風そよぐ部屋

ウォーキングと映画の無味感想ノート

高崎を歩く②~少林寺達磨寺・上野国一社八幡宮・高崎

2008年05月08日 | ウォーキング
高崎を歩く②~少林寺達磨寺・上野国一社八幡宮 2008/5/6
昨日に続いて歩いた。
今日はまず、群馬八幡駅からスタートした。高崎から上越本線[~横川間]で二つ目。
一時間一本のローカル線、だがかなりの混雑であった。
往きは2両、帰りは5両だった。


少林寺達磨寺[黄檗宗=おうばくしゅう]
三門
 
門をくぐると急で長い階段だった。

釣り鐘のある門・招福の鐘[手前側が本堂、奧が階段]、この下を通る。

本堂
 
達磨堂内部[本堂の左]

ブルーノ・タウトの碑

洗心亭[ナチスに追われたタウトは日本に亡命し、ここに住んだという]

禅師が本堂に向かっていた、法衣には達磨禅師の絵が。

関東ふれあいの道[三門の右の小道]


達磨寺、ブルーノ・タウトについては
http://www.daruma.or.jp/
タウトと禅寺、しかし京都ではなく高崎であった。
達磨寺のホームページによると、哲学堂の井上房一郎が達磨寺を紹介したとか。
黄檗宗の達磨寺はあちこちで中国らしさを感じる、ゆったりしている。
はじめは、このまま帰る予定であったが、ここまで一時間弱かかってしまい、
次の電車に乗るには慌ただしいので、もう一時間ここで過ごし、
12:20の電車で八幡宮に行くことにした。

上野国一社八幡宮


二門

門の両側に一対の像があった、こちらは右側

本殿

本殿横の壁

本殿背後に『裏神さま=縁結びと安産』

疫齋神と言う珍しい名の祠があった

地主稲荷[信仰の印として赤旗を寄進するらしい・一枚二千円]・祠は二重になっていて、中に古い祠があった。

この他、天満宮・山王宮[日枝神社]などがあった。

孫を連れた初老のご婦人が遊んでいた。
その子ども、私が珍しいのか、顔をじっと見て立ち去らないので、
「バイバイ」と手を振ると、おばあちゃんに「バイバイは?」と促されて帰った。

境内の木陰で昼食をとった。涼しい風が吹いて気持ちよかった。
かなり大きい神社だが、一時間ほどいたが来たのは数人だった。
八幡宮と達磨寺は間に碓氷川を挟んで対称にある。両方ともちょっと高台にある。

大聖護国寺[八幡宮の右に隣接]


高崎市内


電車に乗って高崎に戻る。昼時であったが電車はかなり混んでいた。

高崎市美術館

左の木立が高崎哲学堂[高崎出身の画家・井上房一郎の家があったところ、哲学堂と呼ばれる]

東京中野の哲学堂公園とは関係がない。
ここは何人かが訪れていた。

愛宕神社


日本山妙法寺


小万地蔵尊


竜広寺
 

頼政神社

内村鑑三の碑[内村鑑三は高崎の出身とのこと]

クリスチャンの内村鑑三の碑がこの古い神社内にあるのは不思議な気がした。

高崎公園


ここらで、場所が分からずうろうろしていると、警官に声をかけられた。
むかついたが、じっと我慢して、
「お寺巡りをしている」と地図を見せると、暑いので気をつけてだと。
大きいお寺の場合、建物は遠くから分かっても、入口が分からないことがある。
墓地は塀で囲まれていて入れないので、一回りすることもあり、
そのうち路地が入りくんでいてとんでもない方角に出てしまうこともある。

光明寺


興禅寺

興禅寺地蔵堂[興禅寺の敷地の外にある]


向雲寺
 

高崎市役所前の城址公園の木陰で一休みして帰路についた。
この市役所、いかにも場違いと言った感じ、思い切って高崎城天守閣様にすればいいのに。

もう少し花を見て帰ろうかとも思ったが、時計を見ると、
昨日とほぼ同じ時刻、大急ぎで駅に向かった。
発車3分くらい前に間に合うがとても混んでいて、やっと座れた。
14:17発小田原行きの特別快速であった。
15両だが、始発の高崎で満員、しかも、大宮までほとんど降りないのであった。
連休だから混んでいたのだろうか、それともいつものことなのだろうか。
30分ほど爆睡であった。

達磨寺は味わい深かった。
タウトについての説明も随所にある。
高崎には、有名な高崎観音がある。
達磨寺と同じ河岸段丘にあるし、以前行ったことがある、歩きでは遠すぎる。
時間があれば、線路の反対側にも行きたかった。
おそらく市街地ではなく田畑ではないかと思う。
達磨寺は人がいたが、後はほとんどいない。
道を聞こうと思ってもちょうどいい人はいないのである。
昨日は曇天、今日は記録的な乾燥、そして暑かった。

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