まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

日和佐と徳島~年越し四国紀行・2

2010年01月02日 | 旅行記G・四国

12月30日、牟岐線~阿佐海岸鉄道の旅も折り返しとなり、日和佐で下車。以前この町にあるユースホステルに泊まったのが11年前のことである。

ただ今回下車して、駅の様子も随分と変わった。駅舎そのものは東側を向いているのだが、ちょうど裏手に当たる西側、国道55号線に面した側には大きな道の駅ができていた。ホームからそちらに続く出口も設けられ、観光客的にはそちらが表玄関であるかのように見える。雰囲気も明るくなったように見られた。

Dscn6360さてここでは、駅から歩いてすぐのところにある薬王寺に向かう。四国八十八ヶ所の第23番の古刹で、古くから厄除け祈願で賑わうところ。1月1~3日には高松からの臨時特急も運転されるとかで、人気のスポットである。こういうところに正月ではなく、年も押し迫り初詣の準備に追われている時にお参りするのもいいものだ。

Dscn6368ここの名物は厄坂と呼ばれる石段。女厄坂が33段、男厄坂が42段、男女厄坂が61段あり、1段1段に「厄を落とす」という願いを込めて1円玉を置いて登るならわしがある。さて、ここで財布の1円玉の出番だ・・・・といってもさすがに何十枚とあるわけではなく(それでも15枚くらいあった。普段どんな会計の仕方をしているのやら)、要所要所で賽銭のように落としながら登っていく。ただ後で考えるに、お願いをするのだから落とすのではなく丁寧に置いてくるべきだったかなとも思うのだが、正しくはどっちなんだろう・・・・。

Dscn6364本堂の上にある瑜祇塔に登る。ここからは日和佐の町を一望することができる。西側の薬王寺に対峙して、東側に日和佐城の天守閣を見る。その向こうには太平洋。なかなか穏やかな風景である。

Dscn6363ここで塔の裏の山手で何やらガサガサいう音がする。それも一回ではなく何回も。そのうち何やら鳴き声がしたのでよく目をこらしてみると、私の存在に気づいたのか、茶色い何かが数体、山の上のほうに移動する。ちらっと見えたのがどうもニホンザルの群れのような気がする。へ~、こんなところでサルの群れを見るとは思わなかった。これも自然豊かな証なのか、それとも、人家にほど近いところまで下りてきていることの証なのか。

Dscn6369薬王寺を後にして、日和佐の中心部へ。平成の大合併により、日和佐町と由岐町が合併して美波町ということになる。その美波町が、前の記事にも書いた「ウェルかめ」の舞台だとかで、町の商店街では幟やらポスターやらを掲示してPRと歓迎ムードである。ちなみに、11年前に宿泊したユースホステルと思われる建物を見つけたが、お遍路の宿としては開いているようだがユースの看板は下ろしているようだった。

Dscn6370Dscn6371薬王寺から歩いて20分ほどで出てきたのが大浜海岸である。ここはウミガメが産卵に訪れる砂浜で、もとより日和佐の観光といえばこのウミガメである。産卵の時期は夏場のためにこの日は何もなかったが、澄んだ青空に包まれた穏やかな海岸の風景には癒される。しばらく、波の音を聞いて過ごす。

Dscn6381日和佐城を見上げながら駅に戻る。JRの駅は無人だが、反対側の道の駅は賑わっている。そこには何と足湯まである。朝早くから移動してきたことだし、砂浜も歩いたのでここでしばし疲れを癒す。常に湯を入れ替えているので温かさが保たれており、気持ちよい足浴となる。滞在1時間半ほどであったが、なかなか充実した途中下車だった。

日和佐からはキハ47の2両編成にのんびりと揺られて徳島に戻る。駅前のホテルサンルートにチェックイン。駅前という立地条件、広々とした部屋、最上階には展望風呂を備え、おまけに全室パソコン完備(テレビがモニター兼用)という充実した施設。

さて夕食をということだが、繁華街に出るには少し移動が必要である。でもまあ、駅の周辺にもそこそこ店がありそうだし・・・ということでぶらつくうち、ちょうどサンルートの裏手にあるところで「味祭」という居酒屋を見つける。徳島の「地産地消」というのに引かれたこともある。

Dscn6388で、その「地産地消」メニューということで注文した一つが、阿波尾鶏。これを焼き鳥でいただいたが、適度にやわらかい感じがして結構な味。

Dscn6389このほかには「鳴門金時の天ぷら」に「鳴門ワカメの天ぷら」。また刺身は地物あり、そこに徳島産のすだちを合わせていただく。店の方も愛想良く接してくれてなかなかいい感じだ。

Dscn6391これに相手するのは、「すだち酒」。アルコールの低いリキュールであるが、これもさっぱりと飲みやすく、ともすればなんぼでも行ってしまいそうな味(この後、帰りにコンビニでも売っていたので買い求めた)。また徳島に来た折には、これらの地物の食材を楽しみたいと思わせる。

Dscn6393最後には徳島ラーメンの「麺王」で仕上げとしてホテルに戻る。大浴場で疲れを本格的に落とした後で、このブログの12月30日付の書き込みとなる・・・・。(続く)

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牟岐線の旅~年越し四国紀行・1

2010年01月02日 | 旅行記G・四国

2009年からの年越し。昨年までであれば、東京から大阪の実家に帰ることが旅行と言えるところだったが、今度は年明けには戻るとはいってもそれまでの間、関西から逆に出かけるということになる。ということで、比較的近くへ行くことになる。

今回目的地に選んだのは四国・徳島。四国には何度となく訪れているが、徳島県というのが関西にもっとも近くにありながらそれほど「なじみ感」がないということで。その中で牟岐線は初乗車の時に途中の日和佐にあるユースホステルに宿泊したり、室戸岬への抜け道として乗ったこともあるのだが、「南の海を目指そう」ということで久しぶりに訪れてみることにする。そして、四国4県の各県庁所在地にあって徳島市だけが「宿泊未体験」ということで、牟岐線乗車の後は徳島での宿泊ということにする。

Dscn6321_3大阪からの出発は列車ではなく、大阪駅6時40分発の徳島行きの高速バスを選択。徳島駅には9時17分の到着予定だ。帰省ラッシュの時期ということで途中の混雑が心配されたが、阪神高速の湾岸線を経由し、神戸線乗り継ぎもスンナリと行った。

Dscn6326その後、明石海峡大橋から淡路島を経て、鳴門で四国上陸。前日帰宅したのが深夜1時(前日というより当日になっている)、起床が4時ということでほとんど眠っていないこともあり、結局このバスの時間は音楽を聴きながら眠っていることが多かった。まあ、これが高速バスの時間の過ごし方ということで割り切ることにする。

道路が空いていたためか、定刻より10分ほど早く徳島駅に到着。夕方にここに戻る予定なので、大きな荷物をコインロッカーに預けた後、次の牟岐線の列車の時刻を確認する。事前に確認したところでは、10時45分発の海部行きまで時間が空くようだったが・・・。

Dscn6329と、改札口の案内板を見ると、9時19分発の牟岐行きと表示されている。これは当初、バスの到着が9時17分ということで「間に合わない」としていた列車だ。それがバスの早着で間に合うようだ。これはいいほうの予定変更ということで、ホームに急ぐ(写真の駅名横の絵柄は、プロ野球四国・九州アイランドリーグの徳島インディゴソックスのキャラクター)。

Dscn6328乗車したのはキハ40の単行(ただし、改造によりトイレなし車両)。帰省客らしい人も乗せ、昔ながらのエンジン音をバリバリ言わせながら出発する。47の都道府県にあって「電車」が走らない唯一の県、徳島県の鉄道旅行の始まりである。

牟岐線といえば「阿波室戸シーサイドライン」という愛称がつけられているが、「シーサイド」は随分先のほうでちょろっとだけというのは折り込み済み。徳島の南部の町を結ぶ路線ということで解釈しておこうと思う。私個人的にはこの路線の車窓はシーサイドというよりは、小松島や阿南あたりで見られる「長いアンテナ」。乗るたびにこのアンテナが伸びる風景に独特のものを感じるのだが、やはりこれは関西のテレビを受信するためのもの。徳島の民放といえば「四国放送」というのが1局あるだけだが、このように関西のテレビを受信する家庭が多いため、「チャンネル格差」はそれほどでもないということである。ただ、こういうアンテナの場合、「地デジ」対策のほうは大丈夫なんだろうか・・・?

Dscn6345さて徳島といえばNHKの朝のドラマ「ウェルかめ」、ということになるようだ。ドラマ自体観ていないのであらすじはわからないのだが、ドラマの舞台が徳島ということでJRも観光とのタイアップに力を入れている。ヒロインの倉科カナが車内広告や駅掲示のポスターに登場し、番組と徳島観光のPRを行っている。そういえば「坂の上の雲」も松山が舞台であり、こちらの車内広告も見かける。2009年はJRとNHKと地元自治体のタイアップが目立つ。そういえば2010年の大河ドラマは坂本龍馬だから、今度はこれに高知が加わるということで・・・。

Dscn6383由岐を過ぎた田井ノ浜でチラリと海岸線を見て、ようやく南国に来たことを実感する。

Dscn633611時34分、この列車の終点、牟岐に到着。ここでも「ウェルかめ」である。次に乗り継ぐ海部行きまで時間があるので、昼食を仕入れることにする。駅前に地元スーパーがあったのでのぞいてみる。海沿いの町ということでやはり魚かな・・・と思い、中の鮮魚店を除く。するとありました、寿司に惣菜。

Dscn6340その中でアジ、太刀魚の押し寿司を買い求める。店頭にあった新聞の切り抜きでは、ここ牟岐の郷土料理としての押し寿司には、ごはんの間に山菜などをはさんだものがあるという。残念ながら買ったのは普通の押し寿司だったが、身が分厚く各パックとも262円という安さだった。

Dscn6341この他にウツボ(牟岐産)のタタキのパックがあったので合わせて購入。最近の高知の郷土料理として広まりつつあるウツボのタタキ、スーパーで普通に手に入るとはそれだけ浸透しているということだろうか。こりこりした食感がたまらない。

Dscn6339これらを抱えて乗り込んだ12時06分発の海部行きは、特急「むろと」号の合間運用。おまけに乗客は4~5人とあって、座席を広々と使ってこれらをいただく。段々、鉄道旅行らしくなってきたぞ。ただ、海部までの所要時間は17分。若干慌てながらの食事となる。

Dscn6347駅の手前に「何でこんなんがあるの?」という超短いトンネルを抜け、高架の海部駅に到着。ここでJRは終わり、阿佐海岸鉄道の甲浦行きが待っている。

Dscn6349一瞬、乗ろうかどうしようか迷ったが、当初のざっくりとした予定より早いペースで来ているので往復しよう。

Dscn6352阿佐海岸鉄道とはいうものの、駅は次の宍喰と終点の甲浦のみ。高架橋を飛ばし、途中で海岸風景も見せてくれるが、終着駅はいかにも「ここで工事が中断しています」という感じで、中途半端なところで高架橋が終わっているところ。

Dscn6353全国にいろんな終着駅があるが、こういう殺風景なのもまたひとつの鉄道風景である。この先線路が延びる気配はなく、このまま「JRの延長線」として細々とやっていくのだろう。

Dscn6355折り返しの列車まで20分ある。この時間を利用してせめて海でも見よう。最寄の海岸線までは600mという案内があり、日ごろのウォーキングのペースなら何とか行って帰れる距離かな。ということでスタスタと歩き、海岸線にたどり着く。

Dscn6357写真を撮って滞在時間2分で再び早足で駅に戻る。駅のトイレで用足しをするだけの時間はあったが、車内に入るとさすがに身体がカァーっとしてきて、少しだけの間、窓を開けて身体を冷ます。寒い時期なのに何をやっているんだろう・・・・同じ列車での折り返し組からはそういう目で見られていたような。

Dscn6359この後は景色の巻き戻しで、海部、牟岐で列車を乗り継ぎ、13時58分、日和佐到着。ここで途中下車することにする。やはり、沿線一の観光地ということで・・・・。

後日実家に戻ったとき、実家で保管している古い旅行記を書いたノートをめくって気づいたのだが、以前日和佐に宿泊したのが11年前の年末。そんなにも日が経ったのかと思う・・・・(続く)。

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