「プレカリアート活動家」。何だろう、プレカリアートって。
「不安定な」と「労働者階級」という意味の言葉を合わせた造語で、最近労働者全体の何割かを占めるようになったパート、アルバイト、派遣社員などの非正規雇用者やら失業者、ニートなどを含めた層を指すとか。彼らの実態を取材したり、地位向上を目指す活動を行ったりというのがプレカリアート活動というもので、雨宮処凛さんはその論客でもあり活動家として知られている。
・・・・という著者の予備知識なしで手にしたのがこの一冊。本のカバーを見て初めてこの単語を知ったというほどである。
『なにもない旅 なにもしない旅』(雨宮処凛著、知恵の森文庫)
旅のスタイルは人それぞれである。何かのテーマを持つ、あるいは何かにこだわりを持つ、それは乗り物だったり旅先でのグルメだったり、それぞれ。
そんな中、「なにもない」「なにもしない」旅である。「なんとなく知らない町にふらっと迷い込み、貧乏臭い宿に泊まり、温泉などに入るもののあとはすることもなく、辺りの何もなさにうら淋しい気持ちになり・・・・」という、脱力旅行。本文ではつげ義春の『貧困旅行記』を理想とし、「つげ度」が高いかどうかで評価をする、ともあるが、特に「つげ度」だけで評価している様子もない。
旅の舞台となったのは寸又峡温泉に始まり、高知もあれば韓国もあり、東京の下町、苫小牧なんてのもある。確かに一流の観光地かと聞かれれば微妙なところではある。ただ、内容を読むに「貧困旅行」というよりは、その町の素の姿というか、現代の日本の都市、あるいは地方の日常の生活(都市部の賑やかさと、都市部からちょっと外れた町の微妙なうら淋しさ)を淡々と楽しんでいるなという感じである。
書く人によればサービスの悪さや町の暗い様子にばかり目がいって批判的な調子の文章になるのだろうが、著者はそれも旅の出会いとして楽しんでいるように思う。
こういう旅もいいですな。出来合いの観光地ではなく、普段の姿に触れるということで。普通なら「損したな」と思わせる場面も、そう思わせない、思わないところ。
私も出かけるときにそういう心持でいれば旅がより楽しくなるなと思うのだが、なかなか・・・・。