よく、引越荷物の整理とか大掃除とかの最中に、ひょんなところから昔懐かしい読み物や手紙などが出てきて、ついそれを読むうちに時間が過ぎ、「そんなことやってる場合とちゃう」と我に返って作業の続きに取り掛かるということがあるのではと思う。
今回の私の引越(早いものでもう10日を切った)の場合でいえば、やはり出てきましたね・・・・「手紙」。もうどのくらい前だろうか、少なくとも私がまだ20代の頃のものかな。
実は当時、「文通」なるものをやってました。はい。顔に似合わないでしょ?(・・・って、誰に向かって言っているんだか)
ネットで文通のサークルというものを見つけたのだ。そこにプロフィールを登録しておき、それを見て気になる人がいればまずはサークルあてに手紙を出す。そしてその手紙に返答しようということであればサークルあてに返送する。以後は、サークルを媒介にしてもいいし、気の許す相手なら直接住所交換して手紙をやり取りしていい。そんな感じだったと思う。
その中で印象に残っているのが、静岡は伊豆に住んでいた女の子。最初のプロフィール的なものでは男性かと思っていたが、「実は・・・」という感じで素性を明かしてくれたというわけ。それにしても、当時私より若い年齢でありながらその家庭環境のこと、自然豊かな伊豆のこと(時には地元の名産品を送ってくれたことも)、そして、実はある男性と付き合っていてその男性の子も妊娠したのだが結局堕ろしたということ、今後その男性とはどう付き合っていけばいいのか揺れ動く心境も赤裸々に綴ってくれた。
どうやら彼女は私のことを「憧れていた学校の先生のような人」という感じで見ていたようで、手紙の中で私への思いを告白してくれたこともある。私も、返信の手紙にはその時に自分の考えられる最大限の答えをしようと心がけていたのだが、今にして思えば、のほほんと育ってきた私に何の助言をする資格があるのかと、一方では悩んでしまったことである。本当に彼女の気持ちに応えることができているのかと。
そんな中ある秋の日、「一度会いませんか」というようなやり取りになった。そこで私が当時住んでいた広島から寝台列車で伊豆を訪れたことがある。駿豆線とバスを乗り継いで半島を縦断して途中で一泊し、そして翌朝に会ったのが桜で有名な河津。彼女のクルマで石廊崎やら西海岸を案内してもらったのだが、途中の遊覧船で彼女が船酔い。結局帰りは私が運転して東海岸にある彼女の自宅近くまで送った。
・・・どうだろう、文通している者同士は実際に会わないほうがよかったのかな。結局はその一時というのが最後となり(恐らく、彼女の側から見れば手紙を通してのイメージと、実際に目の前に現われた私とを比べてみて「ダメ」ということになったのだろう)、手紙のやり取りも途絶えた。それから結構時間が経っているのに手紙が出てきたのも驚きである。
当時から比べても彼女も結構いい歳になっているはずで、以前の苦しい出来事も乗り越えて今は幸せな家庭を築いていることか、それともまだ青春のページの続きを綴っていることか。久しく伊豆は訪れていないが、また昔を懐かしむ感じで伊豆急行にでも乗って訪ねてみようかな・・・・。
元気でいることを祈っています。A.Kさん。