私もまた一つ年を取る。
こればかりはみな平等だからなあ、いやだと言っても始まらない。
容貌はいいのよ、若い時から何の自慢もないんだから。
頭の中がハチの巣状になってスカスカ、「なんだったっけ」が口癖。思い出せない。
いやはや。
日常のあらゆる場面で年を実感するけれど。
例えばふたが開けられない、鍋と自分の距離がうまく測れず取っ手とぶつかる、
レンジの電源は入れたがトースターの電源は忘れる・・・
もう数え上げればきりがない、手どころか足の指まで動員しなければならない。
今回は「年を実感」バス関係のことでね。
まず発車時刻10分前にはバス停に並ぶようになったの。
はるか昔両親が泊りに来て、さて帰るとなると1時間も前に駅に着くような時間に家を出ていた。
早すぎると言っても聞かなかったのよ。今じゃその気持ちが分かる。
そしてバス停にあるベンチにどっかと座るようになった。
「思いやりベンチ」なるものがあって、後から来た者でも年寄りは座るの。
敬老パスをもらった当初は、ベンチなんぞそっちのけ、見え張って立って並んでいた。
今じゃ、座っている老女が席を詰めてくれて「こっちに来なさいよ」なんて誘われる。
それでベンチに座って所在なく発車時刻を待っているわけ。
そこで背中を丸めていたりしたら目も当てられない。いやはや。
バス車中?混み具合を見て遠慮するときもあるが、もちろん座る。
降りるときは「バスが止まってから立ってください」の指示をしっかり守る。
止まる前に立ってドアのところで待つ、なんてことはしない。御身大切。
それから悠々と手すりにつかまって、よっこいしょと立ち上がり、
手すりにつかまってステップを踏んで地面に足をつく。
決して、ポンっとジャンプして降りるような若ぶったったことはしない。
ふふふ、年を取ると注意しなければいけないことが多くて大変よ。
なんてったって「今日がいちばん若い!」んだから、今日という日を大事にせねば。
いつぞや、主治医に「古希鬱です」と訴えた時、先生はしばし考えて、
「生きたくても生きられなかった人のことを思えば・・・」と。
今でもその言葉は時折思い出す、ほんとにその通りだわ。重い言葉。
私よりずっとお若い先生なのに、ね。いい先生。
また同級生の訃報が2つ入った。私もそういう年ということね。
何をするにも、よいしょ!えーと、えーと。
でも、生きたくても生きられなかった人を思えば!!
ずっしりこたえるお言葉。
心して、感謝して生きなければ罰があたるというものねぇ!!!
すぐに忘れてぐずぐずが芽を出すから、ほんとに困ったもんだわ。
生きててなんぼ、心しなきゃなね。
それにしても同級生の訃報。