団塊世代おじさんの日常生活

夏 日本で二番目に気温が高く、陶器と虎渓山と修道院で知られる多治見市の出身です。

真実は、人間の主観です。

2018-11-04 04:07:06 | 日記
 中日新聞の読書投稿欄に「人生の土台には真実を」というタイトルで、71歳の男性が投稿されていました。



 10月5日付本欄「優しいうそもあるはず」を投稿した11歳の小学生に言いたいことがあります。

 真実が残酷なら、うそは優しいと考えたくなる気持ちは分かります。
誰でも悲しみや苦しみから逃れたいものです。

 では、人は皆死ぬという真実を見ないようにして不老不死といううそを信じたらどうでしょう。
この「優しいうそ」は一時的な救いをもたらすものでしかなく、
うそと気づかれないようにうそを重ねていくことになります。
そんな人とは本当の喜びや悲しみを共有することができないのではないでしょうか。

 人生の土台となるのは真実だと私は考えます。
投稿者が私ぐらいの年齢になったらどう思っているかを聞いて見たいです。

 以上です。


 私は10月5日付の「優しいうそもあるはず」という11歳の小学生の投稿分を読んでいません。
読んでもいないのに発言して申し訳ないですが、この投稿者の方はちょっと小学生にきついのではと
思いました。

 また真実の使い方が違うように思いました。

 事実は、あるがままの出来事。客観的に見た、唯一の事柄。

 真実は、人間の主観に基づき導いた結論。
これは複数の人間が同じ場所で同じ出来事を体験しても、
人それぞれの主観(視点や思い)によってその内容が違ってしまうことがある。

 ようするに、真実は人それぞれの主観だから、人の数だけある。事実は1つだけだけということになるようです。

  この投稿者さんは、真実を事実と間違って使われているように思いました。

>人は皆死ぬという「真実」を見ないようにして不老不死といううそを信じたらどうでしょう。
と書かれていますが、

これは、人は皆死ぬという「事実」を見ないようにしてが、正しい言い方だと思います。

 投稿者の方には失礼ですが、小学生が投稿された「優しいうそもあるはず」も、
その小学生の主観なんですから、真実だと思います。







舟木一夫/仲間たち
コメント (8)
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