もう佐渡に帰っただろうとマサチャンママにラインしたら、まだこちらにいるんだって。
いろいろあって帰るに帰れないそうな。それが一昨日のこと。
「まあ、都会のもんはすごいな、準備がいいっちゃ。夕方農協へ行ったら野菜が何にも
ないんだや、びっくりしたわ。朝、皆買いに来たって。私ら佐渡で夕方スーパーに行っても
いつもと変わらん、どうってことないのにね」とそれはそれはのあきれ声。
大雪だと大雪だとテレビは大騒ぎしていたけれど、今朝のわが庭。
大雪といえば、大学時代に十日町出身の同級生実家に招かれたことが忘れられない。
単線の飯山線越後川口駅からの電車に乗ってしばらく走ったら、線路脇両横雪の壁よ。
なあんも見えない白い雪の壁の中を電車は進んだ。ちょっと怖かったわ。
新潟だって広い、新潟市内は霙交じりの吹雪になっても積雪は少ないから、
電車のてっぺんを超す雪の壁なんて、びっくり仰天。
同級生の実家でまたびっくり仰天。こうなってるの。雪でできた道路は一階の屋根の高さ。雪の階段を下りて玄関にたどり着くというわけ。
1階は薄暗くて明かりは2階から。もう忘れられないわ。
もちろん、屋根の雪下ろしだって半端じゃない。少しやらせてもらったけれど、軟弱だから
すぐに音を上げて降参よ。雪の階段や毎日の道路の雪かきだって大変だったと思う。
当時の積雪量は今と比べものにならないくらい多かっただろうからね。
で、暖房は何を使っていたのかしら、お布団にくるまって寝たはいいけれど、
朝目覚めたら掛布団の端っこがが私の息で薄く白くなっていたのよ。これまたびっくり仰天。
この記憶は間違いじゃないかと思っているのだけれど、鮮明だからやっぱりほんと。
保存食品を使って出してくれたお料理がおいしくて。白いんげん豆の甘く炊いたものなんて
柔らかくふっくりしていて。白い平たい大鉢にたっぷり入っていたことまで覚えている。
雪国の人は雪を楽しむことを知っている。十日町雪まつりしかり。
十日町の豪華な着物の展示にも連れて行ってもらった。成人式の晴れ着はそれはそれはで
一世一代張り切るんですって。招いてくれた同級生シミズサン、今どうしているかしら。
新潟時代よくラジオで耳にした越後塩沢の文人・鈴木牧之(ぼくし)の名前。
雪国の気象・暮らし・心情などを著わした『北越雪譜(ほくえつせっぷ)』から。
(ネットからお借りした)
当時の大ベストセラー
先日の駅のホームではこんなポスター うーん なんか腹が立つ
雪にまつわることも思い出せばいろいろ。