=当初の「永久不況」から「恒久不況」に表現を変えます。なお、歴史的時代状況は、1860年以降にイギリスが衰退し、国民国家から帝国主義国家へと移行する過渡期に現在は似ていると考えます。=
1929年に始まった前回の恐慌と、今回の金融危機からくる大きな不況との違いを語る時、中央銀行の存在や国際協調体制の違いを挙げる論調が主流ですが、これは金融政策の有効性を論じる時のミクロな視点です。
この視点からだけ見て、今回の金融危機から生じた大不況が来年以降にせよ、回復軌道に入り、数年かかろうとも以前の好況状態に戻ると考えるのは、いささか早計であると筆者は考えております。
ここは資本主義の本質論からきちんと考えるべきではないでしょうか。
言うまでもありませんが、資本主義の本質は、資本(貨幣)を投じて商品を作り、それを流通させて、もとの資本(貨幣)+α の剰余価値を得、このサイクルを通じて資本を増殖する過程にあります。
1929年代と現在を比べるだけではなく、この資本増殖の過程を支えた社会構造を、19世紀に遡って大雑把に資本主義の歴史的な変遷としてまとめてみます。
年代 資本の形 牽引産業 覇権国家 国家のあり方 資本主義形態
~1810年 商人資本 繊維産業 一部オランダ 絶対主義王政 重商主義
~1860年 産業資本 軽工業 イギリス 国民国家 自由主義
~1930年 金融資本 重工業 一部イギリス 帝国主義国家 帝国主義
~1990年 国家資本 耐久消費財 アメリカ 福祉国家 後期資本主義
1990年~ 多国籍資本 (一応)IT 一部アメリカ 共同体国家 新自由主義
1930年代から1990年までの変遷を見ると、1930年代というのは、1860年代までの繊維産業などの軽工業を中心としたイギリス全盛期時代から、設備投資を伴う重工業への転換に伴い、もはや製造業としての力をなくしていたイギリスに変わってアメリカの台頭がはっきりと見えており、かつ、重工業から自動車を中心とした家電などの耐久消費財が先進国に普及する段階を迎えて、大きな世界需要が控えておりました。
その全盛期のアメリカを体現していたGMは、1971年のニクソンによる金兌換制度の停止までは、GMで働く労働者に退職後の医療保障までも含めた豊かな生活を保証し、アメリカの福祉国家的な政策の恩恵をフルに与えておりました。古き良きアメリカがここにあったのです。
問題はその後、牽引産業としての耐久消費財は先進国には行き渡り、一時期待されたITにはそれまでのような雇用を創出する力はなく(むしろ雇用を減らすためにITは活用されます)、その間に伝統的製造業に行き詰まったアメリカ(及びイギリス)は、金融商品を先兵として、グリーバリズムへの展開に活路を求めたものの、その新自由主義がここにきて明らかに挫折をした、というのが現段階だと思うのです。
世界が1国内においても隆盛するための条件が、このような歴史から読み取れます。それは覇権国家と牽引産業の存在です。
イギリスの覇権国家としての衰退と、軽工業の飽和でその条件を欠いた1860年以降、結局のところ世界は2つの世界大戦を通じてしか復興出来ませんでした。これも歴史的な事実です。
その後、アメリカが覇権国家の地位を獲得し、耐久消費財が先進国のみならず、新興国にも普及の余地があった20世紀末頃までは、アメリカもITや、かつてのイギリス同様、金融産業に依拠することにより、しかもその金融商品をグローバルに展開することで、1990年以降の世界経済は、何とか好況-不況の小さなサイクルを繰り返しながらも、成長し生き延びることができました。
しかし、どう考えても金融産業が繰り出す商品は、本来の資本の増殖による剰余価値創造とは言い難いものでした。むしろ、イリュージョン(幻影)を施したインチキ商品であっったことが明らかになりました。ババ抜きゲームのように、誰かがババとは分からずに引き受けている間はこのイリュージョンがばれませんでしたが、一旦、それがババだと分かった途端に、それまでのトランプゲームが一切成り立たなくなったという、お粗末な商品だった訳です。
さて、今現在置かれた状況は、アメリカを継ぐべき覇権国家が見あたらないことと、しかるべき雇用を創出し続け、剰余価値を作り続ける牽引産業が見あたらないことです。オバマ大統領が言うグリーン・ニューディールは、エネルギー効率化・分散化には寄与しますが、資本が剰余価値を作り続けることにおいては力不足と言えます。
かといって、中国やインドなどの途上国を先進国並の生活水準に引き上げることは、地球環境問題の深刻さから言っても、もはや無理です。この地球が人類を養えるキャパシティの上限は100億人程度です。後40億人足らずの余地しかありません。今の13億人の中国の人口のうちの、中産階級化した人口を除いて、10億人が先進国並のエネルギー消費をする世界は想像できません。現在がアメリカの20分の1のエネルギー消費量として、10億人X20=200億人分にもなるためです。これにインドやインドネシア、フィリピンなど人口の多い国を加えると、2050年に二酸化炭素の排出量を半減するという目標では全然追いつきません。
しかし、そのような方向(先進国並の生活)への圧力は、新興国からは強まり続けることでしょう。
雇用を創り出す新たな牽引産業もなく、かつ覇権国家も不在の世界で、地球環境問題の制約があるなか、増え続ける人口とその生活水準向上の要請に応えるための取りうる方策は、1国内での国家資本主義的・保護主義的な体制とならざるを得ないため、国民の糊口を凌ぐためのエネルギー・水資源や食物の争奪戦を通じての、新たな戦争の勃発まで危惧されるところにきていると思います。
これが、新しい時代が直面している容赦ない現実ということになりますが、何としても過去の大戦のような惨事は避けねばなりません。そうなると、景気回復=経済成長という過去への回帰は、困難と言わざるを得ません。
結論としては、過去のように戦争を通じて戦後の巨大な需要を作り上げ、各国の巨額の借金も超インフレでチャラにするなど、かつてのように何もかもお釈迦にしない限り、このまま自然に好況が巡って来るとはとても思えません。
従って、今の世界経済の不況が多少の上下運動はあるにしても、このままの状態なら上出来と言えます。
1929年と大きく違っている点は、かつての尺度からすると「恒久不況」が続くであろうという、この歴史的認識から導き出される限りなく重たい事実です。
1929年に始まった前回の恐慌と、今回の金融危機からくる大きな不況との違いを語る時、中央銀行の存在や国際協調体制の違いを挙げる論調が主流ですが、これは金融政策の有効性を論じる時のミクロな視点です。
この視点からだけ見て、今回の金融危機から生じた大不況が来年以降にせよ、回復軌道に入り、数年かかろうとも以前の好況状態に戻ると考えるのは、いささか早計であると筆者は考えております。
ここは資本主義の本質論からきちんと考えるべきではないでしょうか。
言うまでもありませんが、資本主義の本質は、資本(貨幣)を投じて商品を作り、それを流通させて、もとの資本(貨幣)+α の剰余価値を得、このサイクルを通じて資本を増殖する過程にあります。
1929年代と現在を比べるだけではなく、この資本増殖の過程を支えた社会構造を、19世紀に遡って大雑把に資本主義の歴史的な変遷としてまとめてみます。
年代 資本の形 牽引産業 覇権国家 国家のあり方 資本主義形態
~1810年 商人資本 繊維産業 一部オランダ 絶対主義王政 重商主義
~1860年 産業資本 軽工業 イギリス 国民国家 自由主義
~1930年 金融資本 重工業 一部イギリス 帝国主義国家 帝国主義
~1990年 国家資本 耐久消費財 アメリカ 福祉国家 後期資本主義
1990年~ 多国籍資本 (一応)IT 一部アメリカ 共同体国家 新自由主義
1930年代から1990年までの変遷を見ると、1930年代というのは、1860年代までの繊維産業などの軽工業を中心としたイギリス全盛期時代から、設備投資を伴う重工業への転換に伴い、もはや製造業としての力をなくしていたイギリスに変わってアメリカの台頭がはっきりと見えており、かつ、重工業から自動車を中心とした家電などの耐久消費財が先進国に普及する段階を迎えて、大きな世界需要が控えておりました。
その全盛期のアメリカを体現していたGMは、1971年のニクソンによる金兌換制度の停止までは、GMで働く労働者に退職後の医療保障までも含めた豊かな生活を保証し、アメリカの福祉国家的な政策の恩恵をフルに与えておりました。古き良きアメリカがここにあったのです。
問題はその後、牽引産業としての耐久消費財は先進国には行き渡り、一時期待されたITにはそれまでのような雇用を創出する力はなく(むしろ雇用を減らすためにITは活用されます)、その間に伝統的製造業に行き詰まったアメリカ(及びイギリス)は、金融商品を先兵として、グリーバリズムへの展開に活路を求めたものの、その新自由主義がここにきて明らかに挫折をした、というのが現段階だと思うのです。
世界が1国内においても隆盛するための条件が、このような歴史から読み取れます。それは覇権国家と牽引産業の存在です。
イギリスの覇権国家としての衰退と、軽工業の飽和でその条件を欠いた1860年以降、結局のところ世界は2つの世界大戦を通じてしか復興出来ませんでした。これも歴史的な事実です。
その後、アメリカが覇権国家の地位を獲得し、耐久消費財が先進国のみならず、新興国にも普及の余地があった20世紀末頃までは、アメリカもITや、かつてのイギリス同様、金融産業に依拠することにより、しかもその金融商品をグローバルに展開することで、1990年以降の世界経済は、何とか好況-不況の小さなサイクルを繰り返しながらも、成長し生き延びることができました。
しかし、どう考えても金融産業が繰り出す商品は、本来の資本の増殖による剰余価値創造とは言い難いものでした。むしろ、イリュージョン(幻影)を施したインチキ商品であっったことが明らかになりました。ババ抜きゲームのように、誰かがババとは分からずに引き受けている間はこのイリュージョンがばれませんでしたが、一旦、それがババだと分かった途端に、それまでのトランプゲームが一切成り立たなくなったという、お粗末な商品だった訳です。
さて、今現在置かれた状況は、アメリカを継ぐべき覇権国家が見あたらないことと、しかるべき雇用を創出し続け、剰余価値を作り続ける牽引産業が見あたらないことです。オバマ大統領が言うグリーン・ニューディールは、エネルギー効率化・分散化には寄与しますが、資本が剰余価値を作り続けることにおいては力不足と言えます。
かといって、中国やインドなどの途上国を先進国並の生活水準に引き上げることは、地球環境問題の深刻さから言っても、もはや無理です。この地球が人類を養えるキャパシティの上限は100億人程度です。後40億人足らずの余地しかありません。今の13億人の中国の人口のうちの、中産階級化した人口を除いて、10億人が先進国並のエネルギー消費をする世界は想像できません。現在がアメリカの20分の1のエネルギー消費量として、10億人X20=200億人分にもなるためです。これにインドやインドネシア、フィリピンなど人口の多い国を加えると、2050年に二酸化炭素の排出量を半減するという目標では全然追いつきません。
しかし、そのような方向(先進国並の生活)への圧力は、新興国からは強まり続けることでしょう。
雇用を創り出す新たな牽引産業もなく、かつ覇権国家も不在の世界で、地球環境問題の制約があるなか、増え続ける人口とその生活水準向上の要請に応えるための取りうる方策は、1国内での国家資本主義的・保護主義的な体制とならざるを得ないため、国民の糊口を凌ぐためのエネルギー・水資源や食物の争奪戦を通じての、新たな戦争の勃発まで危惧されるところにきていると思います。
これが、新しい時代が直面している容赦ない現実ということになりますが、何としても過去の大戦のような惨事は避けねばなりません。そうなると、景気回復=経済成長という過去への回帰は、困難と言わざるを得ません。
結論としては、過去のように戦争を通じて戦後の巨大な需要を作り上げ、各国の巨額の借金も超インフレでチャラにするなど、かつてのように何もかもお釈迦にしない限り、このまま自然に好況が巡って来るとはとても思えません。
従って、今の世界経済の不況が多少の上下運動はあるにしても、このままの状態なら上出来と言えます。
1929年と大きく違っている点は、かつての尺度からすると「恒久不況」が続くであろうという、この歴史的認識から導き出される限りなく重たい事実です。