作者は重松清さん。
1975年、広島カープ初優勝の年。三年連続最下位だったカープは、開幕十試合を終えて四勝六敗。
まだ誰も奇跡のはじまりに気づいていない頃、広島カープの帽子が紺から赤に変わり、
原爆投下から三十年が経った年、一人の少年が東京から引っ越してきた。
やんちゃな野球少年のヤスと新聞記者志望のユキオは、
頼りない父親に連れられて東京から引っ越してきた“転校のベテラン”マナブに出会った。
マナブは周囲となじもうとするが、広島は、これまでのどの街とも違っていた―。
いやあもうだめ、だめだ。胸が熱くなって泣きたくなる。
何に熱くなるかって泣けるかって、そりゃあ物語全部だ。
昨夕
物語は、現実世界の1975年の広島カープ躍進とリンクしながら三層の話が折り重なって進んでいく。
万年最下位、お荷物球団、貧乏球団の広島カープ。
それでも広島市民はカープを愛し、時に乱闘騒ぎを引き起こし暴力沙汰も多々。
それもこれも市民が作り上げたカープを熱烈に応援し続けるその熱い心のなせる業。
その広島市民の心意気がひしひしと伝わってきて、ぐっと迫るわけよ。
広島が舞台ということは、原爆被爆者の物語も紡がれていく。
主人公マナブと同じ団地に住む庄三さん夫婦。
原爆投下後広島に入った庄三さんが見た光景、「原爆の絵」募集を知って。
庄三さんはその光景を描こうとするけれど描けない。画用紙を前にしてもかけない。どうしても描けない。
でも奥さんの菊江さんが入院して死を目前にしたとき、マナブと真理子の手を借りながらちぎり絵をえがく。
そして何よりも、(友だちや親友って広島の方言だと『連れ』って言うんだとマナブは父に教えるが)
その『連れ』ヤス、ユキオ、マナブの中学生活や家庭の深くつながり合う日常に感動するのよ。
中学1年生、子供のような大人のような。
親をはじめ大人の事情も分かりその悲しみもそれとなく察し、自分のうちにも屈折した感情を抱え込んでいる。
それが何かの拍子に爆発し、残った二人がその怒りやもやもや、悲しみを共有していく。
いやあ、まさか中学生3人の友情、いやそんな薄ペラい言葉じゃ表せないそんなものに泣かされようとは。
(とてもいい表紙だ。カープ優勝パレードのときの少年3人。マナブはこの後そっと二人と別れ父と広島を後にする。
使われて色には深い意味がある。赤ヘルの赤、庄三さんのちぎり絵に使われている色)
それと、一獲千金を夢見て怪しげな商売に手を染めては失敗し、逃げるように引っ越しを繰り返す父、
その父に連れられてよぎなく転校を繰り返すマナブ。この親子のどうにもならないそれでいてお互いに
信頼し合っている関係がこれまた胸を打つわけでして。
もう理屈抜き、ど真ん中直球、ストレートに心に響いてくる小説でした。素敵ないいお話です。
それでね、新聞記者志望のユキオくんはカープが優勝した次の日の教室壁新聞に書いて張り出すの。
中國新聞の『球心』を読みましたか?名作でしたね。
津田一男記者は、後楽園球場の記者席で泣きながら原稿を書いておられたそうです。
その原稿がこちら。書き出しの部分紹介。
《真っ赤な、真っ赤な、炎と燃える真っ赤な花が、いま、まぎれもなく開いた。
祝福の万歳が津波のように寄せては、返している。苦節二十六年、開くことのなかったつぼみが、
ついに大輪の真っ赤な花となって開いたのだ》
広島カープ、今年はダントツ1位じゃないの、ね。