いた女性でも女を決して捨てていない。マニキュアやピアスなど決して怠ってはいないのだ(これ、見習わなきゃね

乳母車を引いた女性は、一緒に担いでくれる人を階段の下で待つ。見ているとすぐに男性、女性問わず、手を貸して長い階段を一緒に担いで行く。そして階段を登りきると交わされるのは「Merci!(ありがとう)」「De rien!(どういたしまして)」のコトバ。手を貸すことが暗黙の了解なのだ。
そんなパリが大好きだ。
不便と感じることも、見方によっては心地よいのだ。
スイッチを押せば明かりが点くこと、飽食の日常は決して当たり前ではなかったのだ。
とめどなくある資源と思うからこそ、誰もが無駄な電気を使うこと、余分な食糧を買いすぎることに麻痺してしまったのだ。
Simple is best. と言うよりは、Simple is immortality.(不滅)なのだと私は思う。
デザインの世界では佐藤可士和氏が手本であると私は思う。
伝えたいことはたくさんあるけれど、いかに削り落すかはセンスと経験値なのである。

