7月18日に「1929年との違いは恒久不況」との記事を書きましたが、その理由の1つとして、「牽引産業」が見あたらないことを挙げました。
この記事では、1990年代以降の牽引産業は、「(一応)IT」と躊躇しながら書いておりますが、もし、これからの牽引産業を見つけるなら、それはやはりITに関係する何かではないかと思っていたからです。
ブログの中では、ITは生産性を向上させ、むしろ雇用を減らす作用があるため、牽引産業には成り得ないと書きましたが、果たしてそうなのだろうかと、ずっと気になっておりました。
今日、あえて追加的な記事を書く気になったのは、少し前に読んだGoogleのマリッサ・メイヤー副社長のインタビュー記事を思い出したためです。(しかし、彼女、名前もお顔もお美しい。)
「ネット検索はまだ1合目」とのインタービュー記事の中で、「グーグル・スクエアード」の実験を今月から開始したと彼女は言っておりますが、これが実に凄い。
「インターネット上にある情報の中から「事実」を探して表示する仕組み」だそうですが、これが完成すれば、学者もどきや、新聞記者もどきの人間が確かに不要になりそうです。
何しろ、事実を確認し裏付けるために彼らは厖大な時間を費やしている筈だからです。マリッサ・メイヤー副社長は、人間はもっと本質的で創造的なことに頭を使うべきと言っておりますが、まさにその通りです。
話はいきなり現在と時代状況が酷似する1887年に飛びます。
マイケルソンとモーリーという2人の物理学者が、光の速度を確認するために実験をしましたが、何度実験しても光の速度は時速10億8千万キロメートルでした。これを納得する理屈として、「光エーテル」の存在を彼らは想定しました。
これに対して、アインシュタインは18年後に、たったの5週間で「運動物体の電気力学」という論文を書き、その10年後の特殊相対性理論につながる新しい概念を打ち立てて、「光エーテル」が存在しないことを立証し、それまでの空間と時間に関する人類の考え方を永遠に変えました。
これは1例ですが、グーグル・スクエアードは果たして、マイケルソンやモーリーが行ったような実験内容を検証する仕事を大きく減少させるものでしょうか?
彼らの行った実験の数々はあくまでも実験であり、その詳細について今の時代にウェブに掲載したとしても、実験そのものをいわばその場で逐一検証しない限り、グーグル・スクエアードは、アインシュタインのようには、その実験の真実性までは決して判断できない気がします。(もし出来るなら、更に凄い)
しかし、グーグル・スクエアードは、こうした高次元の事実判断は無理としても、人々が日常生活を送る上で必要となる様々な事実判断を、極めて効率的にサポートする可能性は大いにあると思います。
問題は、こうして無駄な作業に費やす時間を少なくできたとしても、それによって人類が空いた時間を使って、本質的で創造的なことに頭を使うことになるとは限らないことです。
それはそうだとしても、ここまで考えてきて、タイトルの「ITはこれからの牽引産業になりうるか?」というテーマに対して、少し解決の糸口を見いだした気がしております。
IT、つまり情報技術あるいは情報コミュニケーション技術は、あくまでも手段であり、目的は「本質的で創造的」なものを、自らの頭を使って、あるいは他の人々と交流して見い出すことにあります。
この目的は、経済社会に置き換えて言えば、広い意味での革新的なテクノロジーの開発のこと、と言い換えてもいいのではないでしょうか?
これまでは、牽引産業として、自動車や家電など、人々の欲求を満たし需要を創造する何かを想定してきました。今、そうした牽引産業が存在しないと言うことは、とりもなおさず、この革新的なテクノロジーの開発が滞っているためではないかと筆者には思えるのです。
例えば、アインシュタインを引き合いに出したついでに、仮に、宇宙旅行が誰でも簡単にできる超革新的テクノロジーが実現したとします。アンドロメダ星雲までの宇宙旅行から帰ってきても、人は出発した時の年齢と健康状態のまま、この地球上での生活を継続することができるとします。もし、この旅行が10万円で実現するなら、それこそ、先進国の10億人のほとんどが参加したいのではないでしょうか?これは地球環境に一切ダメージを与えることなく実現する1000兆円の新規需要の創造となります。
これは極端なテクノロジー進化がもたらす例ですが、このように考えていくと、今の世界経済の閉塞状況を突破するのは、やはり革新的なテクノロジーの開発ではないかと思います。
逆に言うと、本来の革新的なテクノロジーの開発が追いつかないため、金融テクノロジーのようなフィクションテクノロジーに依拠することになり、ここまでの後退を余儀なくされているとも言えます。その意味で、「恒久不況」あるいは「慢性的な不況」に陥ってしまったのであり、革新的なテクノロジーの開発が追いついて、新たな牽引産業が出現した段階で、そこからの脱出が叶うのではないかと思います。
それが一体何時になるのか?
それまで人類は一体どうすれば良いのか?
この記事では、1990年代以降の牽引産業は、「(一応)IT」と躊躇しながら書いておりますが、もし、これからの牽引産業を見つけるなら、それはやはりITに関係する何かではないかと思っていたからです。
ブログの中では、ITは生産性を向上させ、むしろ雇用を減らす作用があるため、牽引産業には成り得ないと書きましたが、果たしてそうなのだろうかと、ずっと気になっておりました。
今日、あえて追加的な記事を書く気になったのは、少し前に読んだGoogleのマリッサ・メイヤー副社長のインタビュー記事を思い出したためです。(しかし、彼女、名前もお顔もお美しい。)
「ネット検索はまだ1合目」とのインタービュー記事の中で、「グーグル・スクエアード」の実験を今月から開始したと彼女は言っておりますが、これが実に凄い。
「インターネット上にある情報の中から「事実」を探して表示する仕組み」だそうですが、これが完成すれば、学者もどきや、新聞記者もどきの人間が確かに不要になりそうです。
何しろ、事実を確認し裏付けるために彼らは厖大な時間を費やしている筈だからです。マリッサ・メイヤー副社長は、人間はもっと本質的で創造的なことに頭を使うべきと言っておりますが、まさにその通りです。
話はいきなり現在と時代状況が酷似する1887年に飛びます。
マイケルソンとモーリーという2人の物理学者が、光の速度を確認するために実験をしましたが、何度実験しても光の速度は時速10億8千万キロメートルでした。これを納得する理屈として、「光エーテル」の存在を彼らは想定しました。
これに対して、アインシュタインは18年後に、たったの5週間で「運動物体の電気力学」という論文を書き、その10年後の特殊相対性理論につながる新しい概念を打ち立てて、「光エーテル」が存在しないことを立証し、それまでの空間と時間に関する人類の考え方を永遠に変えました。
これは1例ですが、グーグル・スクエアードは果たして、マイケルソンやモーリーが行ったような実験内容を検証する仕事を大きく減少させるものでしょうか?
彼らの行った実験の数々はあくまでも実験であり、その詳細について今の時代にウェブに掲載したとしても、実験そのものをいわばその場で逐一検証しない限り、グーグル・スクエアードは、アインシュタインのようには、その実験の真実性までは決して判断できない気がします。(もし出来るなら、更に凄い)
しかし、グーグル・スクエアードは、こうした高次元の事実判断は無理としても、人々が日常生活を送る上で必要となる様々な事実判断を、極めて効率的にサポートする可能性は大いにあると思います。
問題は、こうして無駄な作業に費やす時間を少なくできたとしても、それによって人類が空いた時間を使って、本質的で創造的なことに頭を使うことになるとは限らないことです。
それはそうだとしても、ここまで考えてきて、タイトルの「ITはこれからの牽引産業になりうるか?」というテーマに対して、少し解決の糸口を見いだした気がしております。
IT、つまり情報技術あるいは情報コミュニケーション技術は、あくまでも手段であり、目的は「本質的で創造的」なものを、自らの頭を使って、あるいは他の人々と交流して見い出すことにあります。
この目的は、経済社会に置き換えて言えば、広い意味での革新的なテクノロジーの開発のこと、と言い換えてもいいのではないでしょうか?
これまでは、牽引産業として、自動車や家電など、人々の欲求を満たし需要を創造する何かを想定してきました。今、そうした牽引産業が存在しないと言うことは、とりもなおさず、この革新的なテクノロジーの開発が滞っているためではないかと筆者には思えるのです。
例えば、アインシュタインを引き合いに出したついでに、仮に、宇宙旅行が誰でも簡単にできる超革新的テクノロジーが実現したとします。アンドロメダ星雲までの宇宙旅行から帰ってきても、人は出発した時の年齢と健康状態のまま、この地球上での生活を継続することができるとします。もし、この旅行が10万円で実現するなら、それこそ、先進国の10億人のほとんどが参加したいのではないでしょうか?これは地球環境に一切ダメージを与えることなく実現する1000兆円の新規需要の創造となります。
これは極端なテクノロジー進化がもたらす例ですが、このように考えていくと、今の世界経済の閉塞状況を突破するのは、やはり革新的なテクノロジーの開発ではないかと思います。
逆に言うと、本来の革新的なテクノロジーの開発が追いつかないため、金融テクノロジーのようなフィクションテクノロジーに依拠することになり、ここまでの後退を余儀なくされているとも言えます。その意味で、「恒久不況」あるいは「慢性的な不況」に陥ってしまったのであり、革新的なテクノロジーの開発が追いついて、新たな牽引産業が出現した段階で、そこからの脱出が叶うのではないかと思います。
それが一体何時になるのか?
それまで人類は一体どうすれば良いのか?