団塊世代おじさんの日常生活

夏 日本で二番目に気温が高く、陶器と虎渓山と修道院で知られる多治見市の出身です。

一人ぼっちを恐れないで!

2008-04-10 09:28:00 | 日記
愛知県犬山市は、今年度も学力テストを実施しない。

ただし来年度は市長の策略が功を奏して学力テスト賛成派の教育委員が3名になり、学力テストが実施されそうです。

私も子供の頃、学力テストを受けさせられた経験があるが、これが私にとってよかったという実感はない。

犬山市の親達は、犬山市だけが取り残されるような恐怖感があるだろうが、こんなもの必要ないと思う。

文部科学省と校長達が学童の管理資料と使おうとしているだけで、子供のことを考えて行おうとしている訳ではない!

あの安倍さんが音頭取りをしたのだから、役に立つとは思えない。

私達の時代受けた学力テストも中止の憂き目になっている。

犬山市のお子様を持つご両親の心配も分かるのですが、文部科学省の役人を信頼しない方がよろしいのでは?

彼等キャリアの子供は、優秀な私立でも行かせて、学力テストなどとは別なルートを子供に歩ませていると思いますよ。

犬山市もこのまま学力テストを実施せずにおけば、将来犬山市の教育委員会の諸氏は賢明だったとの評価を受けるのではありませんか?

「赤信号、みんなで渡れば恐くない!」はやめたほうが良いのでは?

役人は、思う通りになる住民を笑っていますよ!!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

定年後、一年経過して。

2008-04-10 07:25:00 | 日記
早いもので、定年になって一年を経過した。
去年の10月からは4日に一度アルバイトをしているが、まあまあ自由な時間を謳歌している。

この一年で夫婦の最大の危機があった。
全ての原因は私にあるのだが、家内に内緒で退職金の一部を株に投資して、そのことがばれてしまったことだ。

そのことで、家内の怒りが三ヶ月くらい続いた。
今はやっと許してもらえたみたいに思うが、株の話はタブーである。
当然のごとく大損している。
家内に内緒の投資はしない方がよろしいかと思います。

これから定年を迎える方に一つアドバイスさせて頂くとしたら、家事は必ず分担すべきだと思います。

えらそうな事を言えませんが、私は浴室の清掃、ふとんの上げ下げ。洗われた食器を拭いて食器棚にしまうこと、ゴミを出すこと、洗濯物を取り入れること、お米を砥ぐこと、家内がパート先から戻った時、お茶を飲めるようにポットの湯を満タンにしておくことなどを引き受けています。

家内は、「家にいる人が全ての家事をやって欲しい」と言っていますが、そこまでは勘弁して欲しいというのが本音です。
本当は食事も多少作れるようにした方が良いと思います。少しチャレンジしましたが、面倒になってやめてしまいました。
日頃はやりませんが、どうにかアイロンがけはやれるようになりました。

私も三十数年働いたので、何もせず少しのんびりしたいと思っていましたが、家事は日常のことですので、少しは分担しないと私の家庭のように夫婦の危機が訪れるかもしれないという事を忠告させて頂きたいと思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

頭が硬い!

2008-04-10 06:01:00 | 日記
私は中学生の時、担任の先生に良く「おまえは頭が硬い」と言われました。
当時は言われた意味が良くわかりませんでしたが、今なら多少分かる気がします。

先日振られた話をブログに書きましたが、当時私は多治見に住んでいまして、JRの中央西線を利用して通勤していました。
振られた彼女は犬山市に住んでいまして、私鉄の名鉄線で通っていました。

彼女と名古屋の繁華街 栄でデイトした時など、別れる際は地下鉄栄駅で彼女は名古屋方面の電車、私は千種方面の電車に乗るということで、栄駅で別れていました。

私は彼女を見送ってから、千種方面の電車に乗り込むのが常でした。
彼女は別れの際、いつも小さく手を振ってくれました。

本題の頭が硬いというのは、私は少し遠回りになるのですが、名古屋まで彼女と行ってそこで別れても多治見に帰れるのです。
本来なら少しでも彼女といたいというのが本当でしょう。
ところが私は頭が硬いので、いつもの帰る習慣を変えようとしなかったのです。

残念ながら、私の頭の硬いのは61の今でも直っていません。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

桜吹雪が舞い散る中で入学式の写真を撮られている!

2008-04-08 07:33:00 | 日記
昨日少し雨模様の中、息子の家のすぐ前の神社の境内で、小学校の入学式を終えたばかりと思える親子が記念の写真を撮られていた。

どの顔も晴れ晴れとしている。カメラを持ったお父さんが、息子さんと奥様を撮られていた。
お父さんがいろんなアングルで、何度もシャッターを押されている。

私が子供の頃は、このような経験はない。
今は家族の記念行事に父親も参加することが、当たり前になってきている。
日本もいい時代になったと思う。
私の時代でさえ、会社を休んで子供の入学式に参加する雰囲気はありませんでした。

日本もやっと欧米諸国のように豊かになったかと思える。

格差社会が言われる現状から、全ての父親が入学式に参加できるとは思えないが、桜が満開の季節、子供のめでたい日に親子揃って参加できることは、無上の喜びではないかと思う。

私事ですが、一昨日この神社の境内で、入園式を終えたばかりの孫と息子とのツーショットを何度もカメラにおさめました。

このような機会が持てて幸せです。
それにしても桜が満開できれいでした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「池上線」を聞くと、実体験のような錯覚に陥る。

2008-04-07 21:11:00 | 日記
西島三重子さんの「池上線」を聴くと、私は自分がこの歌詞のような経験をした錯覚に陥る。

実際、このような体験はない。しいて言えば、青春時代まだ付き合い始めたばかりの彼女と地下鉄の電車の中で、何か話そうとしたが、あまりの騒音に何も話さないで、終着駅に着いてしまった苦い体験があるだけです。

池上線の冒頭の歌詞

「古い電車の ドアのそば
 二人は黙って 立っていた
 話す言葉を 捜しながら
 すきま風に 震えて」

この歌詞の状況が似ているのです。

お互いに話す言葉が見つからなくて、黙っていたほろ苦さが思い出されます。
結局は彼女に振られてしまったのですが、
彼女に振られた際に言われた、「あなたは、私の思っていた人と違っていた」という言葉は、私の胸にするどく残りました。

彼女と別れて、一人夜の街を歩きましたが、夜風が身に凍みたのを憶えています。

その夜は、一人でサントリーのオールドを飲んだ記憶があります。
残念ながら、私はお酒をあまり飲めないので、グラスに一杯も飲めませんでした。

もう彼女のような可愛い女性とは、付き合えないだろうという絶望感に襲われました。

後日、会社の友人達と話をしていた時、友人の一人が「XXさん、この前飲みに行った際、泣いていたよ!」とからかわれました。
もちろんすぐに否定しました。
その友人が言うには、彼女が男の人と歩いていたのを見たというのです。


今から思うと、彼女も彼氏を求めていたのに、私との付き合いが上手くいかないのでどうしようかと悩んでいたのではないかと思います。

今後も、西島三重子さんの「池上線」を聴くと振られた彼女を想い出すだろうと思います。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする