団塊世代おじさんの日常生活

夏 日本で二番目に気温が高く、陶器と虎渓山と修道院で知られる多治見市の出身です。

飲める方にとって、忘年会は楽しみの一つでしょうね。(笑)

2018-11-29 04:31:11 | 日記
中日新聞の「くらしの作文」に「自慢の忘年会」ということで、71歳の男性が投稿されていました。


 連続53回目を迎える忘年会が近づいてきました。

 思えば工業高校電気科を卒業した昭和41年に、有志が友人宅に集まって始まり、以来連綿と続いています。

 当初をのぞき、会場も日時も同じ。
多少のメンバーが入れ替わりつつ、毎年25人前後が出席。
われながらよく続いていると感心しきりで、大いに自慢でもあります。

 若いころは「課長の給料の半分は俺が稼いでいる」と騒いでいた連中が、いつしか
「今どきの若い者は」と慨嘆し、気がつけば、細かい字が見えないだの、
あちこちが痛いだのとのたまう始末。

 挙げ句の果てに「われわれが死に絶えるのが先か、店が潰れるのが先か」と
冗談を飛ばすやからもおりました。
幸いお店は安泰ですが、困ったことに近ごろ、冗談が冗談でなくなりつつあります。

 ここ数年、永久欠席となる者がちらほら。
集まれば一瞬で青春真っただ中のわれわれも、実態は71歳の高齢者。
やむを得ないとはいえ、本当に寂しい限りです。

 永久幹事のはずだったI君も、数年前に亡くなってしまいました。
今は彼に指名されたK君が大役を担ってくれております。

 昭和、平成、新元号と、この忘年会はまだまだ続けていきます。


 以上です。


 この投稿者さんのお仲間は高校卒業以来毎年忘年会をされているんですね。
大半の方が地元で働かれたのかな?
おそらく工業高校の電気科ならば、男性ばっかりではないと思うのですが。
52年もよく続いていると感心してしまいます。
幹事さんも大変でしょうね。
53年目も盛況で終わると良いですね。

 私はお酒が飲めないので、会社を退職してから忘年会なるものに参加したことはないです。
飲める方にとって、忘年会は楽しみの一つでしょうね。(笑)

 今年の春 元の会社の先輩からの「飲みに行こう!」と誘われましたが、
その頃は体調が思わしくなく断ったままの状態です。
来年は実行したいですね。(笑)







恋  松山千春  1979
コメント (8)
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