少しずつ暖かくなっているのか、それでもどんよりしたはっきりしない天候のこの週末。18日は大阪市内のほうに出る所用があり、そのついでもあってWTCのある南港へと回る。まあ、南港へ行くのは結構大回りとなったのだが・・・・。
やってきたのは「なにわの海の時空館」。海や港とともに発展してきた大阪の歴史について紹介するという、2000年にできた建物である。このドーム型の建物が海に浮かぶように見える。南港のこのエリア、WTC、ATCもそうなのだが、まったく人の気配がないということではなく物流の拠点として機能はしているのだが、ベイエリアを副都心や観光地として発展させようという当初の目論見は崩れているように思う。橋下前知事が大阪府庁のWTC移転を声高に叫んでいたが、東日本大震災でこの建物の耐震性に疑問がついたこともあり、市長への転身とともにいつしかその話もどこかにいってしまったようだ。
この「なにわの海の時空館」も、それらのハコモノとともに無用の長物のように見られてしまいがちだが(この日もどんよりした天候のため、余計にそう見えてしまうのかもしれない)、海上交通や港を中心とした街づくりという、この建物のコンセプトは嫌いではない。まあ、それを巨額の費用をかけて、海の上に浮かべてみるというのが賛否あるところだろうが・・・。
やってくるのも久しぶりのこと。入場券を購入すると穴あき銅銭をあしらったコインが渡される。これを改札口に投入してゲートを開けるのだが、どうせならこのコイン、記念に持ち帰れないものかと思う。
エレベーターで地下に降り、海底通路を通ってドーム型の展示棟に行くという順路。窓が開けられており、大阪湾で見られる魚の紹介をパネルもあるのだが、濁った海水と窓にこびりついた海藻が見えるくらいである。海遊館あたりのマネをしたかったのだろうが、真上に窓をこしらえたところで魚の動きはわからないでしょうに。
館内は世界の海上交易と大阪の港づくりについて、バーチャル技術も駆使してわかりやすく紹介されている。
文化の交流と発展には「海の道」が果たした役割が大きく、古来の探検家たちが航路を見つけ、開拓してきたことで「世界」が広がったとも言える。
日本も中国文化の受容に海を介していたことはもちろんで、難波にも一時都を置いていたのも国際海洋国家を意識してのことという。ただこれは外敵からの脅威を守るために再び大和盆地に戻ってしまったのだが、難波~大坂はその後も海とともに発展してきた。現在の繁栄の基礎となったのは江戸時代のことである。
この時代には新田開発を積極的に行い、現在の区名でいえば住之江区、大正区、港区、此花区といったところに当たる場所はこの頃の開発により広がったところ。現在にも残る町名がその当時の古地図でも確認できる。
私が小学生の頃に社会科の郷土史のような感じで「大和川の付け替え」というのを習ったのだが、これらも含めて江戸時代の殖産興業につながるものがあった。現在の湾岸エリアの工業地帯などはこの時代にはまだまだ姿形を現していないのだが、そういう、陸地ができていく様子を見比べるのも面白いだろう。
そして、海上交通である。この頃に300石から1000石積の弁才船、菱垣廻船が活躍するのだが、これを現在に復元したのが、この建物の中央にどんとそびえる「浪華丸」である。畳200枚ほどはある大きな帆船。中に入ることもできる。
この「浪華丸」、復元にかかった費用は10億円とも言われている。確かに建造時に一度大阪湾を航行したそうであるが、その後はこのドームにすっぽりと覆われて、今後外に出ることはないだろう。まあ、当時の船の様子を現代に伝える・・・という存在意義があるということで納得するしかないかな。
まあ、展示資料をじっくりと見ればそれなりに充実しているし、物流とか交通に興味がある向きにはなかなかの建物であるが、もう一つパンチがあればな・・・とも思う。もっとも、これでも昔はいろいろなアトラクションものとかもそれなりにあったそうなのだが、採算がとれずに閉鎖したとか。一回だけ航行した菱垣廻船だけでは客を呼ぶのは難しいか。
・・・と、これだけ書けば閑古鳥が鳴いている施設のように思うのだが、この日に限っては小さいお子さんを連れた家族連れとか、どこか目つきが怖いお兄さんとかの姿が目立つ。
その理由は、こちら。「企画展~海をめざした鉄道 なにわの海の鉄道もけい展」。そう、鉄道である。今や、人を呼ぶには鉄道を絡めるのが有効。「鉄道」と銘打っておけばどんなイベントでも客は集まるし、企画もの、販売ものもよく売れる。コーナーではNゲージやプラレールの運転会が行われており、関西の各私鉄の模型を走らせる光景が見られる。
今回この「なにわの海の時空館」で行われていた企画展示は、大阪の市電~地下鉄の紹介。大阪市電の第一期線というのは現在の九条あたりに位置する花園橋から大阪港の間を結んだ「築港線」というそうで、いわば大阪の公営鉄道の歴史は「海をめざす」ところから始まったということだ。
企画展示室には年表やら模型、切符などが展示されている。ちょうど「市電博士」と呼ばれる男性によるギャラリーツアーが行われるということで、私も一緒に話を聞くことに。
開業したばかりの市電というのはもの珍しさもあって見物客も多く、その後は築港に魚釣りに行くのに市電に乗ってみたり(車内に釣竿が持ち込めないからと、運転台のところに釣竿を置くスペースがあったり)、2階建て電車を運転したこともあったとか。
2階席からはサーチライトで周囲を照らすサービスをしたこともあったそうだが、「2階から家の中を覗かれる」という苦情が相次いだために取りやめになったという。そういう歴史を「市電博士」(もともと、どういう経歴の方なんだろうか)から聞くのも面白い。
市電の路線網というのも結構広かったものだ。ただ戦後のモータリゼーションの波に押され、市電は渋滞の原因と決めつけられていつしか廃止。市内交通は地下鉄が賄うことになった。ただ、走っていた車両の一部は現在でも広島電鉄の市内線で見ることができる。うーん、また広島に行きたくなってきたなあ。
その地下鉄で「海をめざした」のは中央線にニュートラム。こちらについても精巧な模型で紹介されている。中央線というのもなかなか変化に富んだ線だと思う。乗り入れしている近鉄けいはんな線も含めて考えると、東は生駒山の向うの高台。生駒トンネルを抜け、大阪平野の東部を高架橋で駆け抜け、そして地下に潜り、阿波座を過ぎると再び顔を出し、大阪港から先で最後はコスモスクエアの埋立地の中に潜る。山の上から海底まで走り抜ける路線というのもなかなかないことだろう。この中央線も最初に開業したのは国鉄と接続する弁天町から大阪港の区間。海をめざす役割を果たしたということだ。
大阪市の施設ということで取り上げたのは市電に地下鉄ということだったが、海と陸を結ぶ役割を果たしたということでは貨物鉄道もあるだろう。今回はこれに関する展示はなかったが、海上交通の延長ということでこうしたことも取り上げられていればな、と思うのであった。
こちらのベイエリア、天気が良ければ六甲山系や神戸あたりも望むことができるそうだがこの日は残念。それほどバカみたいに混雑するエリアでもないので、のんびり、まったり過ごすには面白いかもしれないなあ・・・・。