12月30日、牟岐線~阿佐海岸鉄道の旅も折り返しとなり、日和佐で下車。以前この町にあるユースホステルに泊まったのが11年前のことである。
ただ今回下車して、駅の様子も随分と変わった。駅舎そのものは東側を向いているのだが、ちょうど裏手に当たる西側、国道55号線に面した側には大きな道の駅ができていた。ホームからそちらに続く出口も設けられ、観光客的にはそちらが表玄関であるかのように見える。雰囲気も明るくなったように見られた。
さてここでは、駅から歩いてすぐのところにある薬王寺に向かう。四国八十八ヶ所の第23番の古刹で、古くから厄除け祈願で賑わうところ。1月1~3日には高松からの臨時特急も運転されるとかで、人気のスポットである。こういうところに正月ではなく、年も押し迫り初詣の準備に追われている時にお参りするのもいいものだ。
ここの名物は厄坂と呼ばれる石段。女厄坂が33段、男厄坂が42段、男女厄坂が61段あり、1段1段に「厄を落とす」という願いを込めて1円玉を置いて登るならわしがある。さて、ここで財布の1円玉の出番だ・・・・といってもさすがに何十枚とあるわけではなく(それでも15枚くらいあった。普段どんな会計の仕方をしているのやら)、要所要所で賽銭のように落としながら登っていく。ただ後で考えるに、お願いをするのだから落とすのではなく丁寧に置いてくるべきだったかなとも思うのだが、正しくはどっちなんだろう・・・・。
本堂の上にある瑜祇塔に登る。ここからは日和佐の町を一望することができる。西側の薬王寺に対峙して、東側に日和佐城の天守閣を見る。その向こうには太平洋。なかなか穏やかな風景である。
ここで塔の裏の山手で何やらガサガサいう音がする。それも一回ではなく何回も。そのうち何やら鳴き声がしたのでよく目をこらしてみると、私の存在に気づいたのか、茶色い何かが数体、山の上のほうに移動する。ちらっと見えたのがどうもニホンザルの群れのような気がする。へ~、こんなところでサルの群れを見るとは思わなかった。これも自然豊かな証なのか、それとも、人家にほど近いところまで下りてきていることの証なのか。
薬王寺を後にして、日和佐の中心部へ。平成の大合併により、日和佐町と由岐町が合併して美波町ということになる。その美波町が、前の記事にも書いた「ウェルかめ」の舞台だとかで、町の商店街では幟やらポスターやらを掲示してPRと歓迎ムードである。ちなみに、11年前に宿泊したユースホステルと思われる建物を見つけたが、お遍路の宿としては開いているようだがユースの看板は下ろしているようだった。
薬王寺から歩いて20分ほどで出てきたのが大浜海岸である。ここはウミガメが産卵に訪れる砂浜で、もとより日和佐の観光といえばこのウミガメである。産卵の時期は夏場のためにこの日は何もなかったが、澄んだ青空に包まれた穏やかな海岸の風景には癒される。しばらく、波の音を聞いて過ごす。
日和佐城を見上げながら駅に戻る。JRの駅は無人だが、反対側の道の駅は賑わっている。そこには何と足湯まである。朝早くから移動してきたことだし、砂浜も歩いたのでここでしばし疲れを癒す。常に湯を入れ替えているので温かさが保たれており、気持ちよい足浴となる。滞在1時間半ほどであったが、なかなか充実した途中下車だった。
日和佐からはキハ47の2両編成にのんびりと揺られて徳島に戻る。駅前のホテルサンルートにチェックイン。駅前という立地条件、広々とした部屋、最上階には展望風呂を備え、おまけに全室パソコン完備(テレビがモニター兼用)という充実した施設。
さて夕食をということだが、繁華街に出るには少し移動が必要である。でもまあ、駅の周辺にもそこそこ店がありそうだし・・・ということでぶらつくうち、ちょうどサンルートの裏手にあるところで「味祭」という居酒屋を見つける。徳島の「地産地消」というのに引かれたこともある。
で、その「地産地消」メニューということで注文した一つが、阿波尾鶏。これを焼き鳥でいただいたが、適度にやわらかい感じがして結構な味。
このほかには「鳴門金時の天ぷら」に「鳴門ワカメの天ぷら」。また刺身は地物あり、そこに徳島産のすだちを合わせていただく。店の方も愛想良く接してくれてなかなかいい感じだ。
これに相手するのは、「すだち酒」。アルコールの低いリキュールであるが、これもさっぱりと飲みやすく、ともすればなんぼでも行ってしまいそうな味(この後、帰りにコンビニでも売っていたので買い求めた)。また徳島に来た折には、これらの地物の食材を楽しみたいと思わせる。
最後には徳島ラーメンの「麺王」で仕上げとしてホテルに戻る。大浴場で疲れを本格的に落とした後で、このブログの12月30日付の書き込みとなる・・・・。(続く)