スロージョギングと写真のブログ

ウォーキング、ジョギング、ママチャリで出あった季節の花や風景写真で日々の出来事・雑感をつづっていきます

適量の酒

2009年04月25日 | リタイアメントライフ

■ 適量の酒といっても、うんと飲める人、体調とか、年齢とかで違ってきますよね~(飲めない人、飲まない人もいますし)。

今朝のニュースで、草なぎ剛さんの謝罪会見を見ました。

会見では、「僕はたくさんのお酒を飲んでしまい、わけがわからなくなって大人として恥ずかしい行動を起こしてしまいました。とても反省しております」と語った。

男の社会では、昔から似かよったことがよくあると思うんですが、今回は、社会もマスコミも大きく取りあつかいましたね~。

■ もう、ず~っと以前のことですが、一年が終わり、その年最後の会議の後の慰労懇親会でのことです。

会のはじめに一言、“お酒に触れたあいさつ”、がありました。

引用した一言が心に残っていたところ、後になって言葉の出典がコピーされてきました。

今も手元に保管されていますので、ご紹介します。

次の内容です。

『<酒>酒とは、言うまでもなくアルコール飲料の総称であり、仏典によれば酒は食物から作ったスラー、果物や食物の茎や根を原料にしたマイレーヤ、それらのまだよく発酵していないマディヤなどに分類される。……今日人間の飲む酒は何百種類あろうか。その量も莫大なものになっていようが、二千年以上の昔でも人間社会に酒はつきものだったようである。
仏教、特に初期のインド仏教では酒を飲むことは厳しく禁ぜられた。

ところがわが国では、一部の修行者を除き、不飲酒戒はさらりと捨てられた。仏教が伝来する以前から、酒は祭りや祝いごとなどでよく用いられ、一般社会における人間関係を円滑にするための大切な手段でもあった。出家僧にとってもおなじことである。……寺院の山門にはよく戒壇石というのが立っていて、「不許葷酒入山門」と書いてあるが、酒は堂々と山門から寺の中に入ってゆく。ある禅僧が笑って言った。許されざれども葷酒山門に入ると読めばよいと。葷は許さず、酒は山門に入れとも読める。おおらかなものである。

酒は百薬の長ともいう。天の美禄ともいう。李白や杜甫の詩には酒を讃美する名句があふれている。しかしながら酒はやはり魔物であり、時には災いのもとをなす。初期経典の戒めを忘れてはいけない。特に飲みすぎはいけない。法華経によれば、初めは人が酒を飲み、次に酒が酒を飲み、後には酒が人を呑むとある。論語には、「酒は量無し、乱に及ばず」の語があるが、それは孔子の話であって、我々はうっかりすると「酒は量無し、及ばざれば乱す」となる恐れがある。家庭の団欒のため、よき交友と職場の活力のため、適量の酒を楽しく飲みたいものである。』(関根瑛応 「日常生活と仏教用語」より)

アンダーラインを引用した後、「… …、… …、今日は、飲まれる前の、ほどよいかげん(ほろ酔いかげん?)に飲んでいって下さい」というあいさつでした。

■ 話は前に戻りますが、

草なぎさんは、好感のもてる芸能人だし、謝罪会見で話していることもちゃんとしていたし …、体調かなにかの影響があったんでしょうか?、量が過ぎて、飲みすぎて、酒が人を変えたんしょうね~、… 魔物ですか~、酒が草なぎさんを飲んでしまったんでしょうね~。

まずは本人が問われると思いますが、実害はなかったようですし、それにしても、一緒にいた飲み友達が、こういう事態にならないように、なんとかしてやれなかったのかと思いますね~。

コメント
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