そういうときに備えて、徐々にいじくっているけれど、それだけでは足りない、その前にやることがあるとしみじみ思うこの頃。
国仲の病院でのこと。大部屋の病室はプライバシーも何もない、否が応でもそちこちの話が耳に入ってくる。ましてや、病院は社会の縮図。
お隣のスギモトサンは、奥様に先立たれ、お子さんもいないひとり暮らしを長年続けてきたそうだ。お料理を始め家事全般をそれはそれは立派にこなしてきたとのこと。そんなスギモトサンが脳関係の病気で倒れた。
83歳の妹さんが、洗濯物が出る週2回の日にバスに乗ってお世話に来る。
「私も年だから疲れてしもて。家の父さんの面倒もみんなんし」とおっしゃる。
ある日
スギモトサンが一生懸命妹さんに訴えている。なんとか分かってもらえるように訴えている。でも、悲しいかな脳の病気だから、話す言葉がもごもごして不明瞭だから聞き取れない。銀行関係のことだとは分かるらしい。
印刷した五十音表を見せて、「指でさしてみて」と妹さんは言うけれど、スギモトサンは、手が震えて思う場所をなかなか指させない。
「字い書いてみて」と鉛筆を持たせるけれど、続けて持ち上げる力がない。
妹さんは途方に暮れて、「誰か分かるもんがおらんかしら」と呟くけれど、私も聞き取ろうとするけれど、何を言っているのかさっぱり理解できない。
スギモトサンが気にかけている暗証番号のたった4つの数字が、双方分かりあえないで互いにもどかしい思いをしている。
「スギモトサン、気の毒だねえ」
「私も分からんで可哀そうだと思うが・・・」と、妹さんも嘆く。
大事な大事な銀行の暗証番号が分からない。おむつ代も払えない。
妹さんは「このもんが皆ひとりでやってきて、私は嫁に出てからそう行ったことがないし。何がどこにあるかもさっぱり知らんのんで」とおっしゃるけれど、そうだろうなあと思う。どうするんだろう、他人ごとではない。
そういえば、その晩くも膜下出血で奥さんを亡くしたメイジロウサンは、全部妻に任せていたから通帳ひとつどこにあるか分からんで困った、と言っていたっけ。
何もかも他人ごとと思っていたけれど、私の乏しい全財産のありかや符号をきっちり書き置き、実家の諸々を整理し直し、全部ひとまとめにして保管し、夫に伝えておかねば。私のそういうときは「ここを見よ」って。
いつどうなるか分からないんだからね。ほんとに。