団塊世代おじさんの日常生活

夏 日本で二番目に気温が高く、陶器と虎渓山と修道院で知られる多治見市の出身です。

山桜を見なくては桜を語れない!

2014-04-28 06:29:23 | 日記
先日 新聞の広告欄に「小林秀雄さんの学生との対話」という本が出版されたとのことでしたので、さっそくネットで入手しました。
まだ小林秀雄さんの「本居宣長」を読破していないのに、別の本を読みたくなりました。
学生の頃、試験前になると小説などが無性に読みたくなったのと同じ傾向です。(苦笑)

この本は、小林秀雄さんが、昭和36年から昭和53年の間に、5回にわたって九州に赴き、全国60余の大学から集まった3、400名の学生や青年と交わした対話の記録です。
講義の模様は以前はカセットテープに収められ、販売されていました。その内の1巻を以前買ったことがあります。
小林さんの肉声は写真から想像していた通りの声でした。
今はCDになって販売されているようです。

まだ読み始めたばかりですが、さすが小林さんらしいと思ったことがあります。
下記がその講義の一部です。

 諸君は本居さんのものなどお読みにはならないかも知れないが、
「敷島の大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花」という歌くらいはご存知でしょう。
この有名な歌には、少しもむつかしいところはないようですが、調べるとなかなかむずかしい歌なのです。
先ず第一、山桜を諸君ご存知ですか。知らないでしょう。
山桜とはどういう趣の桜か知らないで、この歌の味わいは分かるはずはないではないか。
宣長さんは大変桜が好きだった人で、若い頃から庭に桜を植えていたが、「死んだら自分の墓には山桜を植えてくれ」と遺言を書いています。
その山桜も一流のやつを植えてくれと言って、遺言状には山桜の絵まで描いています。
花が咲いて、赤い葉が出ています。
山桜というものは、必ず花と葉が一緒に出るのです。諸君はこのごろ染井吉野という種類の桜しか見ていないから、桜は花が先に咲いて、あとから緑の葉っぱが出ると思っているでしょう。
あれは桜でも一番低級な桜なのです。
今日の日本の桜の80パーセントは染井吉野だそうです。
これは明治になってから広まった桜の新種なので、なぜああいう種類が流行ったかというと、最も植木屋が育てやすかったからだそうで、植木屋を後援したのが文部省だった。
小学校の校庭にはどこにも桜がありますが、まあ、あれは文部省と植木屋が結託して植えたようなもので、だから小学校の生徒はみなああいう俗悪な花が桜だと教えられて了うわけだ。
宣長さんが「山桜花」と言ったって分からないわけです。

この発言には驚きました。
私が美しいと思っている染井吉野は俗悪な桜と断じているわけですから。(苦笑)
これでは小林さんが言われる山桜を見なくては桜を語れないなぁと思いました。(笑)





コメント (12)
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