何だか久しぶりに「ドライブ」をしたくなった。
とはいうもののこの時期、積雪のある日本海側は無理である(冬用タイヤはおろかタイヤチェーンも持っていないので)。ここは西へ向かうことにしようか。阪神高速~第二神明と乗り継いで、あとは国道2号線に乗って。
宿泊を広島に決めて、5日の早朝に出発する。さほど渋滞するスポットもなく、冬の柔らかい日差しの中を西へ走る。薄っすらと雲が張っており、快晴とまではいかないのだが・・・。
最初は福山の鞆の浦に行こうかと思った。ただクルマを走らせるうちに、「そういえば下津井電鉄の廃線跡を歩くというプランがあったな・・・」と思い出す。京阪神から青春18きっぷを利用しての日帰り旅行のモデルプランの一つにもあったような。下津井電鉄は瀬戸大橋の開通と引き換えになる形で1990年に廃止されたナローゲージの小さな私鉄である。結局乗る機会はなかったが、瀬戸内の海を見下ろしながらトコトコ走る列車の写真は覚えている。このところ運動不足ということもあり、それを歩くのも面白そうだ。
岡山市内から進路を変え、やってきたのは児島駅。近くの観光港の駐車場にクルマを停め、まずは駅へ。児島といえば世界に誇るジーンズの産地であり、また競艇場のある町である。駅の中にもボートが展示されている。
パンフレットによれば、下津井電鉄の児島駅はここから10分ほど歩いたところにあるという。かつては今のJR茶屋町から伸びていた線であるが、その児島駅がある辺りが児島の中心部のようである。
さてその廃線跡、終点の下津井までは6キロあまりの距離。今では「風の道」ということで歩道が整備されているそうだ。風の道、なかなかおしゃれな名前ですな。
看板に従って歩く。児島駅から線路跡が少し伸びたところに出て、柵の向こうに児島駅跡のホームを見る。ただ後でネットで旅行記などを確認するに、児島の駅舎は観光案内も兼ねているようで「現役」で使われており、中に入って当時の備品などを見ることもできたそうである。いや~、全く気づかなかった。反対から回って柵がしてあるので「ここは開放していないのだな」と勝手に思い込んだことである。ちゃんと事前に「明日は下津井電鉄を歩くぞ!」と気合を入れて下調べをしていればこういうことはなかったはずで、やはり気まぐれでは見落とすことが多いなと苦笑い。
その時はそんなことは気づかず、ホームの先が出発点だなと思い、歩き始める。ナローゲージということで道幅もさほどなく、路地裏を歩いているかのようである。もう廃線になって20年が経過するため、この「風の道」を歩道としてそちらの側を向いて建てられた家屋もあるが、古いものだと勝手口であったり物置であったり、家の裏側を見て通るところもある。かつて線路があり、それがある日急にもがれるというのも複雑なものだろう。
通れるのは歩行者と自転車だけということで、ウォーキングやジョギングのコースとしてだけでなく、地元の人が犬の散歩コースにしていたりとすっかり生活に密着した道である。6キロということで1時間あまりか、沿線に残る電柱などを見つつ、乗ったことはないがガタンゴトンと音を立てながら走る小ぶりな電車の姿を脳裏でイメージする。こういう路地裏を走る電車、今ではだいぶ少なくなったのではないだろうか。
途中の駅にはホーム跡、石垣も残されている。そしてホームの上には休憩用のベンチに、駅名標がある。「風の道」として、わざわざレトロ風にデザインされた駅名標が歴史の語り部になっているようだ。
うーん、やはり電車が走る様をこの目で見たかったなという気持ちが湧き出てくる。
途中の踏切跡。よく見ると道路のほうに「止まれ」のマークがある。これも目立たないがかつての名残であろう。今ではもちろん道路のほうが優先で、風の道の歩行者は一旦停止、また大きな道路では「道路横断禁止」の看板も出ている。
2キロほど歩くと少しずつ上り勾配。そして左側から高架橋が近づく。そう、瀬戸大橋線。列車の姿を写真に収めることはしなかったが、普通列車に特急列車が轟音をあげながら通過していく。あの高架橋を見ると、こちらのナローゲージは貧相といえば怒られるが、線路として維持するのは難しかったかなと思ってしまう。
琴海は高台から海を見下ろすロケーション。児島競艇場も見える。ただこの日は薄いながらも雲が広がっており、数々の島や、天気がよければ見えるという四国の姿を拝むことはできなかった。それでもロケーションのよさにはうならせるものがある。
この琴海から1キロ弱で鷲羽山駅に到着。眼下には下津井の集落が広がり、ホームからは瀬戸大橋を見ることができる。ベンチに腰掛けて日向ぼっこしている人もいる。
うーん、こういうのを見ると、瀬戸大橋線に例えば「鷲羽山」とか「下津井」という駅をつくってもよかったのではと思う。観光客の誘致には十分だと思うのだが。
ここから線路(跡)は下津井の集落を北から西へ回り込む。右手の山上には鷲羽山アイランドがある。ただどうだろう、観覧車やジェットコースターが動いている様子もなく、そもそもあそこはまだ営業しているのだろうか、それとも巨大な廃墟?と推測してしまう(ただ、これも帰宅後に確認するとちゃんと営業しており、ちょうど開園40周年記念だという。ブラジルのサンバも上演されているようで、失礼しました!・・・って何で岡山で「ブラジリアンパーク」なんだろうか?という疑問は残るが)。
鷲羽山駅から下津井までが2キロ以上、ちょうど集落の外側を曲がるように進む。かつて鉄道があったことを教えてくれる切り通しのようなところもある。ただ、ちょっと回り道かな・・・。
途中いろいろと止まりながら歩いたため、結局6キロを1時間15分ほどで歩き下津井に到着。かつては立派な駅舎もあったという港の駅は更地になっている。ただ「しもつい」の看板が残り、その向こうにはかつてこの線で活躍した電車たちが眠っている。
ただ有刺鉄線もついた柵がめぐらされており、たまたま開放されていた門も「関係者以外立入禁止」とある。何でも、地元の有志たちが保存会を立ち上げているそうで、決まった日を除けば普段は一般人が入れないようになっているようだ。この日はスタッフらしき人が車両の整備か中でごそごそしていたが、とても声をかけて入っていける雰囲気ではなかった。
それでもかつての電車を見ることができ、6キロを歩いてきた甲斐があったというものだ。こういうひっそりとした廃線跡を歩くのもめったにない経験である。よくぞ全線を歩道として残してくれたなあと思う。今はシーズンオフなのだろうが、暖かくなる時期などは距離、テーマ的にウォーキングコースとして最適だろう。近代化遺産の一端ということでも注目したいところである。
さて、下津井に来たことであるので、かつての北前船の港町の風情にしばし触れることにする・・・・。(続く)