まい、ガーデン

しなしなと日々の暮らしを楽しんで・・・

やっぱり

2007-04-11 14:24:49 | Weblog
ダメだわ。朝はあんな大口たたいたのに、暖かくなるにつれて、目も頭もぼんやり。行く気満々だったスポーツジムも取り止め。代わりといってなんですが、退会届を出してきました。(泣く泣くよ)

で、母は3月29日に介護施設に入所できました。300倍もの狭き門をくぐって。

施設から突然「入所できますよ」のお知らせをもらったときは、自分たちで申込用紙を提出していながら、あまりの早さに気持ちが追いつかず、夜、少しばかり考え込んでしまいました。近くの病院に転院してから1ヶ月も経っていないのですもの。300人待ちと聞かされたときは、すっかりあきらめていたのですから。
それがそれが・・・・
翌日、施設の人が説明してくれて、中を案内してくれて、やっと安心しました、といおうか区切りがつきました。

それでも、書類を提出に行った役所の福祉課の人に、
「なんだか変な気持ちで。自分たちの望んだことなのにね、気持ちが追いついていかないのよ。長く待っている人たちにも申し訳ない気持ちです。」と訴える始末。本当に人間が未熟だわね。我慢ができない。
やさしい福祉課の人は、「分ります、その気持ち。入れるって電話もらったら断った人もいたのよ。」と、慰めてくれました。

というわけで、母は施設の住人になりました、このたびの騒動を見越したように。母の世話は全く要らなくなりましたから。どこまでも子供孝行な母です。そんなわけで、安心して父の看護に当たっているというわけです。



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ハイテンションが

2007-04-11 09:47:42 | Weblog

続いているようで。
どうも眠いのに、明らかに睡眠不足なのに、眠れません。そして、体もピンピン動くのよ。変ね。

入院した金曜日は、看護師さんが2時間おきに傷口の具合を見に来てくださる、出血したので処置も。2回目の出血はシーツまでも汚した。尾篭な話で申し訳ありませんが、父はおしっこを尿瓶で処理。その後始末でそれでまた目が冴える。簡易ベッドの私は一睡もできませんでした。うん。

土曜日の朝6時のカーフェリーで一度佐渡に。だって思い起こしたら入院仕度だけ、火の始末だけ、戸締りだけしてきて、後はほったらかしだったのです。ゴミだしどうしようかな?風呂の水は?茹でたもやしがそのままだった!カーテンを閉め忘れたetc・・・ああ、気になる。
9時近くに家に着くや否や、頭はフル回転だったわ。体は今までにない素早さで動いたわ。我ながらすごい、感心する。やればできるじゃん、の心境。
しかも、偶然、親戚が用事で訪ねてくる、一つ一つ説明していかに大変だったかをせこく強調する。お隣さんもどうだった?と聞きに来る。
それから、返却日間近の本を図書館に返しに行く。母の介護施設に、様子を見に行く。このときは、自転車が大活躍。
風呂に入る、髪の毛を洗う、洗濯機を回す。入院時に足りなかったものを用意する。疲れました。よくやったと自分を見直して。
カーテン閉めて、12時半の船で新潟に折り返しました。高速船にしようかと思ったけれど、体を伸ばせるのは、カーフェリーしかないと考え直し、ビールを飲んで横になったわけよ。いつもならここで間違いなく睡魔が襲うのに、眠れませーーーん。あきらめて週刊誌を読んで。

さすがに、土曜日は8時ごろから爆睡ですよ。なアーーんも覚えていません。5時まで。起きたら前のベッドのおじさんに
アンタのお父さんのいびき、すごいねぇーーと、軽く抗議されて平謝り。
その洗礼を私は日曜日にしっかり受けました。いやぁーーすごい。ここまでとは思わなかった。蹴飛ばしたくなった、揺さぶりたくなった!!!それが夜12時ごろまで。その後?今度はトイレ通い。ほら年寄りだからね。何しろベッドとベッドの隙間に50センチくらいのベッドで寝ているのだから。父がトイレに行くたびに、点滴スタンドがゴツンゴツン当たるわけですよ。あれほど夜は尿瓶でしてね、と言っておいたのに
うとうとしたと思ったらそういうわけで、明け方まで3回も行かれては眠れませんっつうの!

月曜日はどうしたか?隣の窓際のベッドが空いたから窓とベッドの間に避難しました。もしかして空いたベッドに寝たんじゃないの?と思った方、ゆめゆめいませんよね。おかげさまで切れ切れに4時間くらい眠れました。

昨夜は、寝てやる、と意気込んだためか、12時過ぎてもダメ、で、朝は5時には目が覚めてしまった。
それにしても同室の人、付き添いのお母さんに『ご主人ですか?』と聞かれたのには、唖然を通り越して憮然
一連の出来事の中でこんな悲しいことはない

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救急車に

2007-04-10 20:58:51 | Weblog

3回も乗りました、1日の内で・・・結構すごいことだと思いません?
家から病院まで。
病院から佐渡汽船両津港まで。
佐渡汽船新潟港から新潟の病院まで。

救急車友が、父が肺炎で去年の6月に入院したとき、
「あんたぁ、これからさ、これでもかこれでもかということが起きるわよ。」と予言してくれたことがそっくり実現したわけで・・・

6日金曜日の早朝、父が「右足が痛い、夜中からずっと痛くなった。」というのです。見ると脛から足先までが青白く血が通っている様子が見えません。そして冷たい。でも、その時点では何が起きているのか分らず、ま、様子を見ようと二人して構えていました。でも、そのうち、痺れるような感じがするというので、これはダメだ、何かが起きていると思い
「とうさん、救急車呼ぶよ、仕度して。」と渋っている父を追いたて、私も着替えました。救急車の音で、またもやお隣さんが飛び出てきてくれて。

7時過ぎだったでしょうか、病院に着くなり緊急診察、検査。結果は、
「佐渡では血管外科がありませんから、新潟に行ってください、病室が空いているかどうかの結果が分ったら、すぐ出発します。」と宣告されました。8時半頃、病室が空いていることが分り、それからがあれよあれよという出来事でした。全く何がなんだか分りません。
「9時半のジェットフォイルに乗るからね、できるだけ早く準備して!」
そう言われたって、と思いつつ家に走って帰り、父の入院バッグ(これは準備してある)、私の泊まりこみ用意を持って自転車に乗りましたよ。お隣さんに後は頼むねと、お願いして。

9時頃には病院に着いたでしょうか、すぐさま救急車を依頼して、両津港に。父はストレッチャーに乗ったまま、船室へ。医師も看護師さんも付いていてくれることがどんなに心強かったことか。船内で、様子をしっかりチェックしてくれてましたから。1時間があっという間に経って、新潟港には頼もしくも救急車が待っていてくれました。
設備の整った新潟の病院で診察の結果、父は、右足のひざの動脈の血管が詰まって、脛から下に血が流れていない状態でした。

担当医師はラグビーの平尾選手のような感じの人。
「だから、ここが詰まっているんだよ、血が流れねーんだ。いちかばちかカテーテルを入れてこの血を吸い上げて、成功すれば御の字だろ。やってみる価値はあるだろから、ま、前向きに考えて。だから今すぐやるんだってば、やんなきゃ他に回るかもしんねえだろ。手術室が開いたらすぐやるよ。」
というような意味のことをやくざ口調で言うわけですよ。(そのつもりで言ってください。)ははーー、よろしくお願いします、というしかないでしょ。ね。40分の短い時間の手術で無事成功。その血の塊を見せていただきましたが、魚の血がぴったり!これが悪さの原因か、としみじみ眺めたわけです。

そんなこんなで父は順調に回復し、日曜日には退院することができます。病院という一番安心できるところにいる間に、私は横浜に帰ってきました。だって、6人部屋のベッドとベッドの隙間に4日間も寝ていたら倒れてしまいます。今夜は久しぶりに風呂に入って、広いベッドで寝られます。うれしくなってしまう。

それにしても、救急車って酔うわね。発見しました。

 

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心配になったの

2007-04-01 13:43:25 | Weblog
昨夜は眠れないくらい。(うそうそ、大げさ)ちょっとタイトルのことは後回し、忘れるから。

♪たんたらたったたぁ~たぁ~♪たんたらたったたあ~↑ 今朝もラジオ「音楽の泉」のテーマ音楽を聴きました。続けて「音楽の泉」というナレーションも。

3月に横浜に帰ったとき、いつもの3人で集まった折に、このテーマ音楽の後、すぐにスイッチを切ってしまうという話をするつもりだったのよ。そして私が如何に音楽に興味が持てないかという話に続けようと思った途端、年上友が反応したの。「えっ、まだその番組やってるの?」って。やってるやってるって二人でハミングしたわ。
で、私が「昼の憩いって番組覚えてる?あそこでさ、○○農事特派委員からのお便りです。ってまだのんびりやってるよ。」というと、またもや二人で、 ♪たーあーたらたららら~とハミングして盛り上がるのよ。
今度は年上彼女が「歌の明星って言う歌謡番組があったよね、」と。「うんあったあった、♪輝きよ輝きよ~とかいうんじゃない?」とか言ってまたもや盛り上がる。年下友は、なにそれぇーーーーってな感じで、冷たく二人を見ているわけよ。
「あなたさ、白黒テレビをカラーで見る方法知ってる?」と聞くと???
「テレビにカバーもかけてたんだよ、コブラン折みたいな分厚い布でさ、下に、ほらあの人(年上友よ)のセーターのよれみたいなのがさ、ひらひらついていたんだ、知ってる?」もちろん????

私たち3人の年の差は8歳。年上友が3歳、年下友が5歳違う。 3歳の開きはそうでもないが、5歳の違いってずいぶん大きいのね。

で、心配ごと。このブログをちゃんとログアウトしたかなってこと。まいっちゃう。
記憶するにはカメラみたいに目に写しているから、頭にインプットしないから、曖昧になってしまうのよ。だから、今日急いで来たわけ。(なんだ、と思われているだろうなあ)
今日の佐渡は、黄砂のためか山がまったく見えません。いやな感じの天気です。
佐渡の桜は、やっとつぼみの先がピンクがかって来たというくらいです。ではまた
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お久しぶりです

2007-03-30 14:03:19 | Weblog

今回は佐渡モードになかなかリセットできなくて・・・
帰ってから1週間というもの、ぐだぐだしていました。ほんとにグダグダだらだら。
先週の土曜日から、やっとエンジン開始というわけで・・・

ミカメさんは退院して別の施設に移りました。
ミカメさん何を考えているのかな、といらないお節介で気になっていたのですけれど、そのミカメさんにさよならをしました。
「ミカメさん、元気でね。」と言うと93才のミカメさんは「おたがい、元気でな。ありがとう。」と片手をあげます。ミカメさんにそう言われては、涙が出そうになります。そして、「おれ、どこへいくんだや。」と。
ミカメさんが元気に過ごすことを、祈るばかりです。

で、24日の土曜日、中学校の同窓会が15年ぶりにありました。
9クラス450人の団塊の世代です、15年ぶりということで記念ということで年も知られちゃうね。でもって、
品よく、上品に、品格ある文章と中味を書くように心がけます。断じて誓います。

私たちの時代は、中学校で終わりという人たちがクラスの半分くらいはいましたから、同級会はこの場所しかないという人たちがかなり集まってにぎやかになりました。遠く岩手や神戸から駆けつけた人もいます。もう実家は無い、もしくは空き家になっているという人たちも、ホテル宿泊セットでしたから、参加しやすく2次会も盛り上がったようでした。
「ごめん、だれだっけ?」とか「やあやあ。」とかごちゃごちゃやっているうちに最後は恒例の校歌ですよ。
「えっ?」全然浮かんでこない。どんな歌詞だったっけ?どんなメロディーだっけ?配られたプリントを見ると作曲者名が中田喜直さん。それでも、浮かばない。いよいよみんなが歌い始めても、それでも私は分からない。周りを見るとみんな真剣、懐かしそうに男の子も女の子も大声で歌っているのよ、どうしてこんなに浮かばないのだろう。変だ。小学校も高校のそれは歌えるのに・・

考えれば中学時代の私は暗かったものね、スネテイタモノネ。べつにぃーの世界だったものね。何もかも面白くなかったのよ。3年の2学期になると高校受験の補習授業が始まる。これがまたいやでいやで・・・
何とか受けないで済む方法は無いものかとまじめな私が取った策は、「体が弱いから疲れる。」と担任に訴えることだったのよ。そのころの私はノーシンが手放せない青白い顔をした子だったから、バッチリ!!
補習を受ける時間になると、「カモン、イクヨ!」(前が苗字、後ろが名前です。声に出してね)と、そのものずばりな名前の仲良しに声をかけて、二人でサボったね。
そんなこんなだから、きっと思い出が無いのね。そのせいで、校歌もサボっていたのかもしれない。と、納得させる。
昨夜見せてもらった写真に、一人口を閉じている私がいたわ。うろたえている私がいたわ。いやー、口くらい開けておけばよかった!!別の意味で間抜け。

家に帰ってきて、なんかしなくてはいけない事があったよな、と思い出した。
「ハゲタカ」最終回があったんだ。残念、見逃した。どうなったんだろう、気になるな。




 

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その後

2007-03-22 11:43:23 | Weblog
佐渡は晴れた日は昨日だけです。帰ってからというもの、雪、粉雪、ぼた雪、朝は晴れすぐに曇り空、とこんな感じで春ははどこへやら・・です。

何はさておき、先に。
またやってしまいました。間違い。誤字脱字はいつもなので、まっ、いいや、で済ますけれど、固有名詞ですものね。
『4TEEN』です。唯一写真OKの人なので、しっかり直します。
『Okiraku』です。ツヨシクン、すんまへん。いくらお気楽でも正しく直さなくてね。ファン失格だ。
三浦しをんは、をしんにするなよ、と気をつけていたけれど、すぐにぼろが出ます。固有名詞・気をつけます。

で、本題。
父は案の定、自転車で会合に。酒は、娘に怒られるからと言って、控えた、と言うけれど怪しいものです。まったく。
「一人のご飯は味気ない。」とこぼしていたけれど、心なしか私が横浜に帰る前よりしゃんしゃんした気がします。よくしゃべることしゃべること、気働きもするようになったし、うとうとすることも少なくなったわ。温泉彼女も「あんたがいないほうがいいんじゃない?お父さん、しゃんしゃんしとったが」と太鼓判押してくれました。やっぱり、大事にしておくだけじゃダメなのね。
母は、私の言いつけをしっかり守って、おとなしく元気に待っていてくれました。手を握ると握り返します。時々目も開けます。気持ちよさそうです。
それにひきかえ、隣のベッドのミカメさんに元気がありません。
93歳の彼女は、ベッドの柵をコンコンと打って母に話しかけようとします。
母を指差して「変だ」と言うので、どこが?と聞くと頭を指すので、「母さんは何にも分からんから」と教えると納得したように「そうか」と言うしっかりしたおばあさんなのに。
横浜から帰ってきたら、すっかり顔に生気がありません。
「ミカメさん、ご飯食べて元気にならんなんや。」と話しかけると動く右手で「ありがとう」と合図をします。「ミカメさん、つめ切る?」と聞くと「お願いします」とかわいく手を出します。93歳とも思えないほっそりしたきれいな指で「ミカメさん、指、きれいだねえ。」と私は感心してしまいます。前のように看護師さんを引っかくくらいの元気を出してほしいものです。

『名もなき毒』
やはり宮部さん、読ませてくれる。面白かった。読後感が気持ちよい。でも、宮部さんが「もう現代物は書けないと、苦しかった」とコメントしていた気持ちも分かる気がする。(えらそうね)だって現実のほうが、ずっとずっと怖い事件が多発しているものね。宮部さん、次の作品もも期待して待っています。

今日は雨です。早くすっきりした青空が見たいとしみじみ思います。
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首を長くして

2007-03-17 09:46:46 | Weblog

待っている人たちがいます。帰りなんいざ佐渡へ!(大げさか)

娘が誕生日プレゼントでくれた図書券で、ツヨシクンの『OKIRAKU』購入しました。毎月「月間テレビジョン」で立ち読みしていたからなあ、恥ずかしげもなく。ツヨシクンに義理立てて、お買い上げしました。おいしいものはは最後に、の性質だから佐渡に帰ってゆっくり読みます。
それにしても一昔前は、「ビストロSMAP」を買うのが恥ずかしくて、娘に買ってきてもらったのにね。「ラブジェネレーション」のビデオを買うのが恥ずかしくて、「プレゼント用にしてください」とか言ってたのにね。
年をとるのはいいもんだ。どんどん厚かましくなる。いいんだ

さすがに12,1月はそんな余裕がなかったけれど、2月に入り、母の容態がどんどん落ち着いて可愛い寝顔でいるのを見ていると、私も気持ちが楽になってきました。そこですることがないから読書。

横浜では数年来小説を読みたくなくなっていたのに、佐渡ではもっぱら小説が読みたくなって・・・一度に10冊借りられるからね。2日に1冊のペースで読んでいます。面白い!!どんどんいっちゃう。
『博士の愛した数式』じわじわじわじわと温かいものが流れてきて、読後感がとてもよかった。一押しです。
作者名だけは聞いたことがあるというのが恩田陸「夜のピクニック」三浦しをん「まほろば駅前、便利屋多田軒」石田衣良「14TEEN」どれも一気に楽しませてくれます。新しい人たちも開拓しなくては。
これは帰ってからだなと、最後に回したのが(おいしいものは最後にだかね)宮部みゆきさん『名もなき毒』。読んであげるから待っててね。(えらそうにね、だってあの宮部さんが授賞式の挨拶で声が詰まって、、、という記事を読んだら、よしという気になりますよ)
その他もろもろ何冊読んだことだろう、当たり前だけれど、面白いものは面白い。

今日、父は「軍人会」の集まりに行っているはずです。
自転車で行くというから、そんなことをしたら帰ってやらない、と脅かしました。お酒を付き合ってくれる娘を待っていることでしょう。
横浜に来る前に、お風呂から上がって気持ちよさそうだった母には「帰ってくるまで待っててね」と言い聞かせたので、おとなしく私の帰りを待っていることでしょう。

明日は墓参り、今までそんなことしたことなかったのにな。ではまた。

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やっぱり待っていてくれたのね

2007-03-16 17:24:21 | Weblog
1月に引き続き、けなげに待っていてくれたわ。

かいどう

ライスフラワー?

ハナニラ

いじりすぎて変になったようです。次の画像がアップできません
終了しようと思って画面を閉じていったら、画像が隠れていたので、もう少し載せます
雲南黄梅

利休梅

ストックとメネシア

閑話休題
3ヶ月ぶりのパワーヨガレッスンに出ました。
「ちょうど噂をしていたところよ、あの背の高い人どうしたんだろうってさ。」と言われたので、「あなた、それを言うならあのきれいな人って言って欲しかったわ。」と答えると「あっ、そうね。」と軽くいなされてしまいましたずうずうしかった
体中が痛いです。明日帰られるかしら、天気より心配。





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本日も無事終了!

2007-03-16 09:49:44 | Weblog
と、寝る前に、時々ではあるけれど掛け声をかけます。
父は、ろれつの回らない口で「今日もありがとうございました。」と応えます。

病院から、お昼ご飯に間に合わせようと、ぎりぎりの時間を見計らってバスに飛び乗り帰ってみると、父はコタツで居眠りをしている、そんな姿が情けなくて、ちゃぶ台ぐらい用意して箸くらい並べておいて欲しいなと、泣きたくもあり腹立たしくもあり、でもできている娘はぐっとこらえて仕度を始める、というようなたまの日常も、なんかその言葉で「ましょうがないや、いっか。」と思えてきます。

で、佐渡の私が利用していた路線バスの話。
私は毎日同じところを通っても退屈しません。窓の外、バスの中を見学するのに忙しいですから、頭の中もフル回転していますから。

船と接続している時間には、時に一人旅らしき観光客の人がいます。佐渡の路線バスの旅、正しいねえ、絶対佐渡そのものに触れられると思います。でも大変だろうなあと同情します、何しろ1時間に1本あればいいというバスなのですから。どの人も観光パンフレットと時刻表を手に思案している様子がありありと見えます。お手伝いしましょうか、と言いたくなるけれど、ぐっと堪える。そんなのいいから窓の外の景色を見て、と言いたくなるけれど、バス停と観光場所はぐっと離れていて、次の予定に間に合うかどうか真剣に考えなければならないだろうから、それもぐっと堪える。そして、是非佐渡を堪能してくださいとエールを送るわけですよ。
時に、私の乗ったバス停から目的のバス停まで誰も乗って来ない時もあります。タクシー状態。私は心配して運転手さんに、大丈夫かしら、誰か乗るといいですねえ、と、あつかましくも声をかけます。運転手さん、「観光バスでも一人しかお客がいないときがあるよ、それでも、運転手とガイドは乗らなきゃらちかんしな。」と内実を教えてくれます。大赤字になるわけですよね。
バスの中には窓と座席の間に幅10センチくらいの荷物置き場があります。これっていいです。第一からだが窓に密着しない、肘もかけられる、もちろん荷物も置ける。横浜でも採用してくれないかしら。

なんか話がどんどんずれていってます。1000文字を超えないようにと心がけていますので、、これで終了します。
そして昨日も我が家は無事終了しました。ご報告まで。



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食べ物あれこれ

2007-03-15 16:43:38 | Weblog
毎週土曜日になると、4,5軒のお店が出ます。季節のものはそこでお買い求め。


浅葱が出始めています。真ん中の茶色く見えるパックは蕗味噌。


おばあちゃん、手作りの漬物が並べてあります。


こちらは加工食品のお店。スケソウダラを甘辛く煮付けた貴重品です。


これは今回夫への愛あるお持ち帰りの品、さよりの丸干し。これから出回ります。さっと炙って、酒の肴に絶品。
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