こうやって写真を整理しながら「三渓園、よかったなあ。ベンチに腰掛けてちょっとだけ
豪華なお弁当なんか食べながら、早春を味わったらなかなかだなあ」だなんて。
いや、そこらあたりで物を食べたり飲んだりしないからいいのかと思い直したりして。
そんな人見かけないものね。
大池の周りは木の杭を修復していた。お手入れがあればこその景観。
入園料、もう少し払います。
庭園の木々の他に建物が見えない。空が広々と抜けている、開放感抜群。
原三渓さんになったつもりで大池の周りを散策したりして。妄想は広がるわけよ。
原家が私邸として使用していたエリアの内苑。そこに移築された古建築の数々。
三渓さんがお住まいとして使っていた鶴翔閣は別にして、やはり臨春閣がいちばん目を引く。
江戸時代はじめの1649年(慶安2年)に、現在の和歌山県岩出市の紀ノ川沿いに建てられた
紀州徳川家の別荘「巌出御殿」と考えられた建物。その後、大阪市此花区春日出新田に
移されていたものを1906年(明治39年)に原三溪が譲り受け、11年をかけて念入りに配置を吟味し、
1917年(大正6年)に移築が完了(HPより)
中が見られないのは残念 縁側に腰かけられないのも心残り
園路のあちらこちらからその佇まいを どこから見ても美しい
坂道を上ったところにある「月華殿」へと
この梅に惹かれて たまにはあちらまで行くかと
1603年(慶長8年)に徳川家康が京都伏見城内に建てた諸大名の控えの間であった、
と伝えられている
1918年(大正7年)に京都・宇治の三室戸寺金蔵院から付属していた茶室(現在の春草廬)
とともに三溪園へ移築された。移築に際しては、運搬のために解体した部材を一本ずつ
丁寧に新しい晒し布で巻いて運んだ、といわれている(HPより)
奥は「天授院」鎌倉の建長寺近くにあった心平寺の地蔵堂の建物と考えられている
なっているでしょう
落ち着いた雰囲気のある処ですね
神社仏閣とは違っていて日本庭園もいいですね。