深谷を歩く 2008/4/29
14世紀後半、関東管領の山内上杉憲顕が国済寺周辺に北関東の新田氏の勢力や一揆などを抑えるために開いた。その後、深谷上杉家は秀吉に滅ぼされ、江戸時代に一時再興されたがその後、廃城となった。
瀧宮神社・駅前にある大きな神社
円受院
西島稲荷神社
清心寺
萱塚稲荷神社
瀧宮神社
天手長男[ナガオ]神社
呑龍院
諏訪神社
とても小さな祠、このような祠が町中にたくさんあった。
大円寺
正覚寺
三高院
福寿院
このお寺の境内の木陰でお握りを食べた。洒落たベンチがあった。
長福寺
東源寺
稲荷神社[社務所はこの6~7倍大きかった]
富士浅間神社[別名=智形神社]
・みかんの花咲く丘の碑[加藤省吾作詞]私の大好きな童謡でこれまで瀬戸内の風景とずっと思って来たが、
戦時中、加藤は両親と共にこの地に疎開し、静岡の地を思って歌ったという。
深谷城址公園[右建物は文化会館]
右に、富士浅間神社。
管領稲荷神社
高台院
願誓寺
この左に市役所が隣接している。
西運寺
西蔵院
瑠璃光寺
立派な仁王像であった。
瑠璃光寺本堂、左に薬師堂への回廊が続く。
写真左下にブランコがあり、楽しい親子が遊んでいた、
私が帰り際、会釈するとその親子は大きな声で「今日は」と返してくれた。
とても広い境内で、いくつかの伽藍も現存している。
荒神社
ブルーの囲いは、蚕影神社という珍しい名前の神社
国済寺・黒門[禅寺である]
三門
本堂
上杉氏歴代の墓
茶室
JR深谷駅
実業家渋沢栄一は深谷の出身であり、
その渋沢は明治20年に日本煉瓦製造会社の工場をつくった。
その煉瓦は、司法省(現法務省)・日本銀行・赤坂離宮・警視庁・東大学・東京駅などに使われ、
深谷駅舎は東京駅をモデルに数年前に改築された。
だが、煉瓦の種類・色はだいぶ違う、明治期のそれは朱色に近いが、
深谷駅舎のは紫がかっている。
酒の工場にも使われたようで、市内に何カ所かあった。
深谷駅舎は東京駅モデルで興ざめだという人もいるようだが、
今日、どの駅舎も同じ様でおもしろみ、特色がないなか、
煉瓦で深谷らしさを出そうとしたのは、ユニークでシャレだと私には楽しい。
深谷市を訪れたのは、初めて、渋沢栄一とならんで深谷ネギで有名だ。
丈が少し短く、その分太く肉厚で甘みがあるネギだ。
人口は15万人ほどで、面積はかなり広いようだ、歩いたのはその一部で、
市街地・住宅地で、田んぼ・農地は少なかった。
それでも結構時間がかかった。
酒造工場の高い煙突・赤煉瓦がいくつかあり、印象的だった。
車はたくさん走っているのだが、人通りはほとんどない。
瀧宮神社と言う名の神社が二つあった。
水への祈りなのだろう。
日照りに困り水を求めたのだろう。
川はあるが、大きくはない。
また、稲荷神社が各所にあった。
いずれも大きくはなかったが、歴史があり、また手入れも行き届いている。
その名の通り、稲=農耕・豊饒を祈り、住民の祭りの中心だったのだろう。
また、本当に小さな祠も随所にあった。
それらは、この地が古からの農村、しかもかなりの人々が住んでいたことを教える。
14世紀後半、関東管領の山内上杉憲顕が国済寺周辺に北関東の新田氏の勢力や一揆などを抑えるために開いた。その後、深谷上杉家は秀吉に滅ぼされ、江戸時代に一時再興されたがその後、廃城となった。
瀧宮神社・駅前にある大きな神社
円受院
西島稲荷神社
清心寺
萱塚稲荷神社
瀧宮神社
天手長男[ナガオ]神社
呑龍院
諏訪神社
とても小さな祠、このような祠が町中にたくさんあった。
大円寺
正覚寺
三高院
福寿院
このお寺の境内の木陰でお握りを食べた。洒落たベンチがあった。
長福寺
東源寺
稲荷神社[社務所はこの6~7倍大きかった]
富士浅間神社[別名=智形神社]
・みかんの花咲く丘の碑[加藤省吾作詞]私の大好きな童謡でこれまで瀬戸内の風景とずっと思って来たが、
戦時中、加藤は両親と共にこの地に疎開し、静岡の地を思って歌ったという。
深谷城址公園[右建物は文化会館]
右に、富士浅間神社。
管領稲荷神社
高台院
願誓寺
この左に市役所が隣接している。
西運寺
西蔵院
瑠璃光寺
立派な仁王像であった。
瑠璃光寺本堂、左に薬師堂への回廊が続く。
写真左下にブランコがあり、楽しい親子が遊んでいた、
私が帰り際、会釈するとその親子は大きな声で「今日は」と返してくれた。
とても広い境内で、いくつかの伽藍も現存している。
荒神社
ブルーの囲いは、蚕影神社という珍しい名前の神社
国済寺・黒門[禅寺である]
三門
本堂
上杉氏歴代の墓
茶室
JR深谷駅
実業家渋沢栄一は深谷の出身であり、
その渋沢は明治20年に日本煉瓦製造会社の工場をつくった。
その煉瓦は、司法省(現法務省)・日本銀行・赤坂離宮・警視庁・東大学・東京駅などに使われ、
深谷駅舎は東京駅をモデルに数年前に改築された。
だが、煉瓦の種類・色はだいぶ違う、明治期のそれは朱色に近いが、
深谷駅舎のは紫がかっている。
酒の工場にも使われたようで、市内に何カ所かあった。
深谷駅舎は東京駅モデルで興ざめだという人もいるようだが、
今日、どの駅舎も同じ様でおもしろみ、特色がないなか、
煉瓦で深谷らしさを出そうとしたのは、ユニークでシャレだと私には楽しい。
深谷市を訪れたのは、初めて、渋沢栄一とならんで深谷ネギで有名だ。
丈が少し短く、その分太く肉厚で甘みがあるネギだ。
人口は15万人ほどで、面積はかなり広いようだ、歩いたのはその一部で、
市街地・住宅地で、田んぼ・農地は少なかった。
それでも結構時間がかかった。
酒造工場の高い煙突・赤煉瓦がいくつかあり、印象的だった。
車はたくさん走っているのだが、人通りはほとんどない。
瀧宮神社と言う名の神社が二つあった。
水への祈りなのだろう。
日照りに困り水を求めたのだろう。
川はあるが、大きくはない。
また、稲荷神社が各所にあった。
いずれも大きくはなかったが、歴史があり、また手入れも行き届いている。
その名の通り、稲=農耕・豊饒を祈り、住民の祭りの中心だったのだろう。
また、本当に小さな祠も随所にあった。
それらは、この地が古からの農村、しかもかなりの人々が住んでいたことを教える。